「俺が……貴方達に?」
「ここじゃ無駄に騒ぎになる、場所を移そう」
真っ直ぐながら腹の中までを読み切らせない顔はシリウスの真骨頂。
誠実でありながら謎を魅せる彼の粧いは言葉は少なくともロッテの気を引かせる。
食堂を抜け出した一行が選んだ新たな交渉の場は人気のない校舎裏の中庭だった。
「そんな強張るな、別に君を殺したり食ったりすることはない」
年季の入ったベンチへと促されたロッテは恐る恐る純朴に反した筋肉質な肉体を下ろす。
「裏切る……ってどういうことですか? 俺に一体何を望んで」
「結論から言えば君には調査の依頼を行いたい。対象はクルミ・アクセルロード、彼女の身辺調査から過去に至るまで分かることは全て。望むのならできる限りの対価を渡す」
「なっ俺が部長のことを!?」
堪らずロッテは身を乗り出すがシリウスの鋭い瞳が彼を強制的に制止させる。
節々に表れている冗談さのない本気の様子は王族の娘としてそれなりの礼節と弁が立つリズでも静観を余儀なくさせた。
「君は彼女からノウハウを学んでいるんだろう? 人っ子一人の身包みを剥がすのは容易なはずだ」
「そりゃ素人じゃないですよ、しかし……何故ゼベラではなくあの人を? 仮に主犯がゼベラの仮定なら彼女の弱みを探ったほうが」
「奴が俺達を脅せているのはクルミちゃん先輩が持つあの音声があるからこそ。つまり脅威じゃないんだよ、あの女自体はね」
「リファインコードの能力ですか……もし部長がこちらに寝返れば交渉カードは破綻する。そうすれば貴方達は手枷が外れる」
「流石は記者倶楽部の副部長! 察しがいい子は魅力的だね」
女誑し、いや人誑しと言える心の懐へと巧みに忍び寄るシリウス。
全ての鍵を握るのはクルミ、彼女の動向こそが今後の運命を決めると言っても過言でない状況をロッテも薄々と察する。
「あの時、彼女はゼベラの支配下にあったが心から奴に心酔してる素振りもなかった。まるで渋々従ってるみたいな?」
「まさか部長が弱みを握られていると!? であの人が不祥事を犯したことなんて……」
「それを確かめる為に君に頼んでいるんだよ。つけ込めたらこっちのもんだ。あっそうだ、良ければこれも調べて欲しい」
思い出したようにシリアスはあの時にクルミから強奪した写真達をベンチへと並べる。
合計で六枚、大半はフォルトゥナゲームの対戦記録であろう場面を写した熾烈な争いが繰り広げられているプレイヤーの写真ばかりだが。
「えっ……何この写真?」
「お目が高いねリズちゃん」
一枚だけ他とは明らかに一線を画す異質な写真がリズの目に止まった。
写し出されているのは朗らかな笑顔を向ける白ドレスを着込んだ茶髪の少女。
憂いた雰囲気を醸し出しながらも前向きな姿勢が見れる明るい一見すると何の変哲のない自然体なスナップショットだ。
「大体はフォルトゥナゲーム時の写真、だからこそこの少女がかなり浮いている。ロッテちゃん、君はこの写真について知ってることは?」
「いえ特には……こんな写真を持っていたなんて初めて知りましたし」
「最初は落ちた写真拾っただけなんだけどさ、これ気になるよね〜このかわい子ちゃん、調べる価値はあると思わない?」
偶然の産物、だが高い高い障壁である真実の探求者へと付け込めるかもしれない数少ない鍵。
この少女は誰なのか、闇を知らないような笑みを見せる写真を何故あの場で有していたのか。
その領域へと踏み込める資格のある者は今ここには一人しかいないだろう。
「これは俺達の為だけじゃない、きっと彼女の為にもなると俺は信じている。何故孤高であるはずの存在が魔女の手に堕ちたのか……副部長として知っとくべきじゃない?」
写真を手に取りながら、シリウスは真剣そのものの眼差しで彼を掴み取る。
