「オ・ジガはカムル・オッフだ」
「……は?」
唐突に叩き付けられた真実に、エスクは言葉を失った。
「故に、貴様を餌としてザハッドナを釣りあげる。大事に使わせてもらうぞ」
◆
アフェムが出港した。
「間違いないのだな」
ハミンナのコックピットの中で、オ──いや、カムルはブリッジに確認した。
「はい。皇国の戦艦から通信が入りました。エスク・オッフを拘束した、と」
母の名前を聞いた彼女は、スティックを握り締めた。
「あなたは、本当にカムルなのですか」
カジャナ艦長が問う。
「……そうだ。マイ・オッフの義理の娘だ」
「故に亡霊となった」
「ああ。私は、父の弔いのために戦う」
高空を飛行していた有翼戦艦は、水色の鳳凰級を魔力探知機に捉えた。
「赫灼騎兵、出撃」
カタパルトデッキから飛び降り、ダヌイェル二機とハミンナは相手の戦艦に接近した。迂闊に攻撃はできない。恐らくエスクは人質になっている、という可能性を前に、カムルは怒りと恐怖で体が震えそうだった。だが、それはそれとしてスピーカをアクティヴにした。
「我々はザハッドナである」
対空砲火を受けつつも呼びかける。
「エスク・オッフを解放せよ」
「テロリストと交渉はしない」
主砲が火を噴く。
「──と言いたいところだが、一つ提案がある」
砲火が止む。その間に、ハミンナは艦橋の傍に寄っていた。
「エスク・オッフの身柄と、天炎島。この二つを交換しようではないか」
敵艦から映像が送られてくる。銀髪の女性が椅子に縛り付けられ、拳銃を向けられていた。
「賢明な判断をすることだな、テロリストよ」
「ちいっ……」
舌打ちしたカムルの画面に、赤い魔導義眼が映る。マナエの老人だ。
「エスクを解放させた後、船を沈めろ」
老人の言うことにも理解はできる。ザハッドナのエートスとして、皇国への徹底抗戦の姿勢というものがあるからだ。それがアプリオリ的ではない以上、変えることはできるのではないか、とカムルは思うのだが、口にすることはできない。彼女自身、芽吹への個人的な復讐が、皇国という国家そのものへの怨恨と変わりつつあるのを自覚していた。
「それでは、ヤガの奪還が遠のいてしまう」
「皇国に屈するのか? 貴様の
復讐とは常にアポステリオリだ。乳飲み子が憎悪を燃やすことはない。だが、あの日、研究所で撃ち殺された子供たちは、消えゆく意識の中で呪詛を吐いたのではないか。その最期の一言を肯うことで、自分の復讐は真の意味で成し遂げられるのではないか。
だが、そのような思考とは別に、何らかの思惟が彼女の中に流れ込んでくる。殺せ、殺せと囃し立てる、何かが。
「……承知した」
回線が閉ざされる。
「いいだろう、ザハッドナ一番隊隊長として、天炎島の解放を約束しよう。まずはエスクを解放していただきたい」
「了解した。そちらから一機寄越してくれ」
カムルはダヌイェルの一機が鳳凰級のカタパルトデッキに降着する。十五分もすれば、その機体はコックピットにエスクを納めて跳び上がった。
「感謝する。それではな」
ムールルを射出し、動力部を一撃で撃ち抜く。
「貴様──」
命令が下る前に、艦橋直上から魔力を浴びせ、潰す。カタパルトに乗ったデルグリンは胸部魔力砲で破壊。その炸裂がカタパルトを潰した。
反対側にダヌイェルが回り込み破壊し尽くす。終わりだった。
(これで、良かったんだ)
沈んでいく船に背を向けて、母艦へと帰った。
機体から降りた彼女を待っていたのは、平手打ちだった。
「何、してるの」
母の震える声に、返答のしようもない。
「復讐のつもり?」
「そうだよ、お母さん。芽吹を殺すんだ」
仮面を外す。こけていた頬は膨らみを取り戻し、かつてあった隈もなくなった。
「こんなこと、もう、やめて」
崩れ落ちたエスク。
「どうして、どうしてみんなで生きていくことを選んでくれなかったの」
