昔の記憶を頼りに職員室の前に立った。ドアは軽く開いていたので、ノックだけはしてそのまま中に入った。
あまり変わり映えのしない光景だった。教員たちの机が縦横に並んでいる。中には五、六名の教員がいたが、顔を上げて即座にこちらを見ようとする気配はない。重苦しい雰囲気。記憶がわっと蘇る。ここにいた教員たちを慕ったり尊敬したりしたことはない。皆、一皮むけば世の中でも最低に近い人種ばかりだと思っていたから。
しばらく黙って室内を見渡していると、いちばん手前の髪の長い女性がようやく気がついたように言う。
「あなたは? ここに何の御用?」
一度も社会に出ずに、学校という狭い社会に閉じ込められたような非常識さがその顔には示されていた。
「私はこの中学校の卒業生です。あの、お願いがあってきました。卒業アルバムを失くしてしまったのですが、もう一度いただくことはできますか。お代はもちろんお支払いします」
髪の長い女はぎろりと私の頭から足先までを遠慮なく見つめた。
「そういう用件ですか。でしたら、教頭先生にお願いします」
私の今日の服装がお気に召さなかったのか、眉を寄せながら早口にぶっきらぼうに言った。
でっきりその教頭とやらを呼んでくれるのかと思い、辛抱づよく待ったが、その教員は再び自分の机の、何かのペーパーの方に視線を落としてしまった。
「あの」と言いかけた時、年若い男性教員が席を立った。
「ご案内しますよ」
にこやかな笑み。私はにっこり笑って礼をした。
彼は職員室の奥の方に進んでいく。私も机をかき分けながら、あとについていった。
奥のドアを彼がノックする。在室の表示があるので、いるのは間違いがなさそうだった。
奥から返事が聞こえると、若い教員はドアを開け、丁寧に私を中に誘った。
いかにも凡庸そうな中年の男がイスにかけていた。
「教頭先生ですね」
私が声を発すると若い教師は元の職員室の方に戻った。教頭は不思議そうな、しかしどんよりとした目で私を見ている。
「あの、私この中学の卒業生なんですが、卒業アルバムを失くしてしまって、できたら購入したいのですが」
「ああ、卒業生ね。父兄にしてはお若いと思ったよ。何年の卒業ですか」
教頭が顔を向けたほうに、歴代の卒業アルバムの並んだガラスの扉のついた棚があった。私はそちらに歩を進める。
「○○年度の……」
校長はアルバムの背を見ながらようやく一冊を探し当て、それを出した。
「失礼ですが、お名前は」
「湯原花蓮と申します」
「何組?」
「3組だったと思うのですが」
教頭がページを開くと、そこに同じような表情をした中学生の顔写真が並んでいた。四角く切り取られたそれらは、まるで個性などはぎとってしまったように均一に見える。だがそれは表面上のことだった。
いち早く私は自分の顔写真を見つけた。そしてそれを指さし、
「これが私です。湯原花蓮です」
校長はその写真と今の私を交互に見ると、やや驚いたような表情を浮かべ、すぐにそれを消した。
「なるほど」
私の眼は肝心の芙美子の写真を探した。見つけた。いかにも冴えない、カラーなのにモノクロの写真のようなその顔。
「芙美子ちゃん……」
私は感に堪えないという声音で言った。教頭が何事かと私を見る。
「先生」
私は教頭に向き直った。
「実は、この、秋山芙美子さん、最近亡くなったんです」
「え」
「私、芙美子ちゃんとは少し疎遠でしたが、中学時代は仲が良くて。でも最近どうしているのかしらと思って、同級生の飲み会に行った時に聞いてみたんです。そしたら、交通事故で突然……」
私は唇を噛んで肩を震わせた。教頭が私の肩に手を乗せた。こういう輩、怖気が走るが私は堪える。
「そうだったのか。それで」
「仲が良かったと言っても、学校での付き合いだけだったんです。それで、どうしてもお線香だけでも上げたいと思ったのですけれど、芙美子ちゃんの家が分からなくて。しかも私、卒業アルバムを失くしてしまっていたから」
「そういうことですか」
教頭は言って考え込む。
「私の一存では決められないが。念のため校長先生に問い合わせてみよう。そろそろ会議も終わる時間だ。今外に出ていてね」
そう言って教頭は固定電話の受話器を上げた。幸いなことに私の位置からは教頭の姿は見えない。教頭も、私が背中を向けている限り、私がアルバムのページを繰っても気がつかない。教頭の会話が続いている間、私は急いで芙美子の住所欄を盗み見た。町名にも覚えがあった。番地等とアパート名を暗記する。
「すまないね」
受話器を置く音のあと教頭は言う。
「やはり今、個人情報は厳しいので」
私は泣きそうな表情をつくりながらも笑った。
「そうですよね。一縷の望みで来たのですけど、理由は分かります。大丈夫です。お手間を取らせて申し訳ありませんでした」
名残惜しそうな教頭を尻目に私は室外に出た。
先ほどの若い教員に一礼して職員室を出ると、私はほくそ笑んだ。今からすぐ、芙美子の実家に向かおうと思っていた。