勇者は大きな剣を背に納める。
腰に鞘を持ったのでは大きすぎる、
背中におさめるタイプの大きな剣。
それは透明に輝き、一点の曇りもないように見えた。
「それは勇者の剣?」
ネネはたずねた。
「勇者の剣です。他に名があるのかは知りません」
勇者は鎧の中から答える。
相変わらずくぐもった声だ。
ネネはどこかで、こんな声を聞いたことがある気がした。
くぐもった声ではなく、鎧を通していない声というか。
なかなか思い出せないので、ネネは思い出すのを放棄した。
かわりに話題をふる。
「勇者は何をするの?」
勇者は少し考えた。
そして答える。
「魔を屠るのです」
「さっきのようなの?」
「そうです。そして、魔をばら撒く存在も屠るのです」
「屠るって言うと、悪者みたいだね」
「そうでもありません。実際斬っているのですから」
「勇者は悪者?」
ネネは意地悪してたずねてみる。
「わかりません」
勇者は一言、答えた。
そして勇者は続ける。
「ただ、この剣は迷いがあっては曇りが出来るといいます」
ネネはそっと勇者の後ろに回る。
剣には曇りなどない。
ただきらめき、水面のように静かに。
「剣が曇らない限り、勇者として魔を屠りましょう」
勇者はくぐもった声で宣言した。
勇者はネネに向き直る。
ネネはじっと勇者を見た。
勇者の視線が何を見ているかはわからない。
ネネは勇者が何か重いものを背負っているように感じた。
それは、よく使われる言葉に似ている気がした。
「運命」
ネネはポツリともらす。
そう、運命というものに、勇者があるような気がした。
重たい運命。
誰にも背負えない運命。
「勇者は運命だったら、なんでもするの?」
ネネはたずねる。
「運命どおりに剣を閃かせるだけです」
勇者は迷うことなく答える。
あの大きな剣で魔を屠るのだろう。
多分これからも、勇者は剣を閃かせつづける。
いくつ殺せばいいのだろう。
通り魔が何体いるのか知らないが、
永遠に殺し続けるのだろうか。
それが運命であり、勇者のいる理由なのだろうか。
「勇者」
ネネはたずねる。
「本当の名前はあるの?」
勇者は考えた。
考え抜いて答える。
「思い出せません」
「思い出せない?」
「はい。昔あったような気がします。でも」
「でも?」
「記憶に近づこうとすると、消えるような感じです」
「そうなんだ…」
「朝凪の勇者で十分です。今は」
「今は?」
「これから名前を見つけることがあったら、呼んでください」
「名前が見つかるといいね」
ネネがそういうと、勇者は少しだまった。
そして、話し出す。
「自分の名前を求めるなんて、初めてのような気がします」
「いいんだよ。呼んでほしい名前もあるでしょ」
「そうですね」
勇者の言葉に人間らしさが加わった気がした。
「そう、いつか呼んでください。勇者の名前を」
「それまで、負けないでね」
ネネは言ってから気がつく。
通り魔にだろうか。運命にだろうか。
勇者はそれに負けないでいられるだろうか。
勇者は何か考えて、そして、ネネに片手を出した。
「握手してください」
勇者は少しぎこちなく言う。
ネネは勇者のガントレットを握った。
勇者のガントレットが冷たいながらもネネの手を握り返す。
ネネは、勇者が何かにすがっているように感じた。
「あたたかい手ですね」
勇者に体温が伝わっているだろうか。
そんなことはないと思う。
ガントレットは無骨すぎて、金属の温度しかないような気がする。
それでも勇者はあたたかいという。
だからネネはうなずく。
「だいじょうぶだよ」
根拠なくネネは言う。
「勇者は強いから大丈夫。それでもだめなら、あたしもいるよ」
勇者はガントレットでネネの手を握る。
そしてたずねる。
「あなたの名前を聞かせてください」
ネネはうなずく。
「友井ネネ。ネネでいいよ」
「ネネ」
「うん」
「いい名前ですね」
勇者のくぐもった声が、浜辺に流れた。