ネネは学校の記憶に従い、
屋上まで駆け上がる。
屋上の扉が記憶と違う気がする。
仰々しく、派手になっている気がする。
器屋の言っていた教団の、真ん中に当たるのかもしれない。
「とまれぇ!」
後ろから声がかかる。
「教主様のところへは行かせない!」
この扉の向こうには、教主様がいるらしい。
器屋の手にしたい理の器も、
鋏師が断ちたいレッドラムの線の中心も、
ネネが見たい自分の線の先も、
みんなあの扉の向こうにある。
扉から何かが、にじんできた気がする。
先頭切って走っていたネネは、まともににじんだものを食らう。
通り魔の一種だ!
ネネは感じたが、走ってきた呼吸そのままに吸い込む。
ぐらりとよろけて、階段を落ちる。
「友井さん!」
鋏師が呼びかける。
それをネネは遠くで聞いていた。
信者らしいものと、鋏師と器屋が闘っているらしい光景を見る。
ネネは戸惑う。
何であたしがあそこに転げてるんだ?
起き上がってよ。
何であたしが転げてるのよ。
ネネは動かそうとする。
このネネが念じた程度では、転げたネネは起き上がらない。
ネネは考える。
どうやら通り魔を思いっきり食らってしまったらしい。
レッドラムの線の近くにある通り魔は、
多分純粋に、「魔」というものなのかもしれない。
それは毒に近いのかもしれないし、
食らったら、やばいものなのかもしれない。
死んではいない気がする。
けれど、どうにか戻りたいと思う。
鋏師が信者の線を断つ。
信者は階段を転げ落ちていく。
ネネは踊り場で転がっている。
ネネは戸惑いながら、転げたネネに近づく。
空を飛んでいる感覚。
下に何もないのが心もとない。
ネネは自分の身体に触れてみる。
瞬間伝わる悪い痺れ。
通り魔が巣食っている。
ネネは自分の意識を自分の身体に入れる。
転げたネネには暗いものが満ちている。
この暗いものが身体を動かすようになっちゃいけない!
ネネの意識でそう思うと、
ネネは自分の身体に折り重なった。
ネネの意識は暗いところにいた。
ステージのような場所に、スポットライトが当たる。
「勇者になれないんだぞ」
形のない言葉が浮かび上がる。
それはネネの心の奥にある、小さな傷。
「勇者になれないから、お前はだめなんだぞ」
「人としてだめなんだぞ」
「生きていても勇者にはなれないんだぞ」
「死んでしまえばいいんだぞ」
言葉は傷を広げようとする。
「お前がいなくてもいいんだぞ」
「死んじゃえばいいんだぞ」
声が響く。
死ね、死ねと繰り返し。
「自殺しちゃえ」
「屋上から飛び降りちゃえ」
「血まみれでぐしゃぐしゃになっちゃえ」
「お前なんかいなくてもいいんだ」
ネネは静かに、ステージのほうに向かう。
「死ね、死ね」
「自殺、自害」
声が繰り返す。
ネネの意識は、朝凪の海のようにないでいる。
ネネはステージの上に立つ。
「死」
「うるさい」
ネネは見えない声の主をむんずとつかんで殴り飛ばした。
「ぎゃ!」
見えないはずなのにネネには声の主が見えていて、
けんかした覚えがないのに、殴り飛ばしていた。
「あたしは死なないよ!」
ネネはステージの上で高らかに宣言する。
「自殺なんて絶対しないんだから!」
ステージの端で、ひぃと言う悲鳴が上がる。
「どんなに心の傷を広げても、あたしは負けないんだから!」
「お、お前は、勇者になんかなれないぞ」
見えないけれど逃げ腰の声がネネの傷を広げようとする。
「うるさい」
「ひっ」
ネネがぴしゃりというと、声は逃げていったようだ。
ステージのスポットライトがなくなる。
ネネはまた、暗い中に放り出された。
泣き声が聞こえる。
ネネの心の傷の声。
勇者になれないと泣いている声。
さっき傷を広げられて、とても痛んでいる声。
この暗がりの奥に、ネネは気配を覚えた。