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第30話 永遠なるフリージアよ

「ガハッ……!?」


 現実への急転直下。  

 惨状と化した大庭園の中、意識の檻から引き戻されたゼベラは身体を無理やり起こす。 

 乱れた黒髪、破けたドレス、プレイヤーを見下ろしていた荘厳さは見る影もない。


「負けた……? 違う、そんなはずがッ!」


 全身を走る痛みがこの最悪の聖戦の結末を雄弁に物語っていた。  

 このゲームにおいて再起不能は即ち敗北、敗北は学園からの脱落リタイアを意味する。  

 まともに動けぬ身を引きずりながらゼベラは必死に現実から目を逸らそうとする。


「いいや、これが現実さ」


「ッ……!?」


「この学園にお前のポジションはない。いや、この国においてのポジションもな」


 静かにして鋭利な宣告。

 振り返ったその先には自身へと切っ先のような鋭い瞳を向けるシリウス達の姿。  

 部下を蹴散らし、合流したリズ等も含めて全員がゲームに敗れたゼベラを見下ろす。


「あっ……なっ……」


「ゲームオーバーだゼベラ、お前もアリアンロッド家も仲良くご退場だ」


「ふざけるな……私が負けたですってッ!? あり得ないわよ何でそんなことになるのッ!? アンタ達みたいなゴミクズ相手にこんなッ!」


 そこまで言葉を紡いだ瞬間だった。

 最後まで敗北を認めようとしないゼベラの傲慢についにクルミの怒りが爆発する。  

 首が絞まるほどに彼女はゼベラの胸倉を掴むと空中へと持ち上げた。


「この期に及んで……開き直んなッ!」


 バギァッ__!


「あぐぁっ!?」


 振り抜かれた渾身のストレートは顔面へと命中し、つい地面へと尻もちをつく。

 完全にパワーバランスが崩壊した状況にアリアンロッド家の栄光など何処にもない。

 最早哀れみすらも抱く彼女の醜態へと向けられる蔑みの瞳はゼベラを怒らせる。


「こんな奴に支配されてたなんて……最ッ悪、マジでないわ」


「何なのよその目……私に向けてッ!」


 屈辱に燃える瞳が再び怒りに染まる。  

 脱落など今はどうだっていい。

 せめてこの輩共を血祭りに上げようとと即座にリファインコード顕現。

 死なば諸共と理不尽なる暴力で道連れにしてやろうと足を踏み出した瞬間だった。


「えっ?」


 雷鳴のような音が空気を裂く。  

 瞬間、目を焼くような閃光。

 そして彼女に訪れたのは絶望だった。  

 ゼベラ愛用の武器、ノワール・プロヴィデンスは音を立てて砕け散ったのだから。


「なっ……!? 何がッ、私のノワール・プロヴィデンスがッ!?」


 襲いかかった急展開に一同は何事かとゼベラの焦りようを凝視していたが思い出したようにリズは言葉を紡ぐ。


「まさか……ホワイトファングのペナルティ?」


「ホワイトファングってあの運営組織の?」


「えぇ、ゲーム後の暴力行為に第三者への攻撃、ホワイトファングがルール違反と判断した者はリファインコードの権限を剥奪される。その瞬間は初めて見たけど」


 運営母体も構成員も不明、存在すら都市伝説と囁かれるホワイトファング運営委員会。  

 その名ばかりとも揶揄されていた存在が目の前で現実として猛威を振るう。

 ナイン・ナイツの一角、圧倒的と言えるゼベラの力は有無を言わさずたった一瞬で無に帰することとなった。


「ハッ……ハハッ、アッハハハハハハハッ! これじゃ全部おしまいじゃない……ぜ〜んぶおしまいだァァァァァァァッ! アッハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハッ!」


