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第七集:闇市 第二部

 翌朝、支度をしていると、扉を叩く音が。

 緑雨リュユーが警戒しながら「どちら様でしょうか」と声をかけると、「昨日お取引をさせていただいた、リンでございます」と答えが返ってきた。

 二人は視線を交わし、頷き合ってから扉を開けた。

 そこに立っていたのは、言葉通り闇市の主催者リンと、その一味。

「おはようございます。けい王殿下」

 緑雨リュユーは輿に佩いた剣に手をかける。

 不敵な笑みが緑雨リュユーに移る。

「それに、そちらは香霧山荘こうむさんそうユー少仙しょうせんでしょう?」

 毒蛇のような視線と絡みつくような不快な甘さを含む声が、懐愿フゥァイユェンの顔から笑みを奪い去る。

「違うと言っても、信じないのだろう」

「ええ。でもご安心ください。我々のような日陰に生きる者達の間で流れる手配書は、私のところで止めておりますので、お二人の素性を知る者は増えていません」

 そう言ってリンが袖から取り出したのは、一枚の人相書きと名が記された紙。

 『祁芳きほう国第五皇子 けいウェイ 懐愿フゥァイユェン』とはっきり書かれている。

 緑雨リュユーはこちらに向かって頷く懐愿フゥァイユェンに頷き返し、仮面を取った。

「何が望みだ」

「いえね、一つ協力していただきたいことがありまして」

 リンが一歩前に進み出たので、緑雨リュユーは威嚇するように剣をわずかにひいた。

「おっと。ユー少仙しょうせんの武勇伝は存じております。命が惜しいので、これ以上近付くのは止めておきましょう」

 リンは出した足を下げ、二歩下がった。

「協力してほしいこととは?」

「その手にもたれている墓誌蓋ぼしがいの写しについてです」

「何か知っているのか」

「ええ。特別にお教えいたしますので、どうでしょう、盗掘を手伝っていただけませんか?」

 まるで一緒に散歩しましょう、とでも言うように、犯罪の誘いを口にするリン

「大丈夫ですよ。その墓を暴いたとしても、もう怒る者は生きておりません」

「どういうことだ」

「では、お話いたしましょう」

 そう言うと、リンは「話をする間だけでも、部屋に入ってもいいでしょうか。護衛の者達は外に出しますので」と、緑雨リュユー懐愿フゥァイユェンから距離を取りながら部屋へと入って来た。

 護衛が扉を閉め、誰も近づかないよう、外で見張っている。

「およそ、三百年前の話でございます」

 当時、祁芳きほう国にはまるで光そのもののような皇長子こうちょうしがいた。

 文武両道で容姿端麗。

 挙げた軍功は数知れず。

 国境を守る屈強な軍からも支持を受け、皇長子こうちょうしはまさに国の宝であった。

将来を有望視されていた皇長子こうちょうしは次々と公正で有益な政策を提案し、官僚たちは皇帝よりも皇長子こうちょうしの意見に耳を傾け賛同するようになっていった。

 老いが迫り来ていた皇帝は、帝位にしがみつくようになり、次第に皇長子こうちょうしを脅威だとみなすようになっていく。

 そんな時、当時敵対関係にあった異民族の国から、公主が嫁いでくることになった。

 皇帝は異民族の公主を皇長子こうちょうしの妃にし、それが災いを呼ぶことを願った。

 しかし、皇帝の思惑とは裏腹に、公主と皇長子こうちょうしは互いを思いやり、尊重し、それはほどなく愛となった。

 そんな陽だまりのような日々は、突然終わりを迎える。

 皇帝のもとに、『皇長子こうちょうしが異国と手を組み、謀反を企てている』と書かれた密書が届いたのだ。

 その上、前々から皇長子こうちょうしを目障りに思っていた第四皇子が父親である皇帝に「憂いを取り除きたいのなら、好機です」と、吹き込んだ。

 文武百官は「皇長子こうちょうし殿下がそのようなことをするはずがありません」と皇帝に上奏したが、皇帝は聞き入れなかった。

 それどころか、訴えて来る者すべてを拒み、朝堂から追い出し、それぞれの自宅で禁足処分とした。

 皇帝はすぐに第四皇子と討伐軍を組織し、南の国境で起こった属国の反乱を鎮めに出ていた皇長子こうちょうしの軍へその毒爪どくそうを突き立てた。

 皇長子こうちょうしは援軍だと思い、すでに敗走を始めていた反乱軍を追いやろうと馬で駆け出したその時、背を矢が貫いた。

 口から一筋、血が溢れ出す。

 矢は次々と放たれ、皇長子こうちょうしの軍は味方であるはずの同じ祁芳きほう国の軍によって死に追いやられた。

 その時、皇宮では第二皇子が息を切らしながら皇帝の元へ駆けていた。

 そして御前に着くと跪き、何枚もの書簡を差し出した。

「兄上が謀反を画策したのは、真っ赤な嘘です! その密書は偽造であり、異民族と手を組んだ証拠も捏造です! ここに、全ての証拠を持ってまいりました。父皇父上、どうかご明察を!」

