目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

第八集:呪 第二部

 階段を降りてきたのは、煌々と燃える松明と凶器を持ったリンの手下、総勢百余人。

ユー少仙しょうせん、あなた一人ならばその恵まれた力を開放し、我々を皆殺しに出来るでしょうが、けい王殿下を傷つけないよう戦うのは難しいのでは?」

 リンは手を広げ、言葉を続ける。

「それに、開けてくださらないのなら、今この場でけい王殿下の命、頂戴いたします」

 リンの手下達が武器を手に懐愿フゥァイユェンを狙う。

緑雨リュユー、私のことは気にしなくていい。心に従え」

 懐愿フゥァイユェンの強く優しい眼差しを受け取った緑雨リュユーは、扉に手を添えた。

阿愿アーユェン、ごめんなさい。わたしは友人を護りたい。今この場にあなたの命よりも大切なものはないんです」

 緑雨リュユーは身体中を駆け抜ける、弾けるような痛みに耐えながら、扉に刻まれた巫蠱ふこの封印紋を解いていく。

 激しくぶつかり合う仙力せんりょくと呪力が稲妻のように光となって緑雨リュユーを覆う。

 その力は広間のあちこちへ飛び散り、壁を破壊していく。

緑雨リュユー!」

 あまりに壮絶な光景に後ずさるリン達の間をすり抜け、懐愿フゥァイユェン緑雨リュユーに近づいた。

阿愿アーユェン、そのままわたしの後ろにいてください。合図したら、すべての霊力で自身を守るのです。刹那のうちに起こる現象に立ち向かうには、封印を解除中のわたしの霊力では間に合いません」

