天炎島。西部諸島の主要な四島の内、最も北に位置する島だ。同時に四つの中で最も小さな島でもある。しかし、その赫灼石産出量は無視できず、皇国にとってその価値は他の四島に劣らない。
故に、こうもあっさりとテロリストに占領されるなど、通常あり得ないことだった。
「それが、どうして」
芽吹は、魔導通信でそう冬弥に問うた。
「少なくとも、敵の戦艦は三隻ある。その内一隻は碧海島の陽動に動き、一隻は紅潮島と多然島の間に出現。残る一隻が、ステルスで天炎島に近づいて一挙に上陸したんだ」
「目的はなんです」
「ヤガ地方の返還だ」
その回答は、エースにとって何の意外性もなかった。
「天炎島の防衛部隊はどうなったんです?」
「他の島の応援に向かっていた部隊は帰還できず、残っていた部隊も壊滅的な打撃を受けた。だが、国は交渉するつもりはないようだ。飽くまで抗戦。テロリストに譲るものなどないのだ、とな」
それもまた、概ね予想通りだった。
「天炎島から撤退する部隊を支援してやってくれ。それ以外のことは、現場の判断で動いていい」
「了解」
碧海島から、北上。追随する部下に目立った損傷はない。ほぼ百パーセントの力を以て事に当たれる。勝てるかどうかは置いておいて、死ぬことはないだろう、と彼は自信を持っていた。
水平線の向こうから島がせり上がってくる。その周りにダヌイェルが群れて、一斉に射撃を行ってきた。
「各自、撤退する部隊を援護! 散開!」
赤い弾幕を潜り抜け、芽吹はあっという間に刀の間合いに相手を捉えた。数度打ち合って、緑の方から離れる。追おうとすれば、拡散砲で動きを制限してきた。
「こちら紅雀。援護砲撃を行う」
かつての母艦から通信が入る。
「了解。頼みます」
連装魔力砲二基が火を噴くも、避けられて島の障壁にぶつかった。魔力の塊は霧散して、空間に紫電が走る。
「随分と速い……!」
酸素マスクの中で文句を言いつつ、彼はひたすらに島の東側を目指した。昇陽地方や他の島に避難しようとすれば、東に出るしかないのだ。それは隼人も同じことで、ぴったりとついてきていた。
「見つけたぜぇ、黒鷲隊!」
広域通信に粗野な声が入る。魔力探知機の反応に従って上を見れば、紫のクーウナが浮いていた。異常に長い両腕の先には鋭い爪のついた手がある。そして両肩と背部にデッセムールルを二基ずつ搭載しているその姿を見て、芽吹はまず異形、という感想を抱いた。
「……『踊る紫の死神』か」
前戦争で懸賞金付きのエースだった、ウーアノという男だ。かつて冬弥を足止めしていたほどの腕利きである。
「その大層な二つ名、今のうちに返上しろ!」
言い返しつつ、反撃の体勢を整える。
「二番は護衛に向かってくれ。こいつは俺が何とかする」
「了解」
芽吹は静かに切っ先を相手に向けた。
「行けよムールル!」
その乱暴な声とともに四基の攻撃端末が一斉に解き放たれ、彼に襲い掛かる。が、しかし。全身の噴射口から魔力を発して機敏に動き回る赫天の四肢を奪うことは叶わず、空を過ぎる。
次に来るのは膝。鋭利なスパイクのついたその部位が芽吹機の左肩に向かう。それを躱した所に、爪が振り翳される。刀で受け止めた芽吹だが、少しずつ押し込まれていく。ムットを思い出した。
推力を偏向させ、支配から脱する。背部の魔力砲を三連射したが、相手の長い腕はそれを受け止めて猶無傷だった。機体のシステムに簡単な解析をさせれば、高硬度の魔導合金に魔力コーティングを施し、そこに大量の魔力を送り込んでいることがわかった。
(火力で押し切れないなら!)
