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第七集:闇市 第一部

 城外の山裾から中腹にかけて広がる深い竹藪。

 まるで闇市までの道を隠すように薄く霧が立ち込める異様な光景は、そこに乾いた殺意があることを肌に感じさせる。

「気をつけましょう。この霧は怪異です。おそらく、近くに妖魅もののけがいるようですが……。襲ってこないところを見ると、誰かに飼いならされているようですね」

 出品されている物はすべて非合法な手段で集められたもの。

 その過程で「死」が無かったと言えば、真っ赤な嘘だ。

 それを承知のうえで訪れる客の中には、身分の高い者も多い。

 道に残る轍の特徴から、それが窺える。

 懐愿フゥァイユェン緑雨リュユーは霧に紛れるような白い漆喰の壁に開かれた門へと近づき、門番に符牌ふはいを見せて中へと入って行った。

 『リン宅』と書かれた建物の中は、竹藪に流れる清廉な香る風とはまるで違う。

 広く開かれた外苑には視界に映り切らないほどの店が並び、いたるところで商談の声が聞こえる。

 時折、やけに甘いにおいや不快な異臭が鼻を掠める。

「これが闇市か……。あれは何?」

 懐愿フゥァイユェンに小声で聞かれた緑雨リュユーは、少し迷ってから答える。

血酒けっしゅです」

「血の酒?」

「主に妖魅もののけの生き血を材料に造られる酒で、通常は魄丹はくたんを鍛えて得る霊力を、血酒けっしゅを飲むことで一時的に使うことが出来るようになるんです」

 懐愿フゥァイユェンの目が光り、次の瞬間には影を帯びる。

「あれは違うだろう。緑雨リュユー、私は数多の戦場を駆けてきた。大抵のことでは動揺することは無い。だから、全て正直に教えてくれ」

 鋭い怒気を孕む空気が流れる。

「あの『童春紅どうしゅんこう』は……、未成年の人間に死なない程度に酒を与え続け、血中の酒精濃度を上げて造られる生き血の酒です」

 説明を聞き終わるとすぐに店へ向かって行こうとする懐愿フゥァイユェンの腕を緑雨リュユーは強くつかんだ。

「何故止めるんだ」

「今あの店を潰したところで、何の意味も無いからです」

「どうして」

 拳を握り締め、懐愿フゥァイユェンが立ち止まる。

「災害や虫害で凶作の地域には国から救済金が支給されますよね。陛下は英明で皇太子殿下はすでに賢聖と名高い。ですが、地方の官吏まで同じ志だとは限らないのです」

「だが、救済の主事には」

「皇太子殿下は常に公正で、柔軟に対応し、全ての民が救われるよう尽力されています。しかし、皇太子殿下が帰還した後は? 皇太子殿下が主事を出来ないときは?」

 懐愿フゥァイユェンの目に宿った怒りの炎に悲しみの色が混ざる。

「官吏たちは地方豪族と手を組み重税を課し、救済金を食い物にしています。その結果、子供達は売られ……」

「もういい、わかった」

「戦場が長かったのです。少爺しゃおいぇが知らなくて当然でしょう。不正を極めている官吏達はその行いを巧みに隠しています。それどころか、農民に訴えられないよう密告制度を採り入れ、不満を口にする者をあぶり出し、密告者には褒賞を出すなど、領民が結束できないようにしています」