緑雨リュユーは」

「わたしには仙力せんりょくがあります。大丈夫ですよ」

 弾ける力は天井にぶつかり、壊れた部分から瓦礫が降ってくる。

「今です、阿愿アーユェン

 緑雨リュユー懐愿フゥァイユェンを抱きかかえ、勢いよく開いた扉から跳び退いた。

「これが、これが武賢ぶけん王の」

 昏い煌めきが一閃、扉の内側から飛び出した。

 リンの首が身体から離れ、声が途切れる。

 手下たちも避けきれなかった者は身体を切断され、即死した者を幸いと言わなければならないほどの惨状が広がった。

 口を覆いたくなるほどの血のにおいが充満する。

 溢れ出る妖魅もののけ達は混乱しているのか、扉の中と外を何度も交互に見ながら何かに引き寄せられるように扉の内側へ向かって再度走っていく。

阿愿アーユェン、大丈夫ですか」

「あ、ああ。だいじょう……」

 懐愿フゥァイユェンの口から血が流れ出た。

「瘴気か!」

 緑雨リュユーはすぐに懐愿フゥァイユェンを座らせ、くうから取り出した薬を鼻先に持っていく。

「ゆっくり大きく呼吸をしていてください。この瓶の中の煙薬がなくなるまで、動いちゃだめです」

 頷く懐愿フゥァイユェンを支えながら、緑雨リュユーは階段を氷で覆った。

 唯一の逃げ道を失ったリンの手下達が、苦痛に喘ぎながら緑雨リュユーを睨みつけた。

「副葬品が欲しいなら取りに行けばいい。でも、この瘴気と妖魅もののけ達を一掃するまでは、誰もここから出しませんから」

 緑雨リュユーの言葉は、激しく闇が打ち合う轟音の中で霧散し、気づけば誰の耳にも届かなくなっていた。

 リンも、その手下達も、全員息絶えたのだ。

「まだ誰かいるのか!」

 扉の内側から、清らかな強い声が聞こえてきた。

「います!」

「無事か!」

「一人重症です!」

「今行く!」

 扉の内側に向かい、剣から衝撃波を放ちながら現れたのは、美麗でありつつも精悍さも兼ね備えた青年だった。

 身につけている甲冑は古風でありながら武将としての勇猛さをうかがわせる。

 ほのかに光を帯びている身体からするに、生者ではない。

「あなたは……、武賢ぶけん王殿下ですか」

「いかにも。色々と理由は後で話すから、まずは彼を助けなければ。血のえにしを感じるが、もしや皇族か」

「はい。祁芳きほう国第五皇子、けい王殿下です」

「なるほど。それなら、一時的に私の霊力を与えられる。ただ……」

「わかっています。血族ののろいですよね。わたしなら、後で解呪できます」

 緑雨リュユーの言葉に、武賢ぶけん王は笑みを浮かべて頷くと、懐愿フゥァイユェンの背に手を当て始めた。

「君からはどういうわけか私がかけられているのろいか、それに近しいものを感じる。名は?」

「わたしはユー 緑雨リュユーです」

「では緑雨リュユー、私がけい王に血族ののろいをかけている間、あいつらの相手をしていてくれるかい?」

「お任せください」

 緑雨リュユー氷彩ひょうさいを抜刀し、足元に転がるリンやその手下達の亡骸が凍るほどの冷気を発しながら、扉から溢れ出てきた妖魅もののけの中へ斬り込んで行った。

 凍てつく仙刃波せんじんはが異形の身体を次々と斬り刻み、吹き飛ばしていく。

 袈裟に斬り上げ、次の妖魅もののけには振り上げた氷彩ひょうさいで斬り裂いていく。

 胴を切断し、背後からくる妖魅もののけの頭上へ宙返りしてから首に刃を当て横に引く。

 緑雨リュユーは左の手のひらを斬り、流れ出る血を凍らせてもう一振りの刀に変えた。

 目の端に映る自身の髪が変化していくのがわかる。

 それは月夜に降る青みを帯びた雪のように白く、昏く。

 戦闘のさなか、副葬品の白銅鏡が宙に舞う。

 鈍い銀色の鏡面に映し出された緑雨リュユーの虹彩は、湖に張る薄氷のように透き通った淡い水色になっている。

 身体の中で仙力せんりょくが優勢になり、結びついたのろいである氷鳴律ひょうめいりつが表面にも現れているのだ。

 口から氷煙ひょうえんが漏れ出す。

 まるで氷鬼ビングゥェイのようだ、と、緑雨リュユーは自嘲した。

緑雨リュユー、待たせたな。……その姿はやはり、『片脚の禍帝』と関係があるのか」

