「いや、無理ですね」
碧海島に帰還した芽吹を待っていたのは、菱形のその一言だった。
「いい機会です。皇都の工場に送って抽出器と接続器、それと赫灼石も交換しましょう」
「それってこの島じゃできないの?」
「動力周りは専門のエンジニアじゃないとダメなんです。機密も多いですし……私じゃちょっと」
赫天は大きなキャリアで運ばれていく。海底鉄道に乗せられ、昇陽地方まで行くのだ。
「俺も昇陽まで行こうかな」
「そうですね。OSの再調整をするなら、その方が無駄な手間がないですね」
格納庫から出ていく愛機が、見るも無残な姿になっている。目を逸らしてはならない。それは、己の弱さなのだから。
「隼人……大尉も、皇都に向かわれるそうで」
姉弟と雖も、曹長である彼女に将校を呼び捨てにすることはできない。
「あいつもかなりやられたからね。ウチから死人が出なかったのは、不幸中の幸いってところかな」
翌日、芽吹は列車に乗った。
◆
ザハッドナの行動部隊は、四隻の戦艦と、それぞれに割り振られた四つの赫灼騎兵部隊、そして幾らかの歩兵部隊から成る。その四人の隊長がアフェムに集まっていた。オと、紫髪のワイルドな顔つきをしたウーアノ、ティーカップを片手に持っている優雅な態度のレドゥという女パイロット、琥珀色の瞳を持ったツァンドゥという男だ。
「まずは感謝を。諸君の働きによって、我々は天炎島を保持。皇国から身代金を頂くことになった。ありがとう」
天炎島を統治していた高官をかなりの高額で売り渡したザハッドナは、更なるクーウナの増産が可能となった。テロに屈さないという姿勢も、ひとたび軍事力を誇示すれば崩れてしまったのだ。
「ダヌイェルの働きもそうだが、ケルスやラタの活躍も大きかった。ありがとう」
オの言葉に、ウーアノは口角を上げた。アフェムの一室、オのために誂えられた小さな部屋だ。黄色い絨毯の上に、丸い机を囲んで四つの椅子が円状に置かれている。
「それはいいけどよ、次はどこ制圧すんだよ」
彼は見た目に似合った、荒々しい声で言う。ケルス──紫のクーウナのパイロットだ。
「ウーアノ、私たちの戦力に余裕があるわけではないんだよ」
とレドゥが諫めた。彼女は白いクーウナ、ラタに乗っている。
「当面は天炎島を拠点に、散発的な攻撃を仕掛ける。そうだろう?」
彼女の言葉を受けて、オは軽く頷いた。
「加えて、マナエの老人は、天子を人質にとることを考えている」
「へえ……」
ツァンドゥが静かに漏らした。
「そんなことをすれば、皇国は更なる強硬姿勢をとるんじゃないかな?」
「天子の殺害を盾にすれば、どんなものだって差し出すさ」
そんなことを言っていても、オは納得していなかった。戦後即位した新たな天子は、まだ十四歳だと言う。そんな少年を殺すなど、間違っているのではないか。
「人質なんてことせずに、とっとと殺しちまおうぜ。本当に正しい支配者が誰かって、教えてやらなきゃなんねえ」
「そうだよ。皇都に爆撃を仕掛けてしまおう」
憎悪なのか、それともそれが当たり前のことなのか。帝国の学校では、皇国は不倶戴天の敵であると繰り返し教え込まれる。確かに、オ自身、皇国を肯定するつもりはない。しかし、そこに住む人々まで完全な悪なのだろうか。
「近々、一番隊は皇都へ赴く。その間、天炎島の守護を頼む」
「補給は受けられるんだろうね?」
レドゥが白い髪をかき上げながら問う。
「ああ。補給艦にステルスフィールドを搭載することに成功したらしい。ダヌイェルを幾らか発注した……それが届くだろう」
顎を撫でるウーアノ、カップを置くレドゥ。
「ケルスの部品はあるんだろうな、ええ?」
「問題ない。レア社には頭が上がらないな」
ラウーダの設計を手掛けたレア社だ。
「帝国政府はどうなんだい?」
ツァンドゥが柔らかな微笑みを浮かべながら尋ねた。
「パトロンとしての役割は果たしてくれている。マナエの老人のお蔭だな」
「オは老人と直接会話できるんだろう? 教えてほしいな、彼がどういう人物か」
