頭がズキズキと痛い、体も重く動かすのが困難だ。
もう少し休みたいけれど、予感がする。今すぐ起きなければならないという嫌な予感が。
内なる衝動に素直に従って目を開ければ、見慣れない天井と見覚えのない天蓋が目に入る。
「ここは……?」
焦る気持ちのまま体を起こそうとしたが、腕に力が入らずすぐにベッドに横たわってしまう。
力を入れようとしても、どうしても入らない。
「誰か――」
神人を呼んで手を借りようとしたその時、初めて自分以外の者が側にいることに気が付いた。
「おはようございます。ルナリア」
声の主はリーヴだ。
混乱する気持ちの中に、一気に恐怖が押し寄せる。
「何故、あなたがここに?」
リーヴは穏やかな表情を見せているけれど、わたくしにとってはその笑顔は怖いとしか思えない。
(もしかしてずっといたの?)
見られていたのかと思うと背筋がぞくっとした。
「何故って、それはここが僕の部屋だからですよ。自分の部屋にいる事はおかしくないでしょう?」
その返答に増々怖気を感じる。
天空界から海底界まで、どうやって連れて来られたのかなどの疑問も生じるけれども、今はそれよりもこの男から逃げないと。
急いでベッドから降りようとしたが、その前にリーヴに止められた。
「止めて下さい、離して!」
腕を掴まれ、声を上げるが離してはくれない。
「駄目ですよ、だって話したら逃げようとするじゃないですか」
「当然です、無理矢理このような所に連れて来られたのですから。ここから出して下さい!」
睨みつけるもののまるで動じていない。それどころか、楽しそうに笑っている。
「嫌ですよ。君はもう僕の妻なのですから、ここから出すわけがないでしょう」
「そんなの了承しておりません! お願い、誰か来て!」
叩こうが押そうがリーヴは離れてくれない。
男性の力が本来であればこんなに強いのかと今更ながら実感する。ソレイユとはだいぶ違うのだと彼の事がを思い出された。
(ソレイユなら、わたくしが嫌がる事など絶対にしないのに)
「天上神様がこの結婚を認めたのですから、君が否定しても覆りません。つまり君にはもう帰るところもないという事です。要するに切り捨てられたのですよ。父である天上神様からも、そして兄であるルシエル様からもね」
兄の名を聞いてわたくしは抵抗していた手を止める。
「ルシエル兄様も……?」
まさかという気持ちと、真実かもしれないという気持ちがせめぎ合う。
兄様は優しい。
けれどソレイユを殺した。
これまでの事が嘘であってほしいと願うが、自分がここに居るという事は今までの全てが現実だという事である。
「そうですよ。君の味方はもうどこにもいないんです」
否定したいのだけれど、その根拠もない。
「僕の妻として生きるか、それともソレイユのように殺されるか。どちらを選ぶかなど、決まりきってますよね」
どうしてそこで自信たっぷりにいえるのだろうか、わたくしには理解出来ない。
「ならば、殺して」
こんな二択を出されても、迷いなんてないわ。
「ソレイユがいない世界で生きるなんて意味がないもの。どうぞ殺して下さい」
好きでもない男性と一緒になるならば、いっそ死んだ方がいい。
けれどリーヴは顔を歪めるばかりで手を下してはくれなかった。
「駄目ですよ。君の身元はもう僕が引き受けたのですから、僕の許可なしに死ぬなんてさせません」
「あなたが言ったのよ、どちらを選ぶかと。だからわたくしはあなたと共に生きるくらいなら、死にたいと」
「僕よりもソレイユの方がいいというのか!」
リーヴの顔も言葉も突然変化する。
押さえらえれた腕には指が食い込み、苦痛で声が詰まる。
「僕の方がソレイユよりも強いし、地位もある。あんな男よりも君を幸せに出来る。逃がさないよ。さぁ僕とここでずっと一緒に暮らそう」
狂気に満ちた目で見つめられる、逃げたいが骨が折れそうな程掴まれているために後ろにも下がれない。
「どうして、わたくしにそこまで執着するの? 会ったばかりなのに」
リーヴは海王神の息子なのだから、出会いなどそれこそいくらでもあったに違いない。
なのに何故初めて会っただけの女にここまで入れ込むというのか。
「どうしてだろう……あぁ君がとびきり綺麗だからかな」
穏やかそうな笑みを向けられるが、本性を垣間見た今では、そんな上辺だけの言葉なんて信用出来ない。
「そんな見え透いたお世辞、信じませんわ」
リーヴはソレイユをライバル視している、その為に彼が愛したわたくしを手に入れて、自分が上だと示したいのだ。
(好きという気持ちもない癖に結婚しようだなんて、そんなの誰が好きになどなるものですか)
何とか逃げる手立てはないかと周圍を見回すが、ドアまでも遠く、窓の外も暗くて様子が見えない。
海底界というところはその名の通り、海の底にあると聞いている。
ならば窓の外は海なのかも。
泳いだ事はないし、どれだけ水面と離れているのかわからないから、わたくしの力で逃げ切れるかは予想も出来ない。
(けれど、このままこの男の妻になるなんてはごめんだわ)
死んでもいいから窓を割って逃げよう、そう決意する。
「嘘ではないのだけれども、どうしたら僕の愛を信じてもらえるでしょうか」
「……では一度この手を離してください。もう抵抗はしませんから」
「わかりました。信じますよ」
リーヴがようやく手を離してくれる。
掴まれていた腕にはくっきりと指の跡がついていて、うっすらと血が滲んでいる。
「すみません。君が余りにも強く抵抗するから、つい」
そう言ってリーヴがわたくしの怪我に手を翳し、傷を癒してくれる。
生命の根源と言われている海に住む神達は皆癒しの力を使えるそうだが。
(そこまで強い力ではなさそうね)
痛みは引いていくがその速度は速くない。リーヴはこの手の力は不得手なのだろう。
「リーヴ様、もう充分ですわ」
わたくしはリーヴの手に触れてそれを止めさせる。
「けれどしっかり傷を治さないと跡になってしまうかも」
「いいのです、それよりも今は大切な事がありますので」
両手でリーヴの手を包み込むと彼の顔が赤くなるのが分かる。
「あの、ルナリア?」
緊張しているのだろうか、けれどそれはわたくしも同じだわ。
包み込んだ手をわたくしの胸元に寄せればますます顔が赤くなる。何故かしら女性には慣れているだろうに。
罪悪感は少しだけ芽生えるけれど、すぐに消えた。
「ごめんなさい」
わたくしはリーヴの体に神力を注ぎ込む。
「うっ?!」
リーヴの体が見えない糸で手繰り寄せられたように地面へと縫い留められる。
「あなたとは一緒になれません。わたくしが愛するのはソレイユだけだから」