「なぜそれを」

 緑雨リュユーの瞳孔が開く。

「後で教えよう。けい王が無事なうちに、ここを片付けなければ」

「この妖魅もののけ達はどこから来ているのですか」

「いい質問だ。この妖魅もののけの群れこそ、私の副葬品なのだよ」

 武賢ぶけん王の目が好戦的に煌めく。

「やつらの依代よりしろは共に埋葬された妻の侍従達の亡骸だ。彼らの骨に刻まれている巫蠱ふこの紋を消してほしい」

「わかりました」

 緑雨リュユーはその場を武賢ぶけん王に任せ、陪葬室へ急いだ。

 次々と出現する妖魅もののけ達を斬り伏せながら暗い廊下を進んでいく。

「あった、けど……」

 眼前に広がるのは百体を超える殉死者を納めた木棺。

 そのすべてが立っており、棺の蓋には永遠に解けない透明な呪氷じゅひょう凍晶とうしょうがはめ込まれている。

 中にある亡骸はまるでまだ生きているかのように新鮮で、皮膚の内側で骨に刻まれた巫蠱ふこの紋が赤く光っている。

「一つ一つ解いている暇はない」

 緑雨リュユー氷彩ひょうさいを納刀し、覚悟を決めた。

「毒には毒を。のろいにはのろいを」

 腕を伸ばし、身体を淀みなく流れる仙力せんりょくを、氷鳴律ひょうめいりつに与えた。

 目の前が白く、靄がかかったように虚ろになっていく。

 身体の奥から喉を伝って口から溢れ出す血だけが熱を持ち、手足は氷のように冷たくなっていく。

 息をするたびに肺は針を飲み込んだような痛みに苛まれ、四肢には寒気が稲妻のように疾り抜ける。

 苦しい、痛い、上手く意識が保てない。

 耳鳴りが、脳内を締め付ける。

 口から漏れ出る氷煙に赤が混じり始めた。

 立っていられず、崩れるように膝をつく。

 床に座った緑雨リュユーは、下を向く身体を起こし、手と脚を修練の型に組む。

 氷で出来た小さな菱の実が身体の中を傷つけていくような鋭い痛みの感覚。

 激痛に耐えながら呼吸を整え、少しずつ湧き出る治療用の霊力を、血液のように巡らせる。

 暴れ続ける氷鳴律ひょうめいりつが体内を傷つけ、咳と共に血煙が噴き出るも、途切れそうになる意識を繋ぎ止め、集中する。

 亡骸にかけられた巫蠱ふこのろい氷鳴律ひょうめいりつが共鳴し、凄まじい音波を発しながら紋が砕けていく。

 あと少し、あと少し、あと少し。

 ぼやけた視界の端で、最後の一体に刻まれていた紋が破裂した。

 緑雨リュユーは呼吸を整えて霊力と仙力せんりょくが拮抗するよう、氷鳴律ひょうめいりつを抑え込んだ。

 手足に熱が戻っていく。

 次第に視界の靄が消え、鮮明になる。

 凍っていた睫毛から雫が落ちた。

「戻らないと」

 緑雨リュユーはまだふらつく足をどうにか動かし、武賢ぶけん王と懐愿フゥァイユェンの元へと急いだ。

 武賢ぶけん王が戦う部屋へたどり着くと、妖魅もののけは残り数体となっていた。

 緑雨リュユーも加勢しようと走り寄る。

 足がもつれ、体勢が崩れた。

 そこへ、妖魅もののけの鋭利な爪が迫る。

 武賢ぶけん王は複数体を相手にしており、視界が合わない。

 少しくらい傷を負ったところで死にはしない、と、緑雨リュユーが受け身をとろうとしたその時、身体の横を、疾風を伴う矢が通り抜け、妖魅もののけの額を貫いた。

「りゅ、緑雨リュユー……」

阿愿アーユェン!」

 懐愿フゥァイユェン緑雨リュユーの無事を見届け、弓を落とすと、気を失い、その場に倒れた。

 目に映る大切な友人の姿に、全身から血の気が引く。

 緑雨リュユー懐愿フゥァイユェンの身体を抱きとめると、氷彩ひょうさいで右手のひらを斬り、凍った血液を鋭い暗器にして妖魅もののけ達を仕留めた。

「二人共、大丈夫か」

 すべての妖魅もののけを片付けた武賢ぶけん王が剣を鞘に納めながら近づいてきた。

けい王殿下が」

 懐愿フゥァイユェンの身体は絹糸のように白く、脈も呼吸も弱い。

緑雨リュユー、このままでは彼を救えない。私の遺体と亡き妻が眠る墓室へ行こう」

 緑雨リュユー懐愿フゥァイユェンを背負い、武賢ぶけん王の後に続き、長く暗い廊下を最奥まで進んで行く。