 懐愿フゥァイユェンの拳が開かれ、ゆっくりと首を振った。

「腐敗した者達のせいで自由に生きる権利を失った民がいるということは、他にもそういった品が……、ここには多くあるのだな」

「はい。人間というのは、余すことなく使い切ることが出来ますから」

 人皮にんぴで装丁された書籍に、僧侶の皮で作られた魔除けの太鼓、骨で作られた装身具や体液を混ぜて作る墨は呪符を描くのに重宝される。

 腸は楽器の弦として使われることも多く、これも呪具となる。

 その他の臓器は祭祀に使われたり、乾燥させてすり潰し、目的別の薬に調合されたりする。

少爺しゃおいぇ、目的の店へ向かいましょう。ここは、貴方には悲しすぎる」

 緑雨リュユー懐愿フゥァイユェンの背をそっと押し、二人はゆっくりと歩き出した。

 広い闇市の中をずっと歩いていくと、複数人が金額を叫びながら店主に詰め寄っている一角があった。

「あそこか」

「そうです。あの様子だと、価値の高い情報が売買されているようですね。店主は提示される金額に満足していないようですけど」

「では、私の出番だな」

 人々を押しのける緑雨リュユーの後ろから現れた懐愿フゥァイユェンは、扇で口元を隠しながら店主の前に馬蹄金ばていきんを十個置いた。

「必要なだけ用意できるが、どうする?」

 店主は金と懐愿フゥァイユェンを交互に見てから、「他の皆様はお引き取りを。こちらの公子ごんずと商談に入りますので」と笑顔で言った。

 小声で文句を口にしながら散り散りになっていく客を目で追いつつ、店主は「どちらから?」と微笑んだ。

 懐愿フゥァイユェン符牌ふはいを出し、「代行でね」と笑みを返した。

「そちらの方は護衛ですか」

「そうだ」

 次の瞬間、店主の首に緑雨リュユーの剣が突き付けられた。

「なるほど。その腕は一級品ということですね。いやいや、すみません。ちょっと試しただけです」

 店主は袖の中にひそめた暗器を机の上に出し、作揖さくゆうした。

「次は殺す」

「ご安心を、護衛の方。闇市の規則の一つに、商い中の殺人はご法度と成っております」

 緑雨リュユー懐愿フゥァイユェンに「大丈夫だ」と言われ、やっと剣を降ろし、鞘へ納めた。

「では、主人を呼んでまいりますので、少々お待ちください」

 店主が下がってすぐに別の男が現れた。

 羽振りの良さそうな上質な衣服に、上等な玉をあしらった髪の装飾。

 その顔は毒蛇を思わせる冷たさと妖しさを纏っている。

「私はこの店、そして闇市の主人であります、リン イェンと申します。何をご所望ですか?」

「星図が欲しい」

 リンは一瞬目を見開き、また妖艶な笑みを浮かべた。

「季節は?」

「春と秋を、すべて」

 リンの目がわずかに陰る。

「たしか青血華せいけつかの生業は薬毒の密売だったと記憶しております。盗掘も始められたのでしょうか」

「誰が質問していいと言った?」

 懐愿フゥァイユェンが微笑む。

 それはあまりに冷ややかで、リンは小さく息を吐いて少し身体を退いた。

「申し訳ありません。手持ちの星図をすべてお渡しいたします。金額は一つにつき馬蹄金七つでいかがでしょうか」

「決まりだ」

 店員によって運ばれてきた星図は全部で九十。

 馬蹄金一つで金一両 (約六十万円)なので、全部で六百三十両 (約三億七千八百万)支払った。

「他に何かお手伝いできることはございますか」

「ない。いい取引だった。ごきげんよう、リン殿」

 受け取った星図を緑雨リュユーが全てくうへしまうと、懐愿フゥァイユェンはまた扇を手に颯爽と歩いて行った。

 緑雨リュユーはそれに従うように共にその場を後にした。

 すると、リンは店先に店員を立たせ、自分は邸宅の中へと急いだ。

 書房へ入ると、机の上に置いてある密書の中から一つ取り出し、中を確認する。

「……やはり。ここで止めておいたのは正解だったな」

 獲物を睨みつける蛇のごとく煌めくその目が捕えたのは、まるで美人画のように艶やかな男性の手配図。

 裏社会でばら撒くよう指示されたものだったが、あえてリンは行動に移さず、とっておいたのだ。

 その読みは、正しかったようだ。

 リンは手配書を手に、精鋭達がいる練武場へ向かった。


 一方その頃、墓誌蓋ぼしがいを手に入れた懐愿フゥァイユェン緑雨リュユーは、客桟きゃくさんへ戻るとすぐにその星図の特徴を書き記し、ふくろうに似た翡翠色の霊梟れいきゅう払葉ファンイェにそれらを持たせ、婉花ワンファの元へ届けさせた。

 すると、二刻四時間もしないうちに返事が返ってきた。

 それにはこう書かれていた。

『見つけた古い目録によると、全部で百三十三基分盗まれたらしい。すべて三百年以上前の墓のため、皇族の墓陵ぼりょうはともかくとして、かつての高官達やその家族が眠る陪葬墓ばいそうぼは目録を見て埋葬されている者の名前を確認しても、場所まではわからないものもある。それに、陪葬墓ばいそうぼは盗掘に会う確率が高く、すでに暴かれている墓も少なくないだろう。遺族が存命で、華芳かほうに家がある者の墓に関しては、受け取った星図から場所を割り出し、すでに官兵が確認へと向かっている。墓の場所が不明な残りの墓地に関しては、死亡記録と日付を使ってその年の春分、秋分の日の星図から場所を読み解き、官兵を派遣してもらい、墓が荒らされていないか確認する予定だ』

「だそうです」

「……これ、緑雨リュユーはどう思う?」

 購入した星図を見ていた懐愿フゥァイユェンが、一枚の墓誌蓋ぼしがいの写しを机に広げた。

「これって……」

「だろう? あの闇市があった山から見た秋分の星図だ。間違いない。戦場では有利に戦を進めるために観天望気をするから、星の位置はよくわかるんだ。それに、この星図だけ明らかに原本ではなく『写し』だ。使われている紙が新しすぎる」

 青灯鎮せいとうちんに着いてから感じていた微かな不安の正体は、この地に埋葬、または封印されている誰かのせいなのかもしれない、と緑雨リュユーは思った。

「とにかく、明日行ってみましょう。近付いてみて危険だと判断したらすぐにその場から……」

「危険なものならば、その正体を知り、対処するべきだ。もし何かのきっかけで民が傷つく可能性があるならば、取り除かなければ」

 懐愿フゥァイユェンは真っ直ぐと緑雨リュユーを見つめると、強い瞳と優しい笑みを浮かべた。

「わかりました。阿愿アーユェンのことはわたしが必ず守ります」

「私も緑雨リュユーを守ると誓うよ」

 あたたかな光が胸に灯る。

 二人は一度客桟きゃくさんを出ると、この地にまつわる言い伝えやそれを記録した史書が無いかを調べ歩いた。

 陽も暮れ、夜の帳がおり始める。

 風に雪が混じり、首元を滑る冷たさは格別だ。

「なかなか見つからないな。あえて隠されているのかもしれない」

「わたしもそう思います」

「いったい、この町の人々は何を恐れているんだ」

「こんな時間になっても灯りを絶やさないとなると、災害に近い怪異に見舞われたことがあるのかもしれません」

 二人は周囲の人々の表情に目に浮かぶ密やかな恐怖を感じながら、客桟きゃくさんへと戻って行った。

 明日の予定を立て、何が起ころうとも立ち向かえるよう、早めに寝ることに。

 緑雨リュユーは氷の鎖で扉を封じ、眠りについた。


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