「……だって、皇国はお父さんを奪ったんだよ。それに、私のような子供を使って人体実験をやっている。そのままにはできない」
「テロリストにならなくても、軍に入っていれば機会はあったじゃない」
「軍だよ」
そこで言葉を切ったカムルの顔を、母は見上げた。
「ザハッドナは、帝国政府から援助を受けているんだ。だから、軍と同じ」
そう言い切った娘の顔にどこか厭世的な微笑みが浮かんでいるのを見て、エスクは差し伸べられた手を握れなかった。
「お母さんは、帰るよね。ヴルツが待っているんだもの」
「……ええ。あなたも一緒に来なさい」
「私はもう戻らない。最期まで戦うつもりだよ」
隣の大陸で使われた私掠船のようなものだ、とエスクは悟る。違うのは、表に出ないということ。
「成果を出せば軍に入れてもらえるから、安心して」
それをどこまで信じていいのかと思いながら、彼女は立ち上がる。
一方で、カムルは仮面で顔を隠し、ハミンナの通信機に声を吹き込んでいた。
「足を用意しろ。エスク・オッフを送り届けるんだ」
自分が現役であった頃とも違う世界を、娘は生きている。その事実を受け入れ難いがどうにか飲み込もうとしたエスクは、すぐに帝都に送られた。
◆
黒鷲隊は、碧海島の小会議室に集められていた。
「まず、これが、撃沈された船の航行データだ」
壁面に埋め込まれたディスプレイに海図が映し出され、次いでそこに曲線が重なる。
「詳細は不明だが、ヤガ地方上空を進んだ後、暫く停止。その後海上に出た所をザハッドナに沈められた」
「不明、ですか」
芽吹が呟く。
「ああ。極秘任務だったと思われる。それ故、こうして航行データを手に入れるのにも一苦労だった……それはそれとして、だ。諸君には、この付近で確認されたザハッドナの輸送艦を叩いてもらいたい」
「輸送艦?」
「そうだ。彼奴等はどこかで赫灼騎兵を生産し、それをステルスの艦で運んでいる。そのルートを叩かねば、戦いは終わらない」
戦争をするには、一にも二にも兵站だ。食料、水、そして兵器。それらを運んで前線を支える者がいなくなれば、どんな精強な軍隊とて崩れてしまう。
それを、芽吹は食事の質という形で実感していた。卒業した頃の鶏料理ばかりの食堂は、今では多様なメニューに溢れている。
「ステルスって、どうやって探すんすか?」
隼人が頭の後ろで手を組んで尋ねる。
「アフェム周辺は魔力攪乱膜によって、僅かな魔力の揺らぎが生じる。この点については、輸送艦とて同じことだろう。従って、これを検知する試作型探知機を紅雀に搭載し、海上を巡回してほしい」
「ちょっとぉ、いいですかぁ?」
玲奈が手を上げる。
「そうだとしてもぉ、船一隻見つけるだけってぇ、かなり時間がかかるんじゃないですかぁ?」
「紅潮島、多然島、それにヤガからも船を出させる。更に言えば、気流の関係で使えるルートは限られるからな、そう探索範囲は広くないはずだ」
魔導大戦で空気の流れまでもが暴れるようになった大陸中央部の海は、暴君海と呼ばれている。その中に、トンネルめいて風の凪いだルートが存在する。高級な姿勢制御システムを搭載できる戦艦ならともかく、輸送艦一隻にそこまでのコストはかけられず──そして、ペイロードを増やすためにも、その艦は風のトンネルを通るしかないよう設計されている。
「確実に沈めてもらいたい。ステルス艦は、そう大量に生産できるものでもない。一隻の喪失は、奴らにとって重いに違いない」
「やってやりますよ」
斗真がトンと胸を叩いてみせた。
「俺も、ザハッドナを許せません。任せてください」
そう言った拓海の声には、確かな怒りが滲み出ていた。友人が、戦死したのだ。
「生き急ぐなよ。焔輝は赫天よりも高いからな」
冗談半分、真剣半分。敬礼を送り合った彼らは、それからほどなくして、戦場を見る。