「不思議だろう。まったく朽ちていない、この墓も、殉死者の遺体も、豪華絢爛な副葬品も」

 武賢ぶけん王は自嘲するように息を吐くと、呟いた。

「すべては私にかけられたのろいの効力によるものだ」

 「さぁ、着いたよ」と、武賢ぶけん王に促されて入った墓室は、混乱するには十分なものだった。

「妻と私が横たわっているのが棺なだけで、王府の寝殿の部屋と何も変わらない。妻もただ寝ているように美しいままだ」

 墓室は、品の良い調度品と手入れの行き届いた家具や艶々に磨かれた板張りの床で飾られ、ここがはるか地下にある場所だということを忘れてしまうほど。

 ただ一つ異質なのは、武賢ぶけん王の亡骸が納められている黄金の棺から漂う強いのろいだ。

「棺の後ろにある寝台にけい王を寝かせよう」

 緑雨リュユーは言われた通りに懐愿フゥァイユェンを真紅の布団が敷かれた寝台に寝かせた。

緑雨リュユーは手出し無用だ」

 武賢ぶけん王の目が優しく細まる。

「でも」

「君にかけられているのろいは霊力でないと抑えることができないものだ。その大事な霊力を、瀕死の彼を救うために使えば、君は生きてはいられない」

 武賢ぶけん王は緑雨リュユーの肩に触れると、困ったように微笑んだ。

「君の命と引換えに助かったことを知ったら、彼はどうするかな? 少し考えれば、簡単にわかるだろう」

「でも、それでは」

「血族ののろいを解いた瞬間、私の力を全てけい王に与えよう」

 武賢ぶけん王は意識のない懐愿フゥァイユェンに近づくと、その上半身を起こし、後ろに座って背に両手を添えた。

「いいのですか……? あなたは、武賢ぶけん王殿下はすでに神性を帯びています。亡骸にかけられたのろいを解き、正しく亡くなれば、神格を得ることが出来るのですよ。その機会を捨てるような真似を、どうして」

「君が霊力を極限まで使い、己の身を犠牲にしてまで彼を救おうとしているのと同じ理由かな。世界は常に若者のものだ。残酷な現実や悲痛な思いを抱えて生きる人々から、希望の光を奪いたくない。だから、二人とも生きてくれ。それが私の最期の願いだ」

 それに、と武賢ぶけん王は続ける。

「さっさと生まれ変わって、また妻と出会い、恋をして、今度こそ幸せにしたい」

 緑雨リュユーはまだ冷たさの残る身体を、あたたかな想いが覆うのを感じた。

 武賢ぶけん王の亡骸にかけられているのろいを解けば、この陵墓全体が停止していた時の流れにのまれ、それに抗う強さのないものは全て朽ちてしまう。

 残るのは、静けさだけ。

「よろしく、緑雨リュユー

 緑雨リュユーはこみ上げる涙をこらえ、血族ののろいを解いた。

 そして、武賢ぶけん王の棺に近づき、その身体にかけられているのろいを、氷鳴律ひょうめいりつの力で相殺し、破壊した。

 それと同時に、緑雨リュユーの髪と目がもとの色へと戻っていく。

「生きるんだ、けい王」

 武賢ぶけん王の霊体に宿る神性がすべて霊力に変わり、まばゆい光となって懐愿フゥァイユェンを包む。

 肌に血色が戻り、頬が桜色に染まる。

 呼吸が安定し、心臓が強く元気に脈打ち始めた。

「おや? 少し力が残ったようだ」

 武賢ぶけん王は懐愿フゥァイユェンを再び寝台に寝かせ、「彼の意識が戻るまで、話をしようか」と、緑雨リュユーに言った。

 二人は執務用に作られた小上がりに腰掛けると、小さく息を吐いた。

「君たちはなぜここへ?」

「実は皇宮で書物の盗難事案が起きてしまい、まずは墓誌から調査することとなり、取り返した墓誌の中に陵墓のことが書かれていたんです」

「なるほど。随分と大胆な賊だな」

 武賢ぶけん王は何度か頷くと、小さな声で「ただ、書物を狙うとは頭が良い。盗まれた情報が多いほど、目くらましにもなるからな。敵が求めている真の目的が何なのか、こちらに悟られたくないのだろう」と眉根を寄せた。

「次は緑雨リュユーの番だ。何でも質問してくれ」

 武賢ぶけん王の笑顔に、緑雨リュユーもつられて少し口元が緩む。



この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?