「……さぁ、ここからが本番ってやつだ。覚悟なんて、とうに済ませてるさ」
張り詰めた声。
揺れる空気の中、不敵に笑うその表情。
静まり返る教室にはまるで儀式の始まりを告げるような緊張感が漂っていた。
「誰が来ようが、まとめて相手してやる。俺は全てを受け止めてやるよ」
視界を埋め尽くす数多の視線。
迫る聖戦に彼はゆっくりと腰を上げる。
時計の針が天を刺す瞬間、沈黙を切り裂く号令と共にそれは始まった。
「さて子猫ちゃんたち、サイン会開幕だ!」
「「「キャァァァァァァァァァァ!!」」」
爆発する黄色い悲鳴。
机いっぱいに広がる色紙の山を前に、シリウスが腕を広げるや否や、女子生徒たちは飢えた獣の如く王子様に突撃を開始した。
一言目にはカオス、二言目には修羅場、三言目は乙女戦争勃発である。
「ちょっとアンタ邪魔よ! 一番は私って決まってるんだから!」
「割り込んできたのアンタでしょ!?ドブスにサインなんか勿体ないっての!」
「はあ!? 誰がドブスよ、ケバ女ッ!!」
罵声と怒号が飛び交う地獄絵図。
その騒ぎにシリウスが優雅に割って入る。
「はいはい、子猫ちゃんたち。サインは順番に、マナーを守ってくれないと……王子様、しょんぼりしちゃうぞ?」
「「「は、はいッ!」」」
一瞬で鎮まる嵐。
鼻につくほどのナルシズムと慣れたウインクが蕩けを与え、場を軽々と支配した。
「クソッ、あの野郎……!」
「何なんだよアイツ、面ってだけで……」
「いや、実力も本物だ。ナイン・ナイツを二人、正面から撃破してる。俺達が何を言ったって情けねぇ僻みにしかならねぇよ」
女子の群れの後方では一部の男子生徒達が嫉妬の炎を燃やしていた。
昼休憩とは思えない喧騒に包まれる教室はまるで収集のつく様子がない。
絵面だけで情報が渋滞する状況だがその様子へと一つの大きなため息が溢れていく。
「……夢でも見てるのかしら」
「アッハハ、入学からまだ一ヶ月も経ってないのにもう大スターか。セリナ君には及ばないけど非公式ファンクラブも急増中……部活動やチームへの勧誘も多いと聞く」
冷めた目で見つめるリズの隣でミレスはカップを傾けながら笑みを浮かべた。
突如現れた変態ナルシストがナイン・ナイツを連続撃破するという快挙。
更に追い打ちを掛けるあのキャラの濃さ、一度でも見たら忘れられるはずもない。
「しかし良かったのかい? ゼベラ及び配下のポイントを獲得拒否したなんて。彼女らのポイントがあれば一気にランキングも」
「ルールとして勝者はポイントの獲得を放棄することも出来る。いりませんよ、穢れたポイントなんて。私達の目的はナイン・ナイツの残滅ですから」
「フッ……君達らしいね。彼や君への支持率は確実に上がっている。君が提唱する学園破壊計画も夢物語ではなくなってきているね」
「支持が増えれば仲間を増やせる可能性がありますし、選択の幅が広がる。彼には頭が上がりません。でもなんか……」
「モヤッとしてる?」
「は……?」
唐突に吐かれた見透かしたようなミレスの言葉にリズは瞬きを一つ。
「つまり嫉妬だろう? あの王子様スマイルを他の女の子に振りまいてるのが気に入らないんじゃないか?」
「ぶっ……!?」
唐突すぎる直球に、リズは盛大に吹き出す。
明らかに動揺した様子にに顎に手を添えるミレスは悪戯に口角を上げた。
「し、嫉妬なんてしてませんけど!? あんな女好きにあるわけないでしょ!? アイツへの感情はあくまで戦略的パートナーとしての!」
「はいはい、わかってるって。でも、もしあの笑顔を独占したいなら……行動は早い方がいいよ?」
「いやだから色恋じゃないって……!?」
大人に弄ばれる度にリズの顔は紅潮すると絵に描いたような焦りは募っていく。
猫耳が生えているのかと錯覚するほどに髪を逆立てる彼女。
だが落ち着きのないお姫様へと更に追い打ちを掛けるように最悪のタイミングで心を狂わすシリウスは割って入った。
「ふぅ〜やっと一段落。ってリズちゃんどうしたの? もしかして照れてる?」
「なんでもないわよッ!!」
ドガッ__!