尊敬していた人が何故自分も恨みつらみを持つ相手に堕ちているのか……暫くロッテは心臓の鼓動を聞きながら沈黙を続ける。
だがやがては深呼吸の末に、決意を固めた鋭い翡翠色の瞳をシリウスへと投げ掛けた。
「分かりました、俺だってその話を聞いて黙っていられる人間じゃありません。部長には負けますけど……俺だって誇り高い記者、もし部長が嵌められているのだとしたら……俺は許せない」
立ち上がったロッテは瞳に紅き閃光を走らすと手元には彼のリファインコードが顕現。
魔方陣は身体へと纏わりつくとやがては黄金に輝く輪として彼の四肢に装備された。
「ずっとこんなリファインコード意味ないって思ってましたけど使える日が来るとは。俺のフェイク・ストックは対象の存在感を操作できます」
刹那、姿が消失したロッテはシリウスでも気配できなかった背後へと回り込んでいた。
肩を叩かれたことでようやく姿を認識したシリウスは猫のように身を飛び上がらす。
「うぉビックリした!?」
「こんな感じで。戦闘向けではないですけどこの能力があれば部長を出し抜けるかもしれません」
「へぇ……こいつはスゲェな、彼女が君を副部長に選んだ理由が分かった気がする」
「期間は二日間でしたね? 一日で片付けます。お二人はどうか騒ぎを起こさないよう、ここはこの俺、ロッテ・ティーファルスにお任せを!」
頼もしさを纏う笑顔と共にロッテは存在感の操作で二人の視界から喪失する。
荒削りながらも確かな熱さを見届けたシリウスは脱力したようにベンチへと腰掛けた。
ため息を吐きながら微笑を浮かべる彼の様子にリズもまた隣に腰を落ち着ける。
「全く……大胆なことするわねアンタも。仮にもクルミ先輩の右腕に裏切りを持ち掛けるなんて。成功しなかったらどうするつもりだったの?」
「そん時はそん時だ、奴らがクレバーな戦いを好むならこっちだってクレバーに行く。ぶっちゃけ一か八かだったけどな」
慌てたような仕草とは裏腹にシリウスは意地の悪そうな笑みを覗かせる。
「残念ながら俺達には彼女ほどの卓越した調査能力はない、だからこそ必要なのは協力者だった。クルミちゃん先輩の懐へと忍び込める者がな」
「それで白羽の矢が立ったのが彼。想いを利用する形なのは申し訳ないけど……」
「ロッテちゃんの為になるはずさ。とにかく最優先はあの音声をどうにかする、クルミちゃん先輩が寝返る材料を得ることだ」
「そうね……でも大丈夫かしらあの子、いくら情報のプロとはいえ一日で調査を終わらすなんてこと出来るのかしら?」
動きが制限されてしまってる以上、今はロッテの力に全てを委ねるしかない。
とは言いつつも……果たして一日で遂行できるのかとリズは一抹の不安を隠せずにいた。
早いに越したことはないが長いようであっという間に過ぎる一日という時間。
この絶体絶命を打破できるのかと半信半疑の心に包まれていたリズだったが。
「終わりましたッ!」
「「早っ!?」」
時間にして一日、いや一日すらも経っていないかもしれない。
場所は人気のない図書館、一夜を得ての翌日、気長に待とうと授業終わりの昼休憩に労を癒そうとした矢先だった。
目に隈を付けながら帰還したロッテがズッシリとした紙束で二人を唖然させたのは。
今の彼が極限的であることを意味するように疲労をアドレナリンで無理矢理カバーしている様子は素人目にも見て取れた。
「掴めるだけ掴みました……きっと貴方達と部長の助けになると思うっすよ」
「マジか……副部長スゲェ!」
「何の……俺は部長の一番弟子、これくらいの作業はお茶の子さいさいっす!」
自分から提案したとはいえ、想定を遥かに超えたスピードに思わずシリウスは笑うしかない。
感動する彼を横目に奔走したロッテは自身が得た紙束でテーブルを埋め尽くすと指差しを含めながらロッテは実態を明らかにしていく。