 朝堂の外にある龍尾りゅうびの階段では数百人の官僚が禁足を破り跪き、禁軍きんぐんに囲まれても尚恐れずに「どうか真相の解明を!」と叫んでいる。

「これでもまだ疑いを抱くなら、帰還を命じ、兄上から話を聞くべきです」

 第二皇子は必死の思いで懇願した。

 皇帝は集められた証拠の数々に青ざめ、よろめき、足から崩れ落ちるように玉座に倒れ込む。

 一歩遅かったのだ。

 第二皇子が駆けつけてくる四半刻三十分前に、勝報が届いていた。

 「逆族である皇長子こうちょうしの軍は壊滅し、皇長子こうちょうしも討たれた」と。

 第二皇子は皇帝の懺悔を聞き、悲しみに暮れる間もなく私兵と共に戦場へ駆け、無残な姿となった兄を見つけ出し、抱きしめながら涙を流した。

 皇長子こうちょうしの死を知った公主はあまりの苦痛に自身の剣を持ち、首元を滑らせ、自害。

 一連の出来事に激怒した異国の皇帝は娘の遺体と皇長子こうちょうしの遺体を無理やり引き取ると、「そなた達に埋葬権利はない」と、棺を持ち去ってしまった。

 異国の皇帝は祁芳きほう国を恨み、憎しみのまま陵墓を建設。

 そこへ、殉死させた従者たちと大量の豪華絢爛な副葬品と共に娘とその夫の棺を安置した。

「ただ、話はこれだけでは終わらないのです」

 リンは数枚の紙を取り出すと、それを机に広げた。

「これは、巫蠱ふこの邪術紋……」

 緑雨リュユーの言葉に、懐愿フゥァイユェンリンを睨みつけた。

けい王殿下はお怒りになった顔も美しい。ユー少仙しょうせんの言う通り、これは邪術の証。これらはすべて三百年前の祁芳きほう皇長子こうちょうしが埋葬されたとされる陵墓の門に刻まれているものなのです。どうやら異国の皇帝は巫術師と関りがあったようで、とても強力な邪術がかけられております。私共では、まるで歯が立たないほどの」

 リンは微笑み、さらに言葉を続けた。

「異国の皇帝は娘が死ぬきっかけとなった責任を、皇帝や第四皇子だけでなく、皇長子こうちょうしにも感じ、その怒りを墓に込めたようなのです」

 「そこで、ご相談なのですが」と、リン緑雨リュユーを見る。

ユー少仙しょうせんに、この邪術を解いていただきたいのです」

 懐愿フゥァイユェンは反射的にくうから大剛弓だいごうきゅうと矢を出すと、リンに向かって構えた。

「手が滑ったとしても、この距離なら絶対に外さないぞ」

 懐愿フゥァイユェンの目から熱が消え、冷たく鋭くなっていく。

「断っていただいても構いません。ですが、けい王殿下、よくお考えになった方が良いと思います。何故お二人の旅路が外界に漏れたと思いますか?」

 全員の動きが止まる。

リン氏は祖父の代に官符から逃げ回るように日陰者となりました。しかし、祖父の弟は養子に出されていたのでその難を逃れ、その家は現在も存続し、ある一定の権力を有しています。それこそ、皇宮に参内出来るほどの」

 緑雨リュユーの脳内にいくつかの一派が思い浮かんだ。

 それはとめどなく溢れる泉のように巡る思考の渦が突然凪を迎え、止まった。

灯穂幇とうほほうフェイ氏……、ですね」

 リンは目を見開き、口元を手で隠しながら緑雨リュユーを見つめた。

「さすがは香霧山荘こうむさんそう。富豪榜三位なだけありますね。どこからその情報を手にしたかは知りませんが、その通りです。灯穂幇とうほほう フェイ氏の長女が、吏部りぶ侍郎じろうへ嫁いでいます」

 リンは口元を歪めながら嗤う。

「ただ、吏部りぶ侍郎じろうを責めないでくださいね。夫婦間の何気ない会話が、まさかこういう形で利用されているとは思いもしていないでしょうから」

 懐愿フゥァイユェン大剛弓だいごうきゅうを降ろし、番えた矢を外した。

けい王殿下、三百年前皇長子こうちょうしに嫁いだ公主の生まれ故郷である異民族の国はすでに滅んでおります。もう誰も偲ぶことは無く、盗掘を恨む者もおりません。それに、もし邪術を突破し、民が恐怖している原因を突き止めれば、殿下も安心でしょう? 私達はただ副葬品を持ち出したいだけ。余計なことは口外致しません」

 緑雨リュユー懐愿フゥァイユェンの袖に触れ、こちらに向いた目を見つめながら頷いた。

 そして、リンを睨み、言う。

「協力します」

「ありがとうございます」

 そう言うと、リンは机の上から手配書を持ち上げ、細かく引き裂いた。

「これで、殿下の旅路は安全です」

 さあ、参りましょうか、と、リンは恭しく作揖さくゆうした。

「陵墓の門までご案内いたします」

 リンが先に部屋を出て、次に懐愿フゥァイユェン緑雨リュユーと続く。

 その後ろを四人の屈強な護衛がついてくる。

 「ご安心を。誰もお二人には敵いません。彼らはあくまで私の護衛をするだけです」

 緑雨リュユーは剣を掴んでいた手を放し、歩いていく。

 一体何が待ち受けているのかはわからないが、簡単にいくものではないだろうと覚悟する。

 口から洩れる息はより冷たく、白くなっていった。


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