「いっだぁッ!?」
「あっ……ごめんなさい」
理不尽極める不意打ちのローキックは盛大にシリウスを吹き飛ばし、奇妙な断末魔を上げながらその身を床にへばり付かせた。
「強烈な……あっもしかして眠気覚ましに蹴ってくれたの!? いやぁ嬉しいね〜!」
「いや違っ、だぁぁもう知らないッ! ホント何なのよアンタは……!」
尚もこちらを狂わせる謎多き男にリズは遂にはそっぽを向いた。
彼がただの女好きというだけならリズもまだ割り切れることが出来ただろう。
だが、そうはならないのがシリウス・アークという名の存在、目線を反らした彼女はついあの時の光景が過ってしまった。
『手が届かなかった者の気持ちが俺には痛いほど分かる……とか?』
(ッ……駄目、またあの台詞が。この男……本当に何があって何者だというの? 凄く近いのに遠く感じるこの男は)
一筋縄ではないであろうシリウスの言葉。
このふざけた顔から時折見える底しれぬ何かがリズの心を揺るがしていた。
彼が知る己の過去、自分にも明かすことはない内容は一体何なのかとつい彼女は無意識にシリウスへと鋭い視線を戻す。
「ん? どったのリズちゃん?」
「いや……何でもない。蹴ってごめんなさい」
だが、本人へと尋ねた所で望む答えが返ってくることはないだろう。
悶々とした気持ちを抱きながらリズは喉元の疑念の言葉を仕舞い込んだ。
「それはそうと君達はこれからどんな道筋を歩むというのだい? レヴダ、ゼベラと快挙を成し遂げた君達が起こす第三の改革は? 正面から倒す気かい?」
「まさか、腐ってもナイン・ナイツ勢力は頭のキレる者が大半、同じやり方で倒そうものなら確実に新たな戦略を立てる。私やシリウスを
ミレスの言葉は二人を現実へと引き戻す。
子猫ちゃんへのサイン会から一転、全く息の休まらない状況が続くという事実にシリウスもまた顔に真剣さを滲ませる。
「まっ、そうなるよね〜悪く言えば奴らの想定がつかなくなった。未来予知でも出来れば楽勝のゲームなんだけどね」
「予測出来たら苦労はしないわよ。私達は神様じゃない、いや神様だろうと未来を完全に予測出来ることなんて出来ないわ」
夢物語にリズは小さくため息を吐く。
人間が未来予知など出来るはずがない、そう悲観的な言葉を彼女は紡いだ瞬間だった。
「そうとは限らないよ、あーしの調査だとね?」
「「えっ?」」
不意に背後から掛けられた可憐なる声色。
振り返った先には放課後でごった返す人混みをかき分ける悲劇のヒロインが颯爽と登場する。
「クルミ先輩……!」
「ちっす、色々と迷惑掛けたねお二人さん?」
クルミ・アクセルロード。
ゼベラという謀略の魔女に運命を狂わされていた女は軽快にシリウス達へと手を振る。
相変わらずの笑顔だがその瞳の奥は吹っ切れたような清廉さが滲み出ていた。
彼等と同じく渦中の人物の一人である彼女は流れるように会話へと紛れ込む。
「クルミ君……もう大丈夫なのかい? かなりの心労だったはずだが。それに今の時間は記者倶楽部の定例会議のはず」
「心配無用ってねミレス先生? 燻ったって何にもなることはないから。あと倶楽部は
「「退部ッ!?」」
突然の発言に驚愕の声々が飛び出すと問われる前にクルミは自身の魂胆を明かす。
「背景が何であれあーしは記者倶楽部の信用を損ねる事をした。ロッテは止めてくれたけどあーしをよく思わない人間も内部にいる。これ以上いても迷惑を掛けるだけ」
「だから止めたってのか?」
「正解だとは思わない、けどこれがあーしなりのケジメの付け方。あの世界はロッテに全てを任せることにした。同時にあーしは君達二人への
そこまで告げたクルミは背筋を整えると深々とシリウスらへ頭を下げる。
珍しい、いやあり得ないとも思えた光景は思わずミレスを含めた周囲も目を奪われた。
「ごめんなさい、君達にしたことは許されるべきことじゃない。だから……せめてあーしなりに罪滅ぼしを行いたい。この絶望の輪廻を打ち砕いた君達をあーしは助けたいの。これに打算はない」
「協力って……そんないきなり」
「当然、いきなりなのは重々承知。でもこれがあーしなりに考えた罪滅ぼし。お願い、不利益なことにはさせないから」
真剣なる声色のクルミに思わずリズとミレスは目を合わせる。
学園屈指の情報収集能力と一級品のリファインコードを有する存在の正式加入は間違いなく戦力になるだろう。
とは言え一度は策謀によって裏切った身、そう簡単に彼女の参入は受け入れ難い。
「まぁいいんじゃない? 仲間にしたって」
「えっ?」
しかしまたも想定外の方向へと強引に進ませたのはシリウスだった。
慎重故に頭を悩ますリズを横目に彼はあっさりとクルミの願いを受け入れる。
「ちょちょちょっと!? またアンタはそうやって勝手に即断で決めてッ!」
「昨日の敵は今日の友って言うだろう? 何時までも啀み合ってたって何にもならんよ」
「ッ……一理はあるけど」
シリウスの言葉にリズは頭を掻くと昨日の記憶を思い出しながらやがては顔を上げた。
「全く……でも私達の仲間になるという事は茨の道に進むも同然」
「昔から命狙われることはしてたから、茨に耐性はあるよお姫様? 手となり足となりあーしを自由に使えばいい。これからは君達の願いとゲームの為にこの力を使う」
真っ直ぐに向けられたクルミの瞳。
鋭く澄みきった紫電のような光を宿したその眼差しはリズの迷いを深く貫いていく。
「はぁ……分かりました。上位戦力が増えるのは悪い話じゃありませんからね」
「やった! これからよろしくね、リズ、シリウス! 親愛の印として敬語とか先輩呼びはナシだからねっ?」
数日前まで激闘を繰り広げたとは思えないほど打ち解けた空気の中で、シリウスは差し出された手を笑顔で握る。
お人好しな彼にリズはため息をついたが、「まぁいいか」と切り替えるとクルミという新たな仲間を笑顔で迎え入れた。
「それにしてもクルミ君、君が加わるのは結構だがさっきの発言はどういう意味だい? 未来予知が存在しないとは限らないって」
「ああ、それね! 本題はそっちだった!」
パンと手を打ち、クルミは振り返る。
リズの悲観的に吐かれた言葉、未来予知など存在しないという前提に否を突きつけたその理由を明かす。
「ある情報筋から。珍しい力を持つエルフ族がこの学園にいるって。確か図書館に入り浸ってまだ誰のナイン・ナイツにも属してない」
一拍置いたクルミが、名を口にする。
「名前は……
神殺しのヴェレ__。
不穏極まる名が告げられた瞬間、未来の波乱を予感させるように空気は静かに震えた。