「部長の前にゼベラついて。他のナイン・ナイツと違い、二年前から親眷が御高齢故に一人娘の彼女が当主として実権を握っているっす。最近では報道機関に莫大な支援金を送っているそうで」
「ということは現状アリアンロッド家は彼女の独裁、思いのままってことでいいのね?」
リズの質問にロッテは首肯を行う。
「それで間違いないっす。彼女自身は大の男好きらしく配下に自分のお気に入りを親衛隊として侍らせているみたいっすよ。噂によれば親衛隊の皆さんとはソッチの関係も結んでいるとも」
「ソッチって……まさかエッチ!?」
「エッチっすね、屋敷での私生活はかなり乱れてるとの情報も獲得済みっす。詳細聞きます?」
「エエエッチの詳細なんて聞きたくないわよ!? なんて破廉恥な……ドスケベ女じゃない!」
(そういや……百年前の当主も毎日違う男娼を呼んでたような気が。恐ろしいねあの一族)
赤面するリズを横目に過去の出来事を思い出してしまったシリウスは寒気に見舞われる。
あの戦いでもし彼女を受け入れていたら貞操を奪われていたと思うとゾッとするしかない。
「まぁつまり彼女は政府にも口を出せるポジションで男達と悦楽の日々を送っているっす、だからこそ不思議なことがあります。何故
「女好きでもあるとか?」
「そんな情報はなかったっす。いやソッチかと思いましたけど……逆に言えば欲望以外の何かが因果として絡んでいると考えられます。例えば部長が持つ能力を欲しかったとか」
「確かに獲得したくても変な話ではないな。俺が奴らの立場だとしても出来ることなら飼い慣らしてはおきたい狂犬だ」
ロッテの実力を見れば彼の師匠であるクルミが如何に驚異的であるかは全員が理解できる。
薬にも毒にもなり得る力を持つ彼女を手に入れたいと考えるのは至極当然の心理だろう。
「ただ部長はあぁ見えて無欲ですし金や権力に興味がありません。自身の弱みになり得る不祥事は人一倍気にしていた人っす。チャラい雰囲気ありますけど根は真面目で慎重ですから」
「とすると、やはり鍵になるのは」
「この写真の少女、ご推察の通りです」
やはりキーマンとなるのはシリウスが強奪していた例の少女の写真。
淡い茶髪を靡かすこの美少女、一体この人物がクルミにとっての何者なのか。
謎めいた二人の少女の実態を明かすべくロッテは次なる一手とある古びた施設が写し出される写真を机の上へと提示した。
「何だここ?」
「レヴィーランズスラム街に位置する保護施設、今はマンハンター部隊によって閉鎖されてますが身寄りの無い子供を対象とした孤児院っす。流石に潜入までは無理でしたが……関係者の証言の結果、部長はここの出身でした」
「えっ、クルミちゃん先輩孤児院出身!?」
「当時関わっていた関係者を探して確認を取っていますから確かな情報でしょう。そしてこの少女は部長と同時期に孤児院に在籍していた、その名は」
ケー・A・クラリス__。
「部長と深い親交のあった孤児院の子のようです。お花が好きな心優しい良い意味で普通の子、しかし俺はこの存在こそが鍵を握ると睨んでいます」
良くも悪くも当たり障りのない雰囲気。
孤児院出身のお花好きの少女、肩書きだけなら人畜無害な人間に過ぎない。
到底この歪を極めたアリアンロッド家との関わりなど皆無に思えるがロッテは間違いないと断言を口にした。
「どうしてこの子が? 綺麗な趣味を持つかわい子ちゃんじゃないか。この子は今何処に?」
「……いません」
「えっ?」
「彼女は……もういません」
「いないってこの国にってこと?」
「だったらまだこんな悲しい気持ちにならずに済んだんですけどね」
それまで軽快に言葉を紡いでいたロッテだが何処かやるせなく言葉を詰まらせる。
口元を抑えながら瞬きを早くさせるとやがては知ってしまった悲劇を言葉として奏でたのだった。
「彼女はちょうど一年前……この孤児院内で既に