遠くで声がする。
わぁわぁという声。
小さな公園は、隔絶されたように、静かにある。
木々が木漏れ日を作っている。
さわさわと風の通る音がする。
ネネはハヤトにもたれかかった。
荒れた手を握る。
「ともい?」
「しばらくこうしてて」
「うん、ああ」
ハヤトの心臓の音が近くにあるような感じ。
命の音だ。
もしかしたら、ネネは大型車にはねられて死んでいたかもしれない。
命の音がなくなっていたかもしれない。
あたたかい熱が身体を駆け巡っている。
ネネは安堵する。
まだ、生きてる。
タミに救われたのだろうか。
タミが起こしたことなのだろうか。
タミがレッドラムの線を使って、
大型車を暴走させたのだろうか。
確たるものは何もない。
同じように、ネネがハヤトに抱く感情だって、
確たるものは何もない。
ハヤトが朝凪の町を知っているかもしれないことだって、
確たるものは何もない。
何もかもぼんやりでも、
ネネはハヤトのぬくもりを感じる。
命が、ある。
木漏れ日はきらきら。
あたたかい風が吹く。
遊具がわずかに揺れる。
ネネは朝凪の町の公園を思い出す。
粘土細工師がいたなと。
あの人もへんてこな人だったと。
心を開いて行けと言われた。
どんな状態が心を開くことなのだろう。
多分ハヤトにもたれかかっているこの状態が、
心を開くことに近いのではないかと思う。
ハヤトが何を考えているか、わかるわけではない。
けれど、ぬくもりがうれしい。
ハヤトもネネも生きている。
それが素直にうれしい。
「友井」
「うん?」
「落ち着いたか?」
「うん、なんとなく落ち着いたよ」
「そうか」
ネネはそっと身を起こす。
「とにかく怪我もなくてよかった」
ハヤトは心から安堵したようにつぶやく。
ネネは素直にうなずく。
「これからどうする?」
「駅のほうは騒がしいだろうからなぁ」
「俺は帰ろうかと思う」
「あたしも帰ろうかな。バスが来てくれればいいけど」
「そうか。雑貨屋はどうする?」
「騒がしい中を突破する元気はないよ」
「それもそうだ」
ハヤトが立ち上がる。
「帰って、明日の画材を選ぶか」
「気合いれなくてもいいよ」
「俺の最高を描きたいからな」
ハヤトは珍しく、微笑む。
「最高の題材だし、そりゃ気合も入るって物さ」
ぼそぼそしたハヤトの声が、
いつもより明るく感じる。
「最高の題材?」
「ああ」
ハヤトはうなずく。
「友井と華道、最高じゃないか」
「最高なのか」
「最高さ。だから最高の状態で描きたい」
ネネは少し照れる。
臆面もなく最高といわれるのが、くすぐったい。
ハヤトはいつも、ぼそぼそか、だまっているかだけど、
本気になったことに関しては、
子どものように無邪気なのかもしれない。
「それじゃ、バス停まで行くか」
「うん」
ネネも立ち上がる。
ハヤトの手を握ったまま。
荒れたあたたかい手。
ネネはいつだったか、
荒れた手が離れていくのを感じた気がする。
暗闇の中に取り残されるような。
ネネは歩き出す。
ハヤトとともに。
ハヤトは戦いに行かないでほしい。
ネネはおぼろげに、そんなことを思う。
朝凪の町にいたとしても、
戦わないでいて欲しいと思う。
美しいものを作り出しているであろう手を、
汚して欲しくないと思う。
荒れた働き者の、あたたかい手を、
戦いに染めて欲しくないと思う。
平和なこの国では、戦うなんてないけれど、
もし、朝凪の町でハヤトを見つけたら、
ネネは戦わないでと言いたいと思う。
ハヤトは朝凪の町のことを覚えていないようだけど、
ネネは、ハヤトに戦って欲しくない。
失いたくない。
戦いで失いたくない。
ハヤトを失いたくない。
多分ただの友人でない感情。
ネネはその感情の名前を知らない。
けれど、失いたくないと強く思った。