 同時に消え去るゼベラの理性。

 完膚なきまでにプライドと権威を破壊され、何もかもを失った魔女は甲高く笑う。

 どうしようもない詰んだ未来に悲観をしながら壊れた玩具のように木霊する。

 欲のままに多数の運命を踏み躙ったナイン・ナイツの末路は目を当てられないほどに悲惨なものであった。


「……殴る気も起きない、そうやって自分で自分の首を絞めたことを一生後悔してろ」


「ヒィッ!? 来るな……私に触れるな、触れるなァァァァァァァァァァァァァァッ!」


 今の彼女は何の権限もないただの獣。

 クルミからの殺意の形相に精神の根幹が破綻したゼベラは子供のように凄まれた瞳に背を向け逃走を行う。

 暫しの間、耳を裂くような哀哭が宙を切り裂くがやがて静寂がその全てを呑み込んだ。


「完全にぶっ壊れたな。まっこれからの地獄を考えりゃ壊れてた方がマシか」


『全てを失った魔女の結末がこれとは……追い詰められれば誰だろうとか弱い子供ですか。何と滑稽な幕切れでしょう』


 魔女の哀れなラストはカリバーも呆れを通り越した感情に包まれる。

 運命を弄んだ魔女との結末は実に呆気なく、そして滑稽な物であった。

 絶望へと敗走したゼベラの姿にクルミは脱力したようにその場へへたり込む。


「部長ッ!? 大丈夫っすか?」


「えぇ……大丈夫、ちょっと力抜けただけ。色々と迷惑かけたねロッテ。こんな情けない部長でごめんなさい」


「謝らないでくださいっす。俺だって……シリウスさん達に声を掛けられるまで何も出来なかった人間……副部長として俺も同罪っす」


 顔全体に滲む疲労感。

 思わず駆け寄ったロッテを微笑で出迎えると魔女を殴った拳は僅かに震える。

 己が背負った罪と罰、その運命が作られし物だったと受け入れたクルミはもう一度立ち上がるとシリウスへ感謝を紡いだ。


「……ありがとうシリウス、貴方がいなきゃきっとあーしはまた罪を重ねて……色んな人を傷付けていたことに「クルミ」」


 そう懺悔の言葉を口にしようとした瞬間。

 被せるように放たれたシリウスの力強い呼びかけにクルミは思わず言葉を詰まらせる。

 穏やかながらも瞳の奥に潜む真剣さを纏う雰囲気は周囲へと違う緊張感を齎す。


「まだ終わっちゃいない、君はまだこの悲劇の全てを知っていない」


「全て……?」


「昨日の孤児院での話さ、君達と同じくリズちゃんにもある頼み事を依頼していてね。それがキッカケで彼女はあの場に遅れたんだけども。例のものはちゃんとあったかなリズちゃん?」


「勿論、しっかり手に入れたわよ」


 アイコンタクトを行ったリズは深呼吸の末にクルミの目の前へと姿を現す。

 よく凝視すれば彼女の指先には何故か土が染み込んでいることが確認できる中、シリウスはロッテの肩へと手を回す。


「じゃ、後は二人で。女の子同士の方が話しやすいこともあるだろ? 野郎どもは退散しておこうぜロッテちゃん?」


「えっあっ……は、はい……」


 半ば強引に男達が去った後、正反対な雰囲気を纏う乙女二人は互いに鋭い瞳を合わす。

 普段の勝ち気な顔つきとは違う穏やかさに包まれるリズは一歩を踏み出すと土を被った無地の白封筒を懐から取り出す。

 少しだけ曲がった折り目は当時の様子を物語っており、その代物が手紙であることを察するのはクルミにも容易だった。


「それは……手紙?」


「感謝はシリウスにしてください。これを見つけられたのは彼の提案あってこそなのだから」


 恐る恐る受け取った封筒の下部には力強く筆跡が刻まれていた。

 『親愛なる友人へ』という簡潔ながらも誰からの差出人かを察知させる命題と共に。

 焦りを感じさせる乱雑な文字だが節々に上品さも彷彿とさせる形にクルミは驚く。


「なっ……え……これはッ……!?」


「あの孤児院にはきっと死人の魂が眠っている、それを探し出してくれ……彼が何を言っているのか最初は分かりませんでしたが確かにありましたよ。常に聳えていたあの巨木の下にこの手紙が」 


