ハヤトはネネに気がつかず、
一心不乱といった感じで本を立ち読みしている。
ネネはそっと近づく。
気配を消している気分。
ハヤトは気がつかない。
ネネはそっとハヤトの立ち読みの本の、表紙を見る。
華道の本だ。
「あ」
ネネは間抜けた声を上げる。
さすがにハヤトも気がつくだろうと思ったが、
ネネには何の声も降ってこない。
そっと顔を見れば、何事もなかったかのように、
華道の本に没頭している。
何で華道の本に夢中になっているのとか、
何でネネに気がつかないのかとか、
ネネは思うところいろいろある。
だからそっと手を上げると、ハヤトの耳を引っ張った。
「うわ」
さすがにハヤトは気がついたらしい。
立ち読みしていた本を落としそうになる。
あわてて本を直すと、ハヤトはようやくネネを見た。
「友井」
「ようやく気がついた?」
「うん」
ハヤトはうなずいて、華道の本を棚に戻す。
「何でまた華道?」
ネネは直球を投げる気分になる。
ハヤトはいつものように、ぼそぼそと話し始めた。
「月曜日に友井を描くに当たって」
「なんでまた」
「んー」
ハヤトは言葉を選んでいるようだ。
「絵画に美しいってのは、山ほどあるんだ。印象派とか写実派とか」
「言葉だけは聞いたことある」
「うん。でも、華道で美しいって、どう表現すればいいかなと」
「それで読んでたわけ?」
「華道はすごいな。美しい形を伝統にしているよ」
「あたしはそこまで至ってないけどね」
「俺は絵画描くに当たって、いろいろ試してみるけど」
「うん」
「華道の美しさにも、触れてみたいと思うよ」
「そりゃよかった」
ネネはうんうんとうなずく。
ハヤトもうなずく。
「俺が思うに」
ハヤトはぼそぼそと話し出す。
「無駄なことってないと思う」
「そう思うの?」
「うん、華道の本を立ち読みすることも、俺には無駄にならないと思う」
「月曜にあたしを描くから?」
「形を得ることの、基礎みたいな物もある気がするんだ」
「基礎かぁ」
「礼儀とか、手順とか、洗練されたものが残されていくと思うんだ」
「茶道のほうが顕著かもね」
「うん、それでも友井がいる世界をのぞきたかったんだ」
「なるほどねぇ」
ネネはうなずく。
「友井はどうしてここに?」
「華道の本を立ち読みしようと思ったら、ハヤトがいた」
「あ、そうなんだ」
「そう」
ハヤトはだまる。
「あの」
ハヤトがボソッと言い出す。
「なに?」
「コーヒー飲みに行かないか?」
「いいよ。本は買わないの?」
「買うなって言われたんだ」
「なんでまた」
「俺の部屋、資料の本と画材でめちゃめちゃなんだ」
ネネは想像する。
めちゃめちゃの部屋。
資料の本が山になっていて、
画材が何かはわからないけれど、
油絵はにおうと、どこかで聞いた。
そんな部屋で絵を描くハヤト。
どこかの映画監督を連想した。
イメージの中に閉じこもり、やがて生まれる芸術。
「結構いいかもね」
ネネはなんとなしにそんな言葉を言っていた。
「いいのか?めちゃめちゃの部屋だぞ」
「ハヤトらしい」
「なんでだよ」
「らしいからしいんだよ」
「なんだよそれ」
「芸術に言葉は要らないよ」
ハヤトはだまってしまった。
「じゃ、コーヒー飲みに行こうか?」
ネネが促す。
ハヤトはうなずく。
ちょっとだけ残念そうに、華道の本の棚を見る。
「いつもここに来れるわけじゃないんだよな」
「じゃあ買っちゃえば?」
「うー」
ハヤトはうなり、考える。
家族に止められていることを優先すべきか、
自分が本を買うことを優先すべきか。
部屋はめちゃめちゃなんだろう。
そこにさらに本を置いて大丈夫か。
そんなことを多分考えているのだろうとネネは思う。
「買う」
ハヤトは棚から華道の本を引っ張り出すと、
レジに持っていった。
ネネは心の中で笑った。
衝動に負けてしまうあたり、ハヤトも普通なんだとネネは思った。