飛来するムールルを踏みつけ、その勢いで腕に蹴りを見舞う。蹌踉めいた相手の頭に刀を突き立てようとするが、振り抜かれた太い腕に妨げられる。
「大原芽吹、だったか! 冬弥の代わりになりそうだなあ、お前は!」
二度三度、爪を躱す。手甲にはブレードまでついていて、芽吹はその悪趣味さに苦笑い。それもそこそこに、海上の状態を確認する。船隊は幾らかの攻撃を受けつつも天炎島から離れつつある。
(あの青いのと……赤いのはどこだ? 退いたならそれでいいけど……)
余所見を許さぬ一撃が、頭の横を過ぎる。
「なんだ、その程度か!」
斬り返そうとした芽吹だが、今度は紫の方から距離を取る。彼が追跡に入る直前、相手の腕から迫り出した魔力砲が、小さな光弾を連射する。装甲を穿つまでは至らないが、小さな凹みが幾つも生まれる。
(墜とさなくていい、生き延びればそれでいい)
冷静に、芽吹は状況を俯瞰する。
(俺の役割は、エースを暴れさせないこと。部下の生存率を少しでも上げること。それが、隊長の責務!)
船舶に魔力砲を向けた紫に、芽吹は蹴り。その脚を突き出した姿勢のまま、着弾点である頭を中心に回転。スラスタユニットの魔力砲で止めを刺したかったが、あと数瞬の所で反応されてしまった。
リミッタを外すか、と彼は考える。かつてマイと戦った時ほどの圧力は感じていない。死なないだけならやりようはある。禍根を残さないという点では、多少の無理も致し方ないのかもしれない。
(いや、やめておこう)
復讐を遂げてそれで終わり、というわけではない。自分は隊を率いなければならない。殺すとも殺さずとも、帰らねばならないのだ。
三十分ほど牽制し合った頃、紫の方が手を止める。
「あばよ、芽吹。次は殺すぜ」
ザハッドナの機体たちは障壁の中に停泊する、白い有翼の戦艦に戻っていく。芽吹は、静かに息を吐いた。
◆
玲奈は、機体の中で膝を抱える。ヘルメットもマスクも外して、赤いランプだけが照らす静寂に沈むのが好きなのだ。
(守ってもらっちゃった)
十年前、あの青い機体を墜とし、不時着したパイロット。心で輝く一等星。それが、彼女にとっての芽吹だ。貼り付けたようなものではなく、心から出た笑みを浮かべる。
(あーあ、隊長に奥さんがいなかったらなあ)
飛行服の線ファスナーを外し、少し大きめの胸を露わにする。そこと内腿に指を這わせ、耽った。
四十分ほどした頃だろうか。ハッチが叩かれた。慌てて服を戻して、開く。
「た、たいちょお」
「来ないから心配になって。怪我、してないね?」
「してないですよぉ、あは、あはは……」
知っている臭いがしたことを、芽吹は黙っていた。
「コックピットはプライベートな空間じゃないよ」
とだけ言って背を向けた。
彼は十五メートルほどの高さをした足場から飛び降り、難なく着地する。既に夕方。少し強さの和らいだ西日が、格納庫に差し込んでくる。
「あ、大原少佐」
タブレット端末と睨めっこしていた菱形が、痴態の残滓を見てしまった彼を呼び止める。彼の機体の前だ。
「赫天、スラスタユニットの寿命が近そうです」
「ああ、手配しておいてくれ。後二か月は保ってほしいけど」
「二か月、二か月かあ……何とも言えませんね。それより先に、新型がロールアウトするんじゃないですか?」
「だといいね」
芽吹は愛機を見上げる。共に死線を潜り抜けたことで、どこか兄弟のような思いさえ抱いている。それも、そろそろ限界なのだろうか。
「弟、上手くやってますか」
隼人のことだ。
「頼りになるよ。いい腕だ」
この十年で整備班長になった彼女は、結婚もした。育休を終えて帰ってきて、今では黒鷲隊の作戦行動に欠かせない存在だ。
「なんか、思ったより弟が遠くに行ったような感覚です」
「パイロットになったって、本質的な所は何も変わらないよ。もう六年一緒にいるけど、口調が軽い所だってそのままだ」
国歌が流れてくる。芽吹は遠くにはためく国旗に向けて敬礼した。夕日が、沈んでいく。