「さあな。私もあまり話さない。個人的な事情など、猶更だ」
この若いマスクの隊長は知っている。マナエは実体のない幽霊などではない。実存する人間だ。その正体も、彼女にだけは明かしている。その正体故に、老人は彼女を選んだのだ。
「皇国の第二次攻撃はいつになるんだよ」
少し内側に潜りかけた彼女の意識を、ウーアノの声が呼び戻す。
「読めん。だが、赫天隊にもかなりダメージを与えた。すぐには動けんだろうな」
ぎしり、椅子が軋む。
「ずっと気になっていたんだけどさ」
と、白髪のエース。
「ヤガ地方を取り戻したら、私らの立場はどうなるんだい」
「さあな。その辺りのことは老人が根回ししてくれるだろう」
誰も同じ懸念を抱えているのだ、という実感が少女に現実感を与える。
「他、何か質問はないか」
沈黙。
「では、各々備えておいてくれ。いつ皇国が動くかわからん」
立ち上がって敬礼を送り合った三人は、穏やかな表情で部屋を後にした。
(私、やっていけるのかな)
残されて、自問する。
(ううん、やるしかない。仇を討つんだ)
奪ったものと、奪われたもの。天秤にかけることなどできないが、進むよりない。血塗られた道を選んだのは自分自身なのだ。今更迷って、何もかわらない。
椅子に腰掛け、天井を見上げる。オがオであるから用意されたこの部屋は、心を締め付けるようだ。豪奢なシャンデリアは魔力の供給を受けて輝いている。まるで太陽のように。それが、鬱陶しい。
机の上の茶は既に冷めている。帝室御用達の高級茶葉。老人の趣味だ。一箱買うだけで、貧困層が一週間飯を食えるほどの値段になる。
そんな社会の下の方で生きている者たちのことを、彼女は知らない。見たこともない。ただ、そういう人間がいるという知識だけがある。それを救おうなどとは、意識の片隅にもない。
鬱屈とし始めた思考を止めるために、彼女は部屋を出る。行く先は、風任せ。
◆
バスが、工廠前の駅に停まる。そこから降りた隼人は、
「すっげー!」
と声を上げた。
「隼人は皇都初めてなんだっけ?」
青い制服に身を包んだ芽吹が、燥ぐ部下に言う。
「いや、三回目っすね。でも、碧海島とは大違いで、いっつもすげーって思うんすよ」
門を抜ければ、キャリアで運ばれる赫灼騎兵の列。その中に、黒い右肩の赫天もあった。百メートル近い奥行きの建屋に運ばれたそれらは、寝かされた状態で整備を受ける。
それを見送っていた彼らに、緑のつなぎに黄色いヘルメットを合わせた壮年の男が近づく。
「大原少佐と、田畑大尉ですね。ご足労頂き、ありがとうございます」
「交換と調整で七日だったね」
「ええ。交換自体は五日で終わるんですが、調整に時間がかかった場合のことを考えまして」
「俺たちは
そんな会話をしている内に、隼人は建屋に入ろうとしていた。
「隼人、そこから先は許可無しじゃ入れないよ」
「あ、問題ありません。東果大佐から連絡をいただいています」
「んじゃ、オレ色々見学してきます!」
「ヘルメットを忘れないでくださいねー!」
遊園地に来た子供のように走り出した部下に苦笑いを向けて、芽吹は整備士に顔を戻す。
「少佐の機体、十年ものでしたね」
「うん。先の戦争からそのままだ……とは言っても、色々部品取り替えてるから、十年前のものは動力回りしかないけどね」
「それでもいい方ですよ。戦争の間は、本当に大変でした。撃墜された機体もどうにか回収して、使えるパーツを組み合わせて……」
そういう部隊もいた、ということについて、芽吹はぼんやりとした知識しか持っていない。自分が生き残ることに精一杯だったからだ。
「まだ、戦争は終わってない」
起き上がってテストに入る九一式が遠くに見える。
「多分、ザハッドナは戦争そのものの亡霊なんだろう。だから、天炎島を手に入れた」
「……勝てますか」
「勝つよ。そのための黒鷲だ」
空は青い。だが、それが赤く染まるのは、そう遠くないことだった。