「ケーの……手紙」


 宝石をなぞる様にぱりぱりと音を立てながら折り目に沿って開かれていく。

 文字はインクが滲み、筆跡の震えにかつての書き手の想いが宿っているようだった。

 無機物ながらも節々に生気が宿る不思議な死人の置き土産はリズもケーの過去を追体験するような感覚に陥る。


 誇り高い、そして愛しいの友人へ__。


 この隠した手紙が貴方の手に渡っていることを私は切に願っている。

 もう私には時間がない、一日も満たずにマンハンターに逮捕される。

 きっと誰かが貴方を嵌めたんだ、勇敢に皆を助けて世界の空気に挑もうとする貴方を。


 私は弱い人間……捕まったらきっと彼等が与える痛みに耐えられることは出来ない。

 嘘までを全て真実にされてきっと貴方にも孤児院の子供達にも危険な魔の手が渡る。

 それは出来ない、私のせいで未来を変える力を持つ貴方の運命を踏み躙るなんて。


 こうすることしか思い付かないの。

 貴女を守る選択が……これしか思い付かない。

 全部私のせい、私があの花を育てたから、私の存在が貴方に隙を生ませてしまった。

 ごめんなさい、どうか自分を責めないで、この死はきっと絶望にはならないから。


 お願い、クルミ。

 貴方は自分の信じる道を進み続けて。

 これが私の最後の願い……決して貴方は立ち止まらないで。


 貴方が信じていた正しさは本物だった。

 誰も見やしない痛みを拾って、誰も聞こうとしない声を届けようとした貴方の言葉は。

 孤児院で貴方は光だった、声を上げようとする貴方の姿は私にとっても希望だった。


 だから汚名を被るのは私だけでいいの。

 何を聞かれても全て私に被せればいい。

 でも、こんな終わり方でも私はせめて貴方だけにはありのままの本当の思いを伝えたかった。


 貴方の言葉は人を動かす。

 世界を変える力を持ってる。

 その手を誰にも奪わせないで。

 どうか、どうか、貴方だけは。


 もし貴方が何かに苦しむことがあるなら……その背中を私が押していると思って。

 私はいつだって貴方の味方、場所は変わってしまったけどずっと見守っている。


 貴方の手が届く未来の先で私の願いが風に溶けて誰かの心に咲きますように。

 ありがとうクルミ、短いけど貴方と出会えて私は本当に幸せだった。


 愛してる。

 ケー・A・クラリス__。


「えっ……あっ……」


 言葉が詰まる。

 自分が彼女を殺したのだと自己暗示の罪には優しく温かい風が刹那的に吹き込む。

 綴られている一文字一文字に彼女の誇り高い覚悟が随所に醸し出されていた。


「運命に狂わされた悲劇の少女……でも彼女の魂は決して絶望はしていなかった。全てを託して誇り高く散ったのだと私は思います。そして彼女の覚悟が今ここであの魔女を打ち破った」


 補足するようにリズは慎重に言葉を選びながら口元を抑えるクルミへと声を奏でる。

 決して彼女は敗者でも無力でもない、自らの命を懸けて行った覚悟が勝利を呼び込んだのだと。


「死を美化するつもりはありません。彼女にも生きていて欲しかった……けどその魂はしっかりと私達に伝わっています。誇り高き魂は決して死ぬことはない」


 その後の彼女を知るのはリズの記憶だけ。

 クルミと同じく運命に狂わされ、運命を恨んでいたリズは沈痛な面持ちで受け止める。

 魔女が引き起こした悲劇を全て流すように蒼き空は二人を包み込むのだった。




「……終わったかい?」


 数十分後、人気のない校舎裏の壁に寄りかかっていたシリウスはリズの登場に笑顔を見せる。

 何とも言えない感情に包まれている彼女の様子は言葉に出さずとも乙女達の間に何があったかを察知させた。


「えぇ……ロッテは?」


「副部長ちゃんは念の為にってことで医務室へと行かせたよ。クルミちゃん先輩は?」


「一人でも真実を受け止める時間が欲しいと。暫くは一人で考えさせる時間が必要よあの人には。彼女が受けた痛みは計り知れない」


「全てが明るみになっても辛いものは辛い、人間って失った物だけを数える癖があるからな。誰だろうと治ることはない癖が」


 珍しく感傷に浸るシリウスは優しい音色でリズへと持論を語り掛ける。

 紆余曲折の末に辿り着いた真実は何とも言い難い悲壮感と希望が入り混じっていた。

 椅子取りゲームから始まった壮大な真実に二人は暫しの間、無言の時間が生まれる。


「まっ、それでも明日に進めてしまうのが人の強さだけどな! はぁ〜いやぁ大変だったね、こういう日は可愛い子猫ちゃんにナンパして癒されるのが最高ってね〜!」


 再度口火を切ったシリウスは締めの言葉を口にするとゼベラ・アリアンロッドの撃破に喜びつつ普段の享楽さを取り戻していく。

 完全なる結末を迎えたアリアンロッド家と真実の探求者の因縁……だが彼とは正反対にリズには一つだけ疑問が残されていた。


「待って、まだ全て解決はしていない」


「へっ?」


 突如吐かれた言葉に素っ頓狂な表情でシリウスは思わずリズへと振り向く。


「ちょいちょいどうしたのリズちゃん? あっもしかして俺ちゃんのイケメンっぷりももっと知りたいとか!」


「……何で分かったの」


「分かった?」


「ケーが残した手紙、あの存在は全くと言ってヒントになる伏線はなかった。でもアンタはまるで予知していたかのように直感であの手紙が孤児院にあることを的中させた」


 語気は段々と強まり、つい視線を反らした未だに謎の多い王子様へと詰め寄る。


「どうして……どうして分かったの? 直感にしたって何かしらの要因があるはず。アンタは何があって……真実を見抜いたの。何のヒントもなかったあの状況から彼女の遺した魂を」


 緊迫する空気感。

 真っ直ぐに迫るリズにシリウスは表情を一瞬だけ曇らせると直ぐにも笑みに包まれる。

 踵を返し、背を向けた彼は僅かな吐息の後に優しく言葉を投げ掛けた。


「手が届かなかった者の気持ちが俺には痛いほど分かる……とか?」


「えっ……?」


「守りきれなかった人間の気持ちは色々と分かってしまう身でね、それだけ言っておくよ。じゃ、お疲れ様リ〜ズちゃん!」 


「あっちょ、まだ話はッ!?」


 立ち去ったシリウスの背中をただリズは見つめることしか出来ない。

 だが、彼女は確かに察知した、質問に答えた声は僅かに哀悲が滲み出ていたことを。

 頼もしい王子様の姿には何処か不穏な物がリズの視界を見え隠れする。


「シリウス……アンタは一体」


 神にも匹敵する速さを持つ女好きの最強。

 だが近くも何処か壁を感じる、未だに多くの謎を孕んだシリウス・アークという存在。


「何があったというの……?」


 明かされた数多の真実と残された一つの謎。

 問いただした疑念に返された言葉にリズはただそう消え入るように紡いだのだった。



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