ザハッドナの幹部は、カムルの部屋に集められていた。ウーアノ、レドゥ、ツァンドゥ、そして血涙の主。主の提案が、ウーアノの心に火を点けた。
「逃げんのかよ」
「そうだ」
露骨に嫌悪感を見せた彼に、カムルは淡々と受け答えをする。
「現状の維持は困難。従って、一度帝国領内に戻り、態勢を立て直す」
三人の隊長たちは顔を見合わせ、続く言葉を探していた。だが、ないようだった。
「老人とも話をつけてある。これは決定事項だ」
「相談もなしに決めるなんて、随分と強引じゃないか」
レドゥがティーカップを片手に言う。
「迅速に決定する必要があった。それだけだ」
空気は重い。それもそうだ、とカムルは察していた。第二次攻撃によりそれなりの数のパイロットを失った。機体は工場で一週間もあれば完成するが、パイロットを育てるには最低でも三年かかる。そして、軍縮によって軍学校の定員も減った。死んだから次をくれ、とはそう簡単にいかないのが現実だった。
「それはいいんだ」
ツァンドゥが少し背を曲げて口を開いた。
「相手はこちらのステルスフィールドを感知できる可能性がある。退くと言ったって、どうするんだい?」
「一番隊が殿となる。何か不満か?」
「いや……君がそういう覚悟を決めているなら、いい」
殿。後退する部隊の最後尾。当然、最も損害が大きくなる。今までの戦場が命がけではない、というわけではないが、それ以上に死の危険が迫る作戦だ。
「何も、黒鷲隊を殲滅するつもりではない。飽くまで遅滞に徹する。生きて帰ると決めている」
幹部の視線は疑い、信頼、失望の三つに分かれていた。だが、そのどれもを受け入れて、カムルは小さく笑った。
「残念ではある」
感情を殺した声を、彼女が発する。
「だが、ヤガの奪還の方策は老人が考えている。いずれ、目的は達せられよう」
「……つまんねえの」
ウーアノのぽつりとした一言が、幹部たちの視線を集める。次に口を開くまでの十数秒間、状況はそのままだった。
「もっと派手に行こうぜ。東に抜けて、爆弾ばら撒きながら世界一周して帝国に戻りゃいい」
「そんな余裕もない。ないのだよ」
カムルのどこか悲痛さを思わせる声音は、しかし、彼の機嫌をより悪くさせるだけだった。
「んじゃあよお、天炎島だけでも爆破しようぜ。二度と採掘に来れねえよう、ズタズタにしちまうんだ」
「ウーアノ、わからないのかい?」
ツァンドゥが口を挟む。
「敵はこちらの動きを監視している。悠長に爆破の準備なんかしてたら、余計に撤退が難しくなるだけだよ」
「ケッ……」
大人しくなった粗野なパイロットは、乱暴な手つきで茶を飲み干した。
「諸君も思う所があるだろうが、老人が承認した以上この作戦は決行される。機体を万全の状態にしておけ。以上」
すっくと立ち上がったカムルが敬礼を送ると、軍隊仕込みの礼節を弁えた三人はそれに答える。一先ず、解散だった。
その後、カムルが向かったのは、格納庫だ。その奥の方、整備スペースに立てられた新たな姿のハミンナを前に、整備士へ話しかける。
「調整はどうか」
「シミュレーション上は、焔輝にだって引けを取らない性能に仕上がってますよ」
少し顔に皴のあるその整備士は、微笑んで親指を立てた。
「ラタの予備パーツを背中に装着。スラスタのパワーは四十パーセント増し! 腰にも脚にも武装を追加しました。前腕のムールルは補充できないので、盾にしましたけど」
「パワーダウンはしないんだな?」
「ムールルに魔力を供給してた分がスラスタに回ってますから、計算上は。ただ、その分推進器の寿命は縮んでます。パーツは新品に交換しましたけど、気を付けてくださいね」
「それでいい」
愛機を見上げる。携行武装は剣二振りから大剣一振りに変わっている。腰と背部には魔力砲が装備され、両脚にはロケット砲。奇しくもそれが焔輝と同じレイアウトであることに、彼女は自嘲気味な笑みを浮かべた。
「ヤガ、取り戻せそうですか。ダチの故郷なんですよ。そいつに田舎の土地を踏ませてやりたい」
「少し時間がいる。一朝一夕に、とはいかないさ……」
「信じてますからね」
少し年上の整備士に見つめられて、少々きまりが悪かった。
◆
ドーセッジ遺跡。僅かな晴が、発掘現場を照らしていた。
「予想通りだ……」
髭面の考古学者は、赫灼騎兵より一回り小さい人型兵器を見て感嘆の声を漏らした。
「アル=サヴァランとアル=エルゼン……便宜上、アルシリーズとでも呼びましょうか」
若いエンジニアの男がデータを見ながら言う。
「ああ、なんだっていい。無人兵器だ……これで、無用な死人が出なくて済むぞ、戦争は、クリーンになる!」
踊り出すかもしれない、という勢いで学者は手を挙げた。
「アルシリーズも魔力炉を搭載していますね。このエネルギー量、何が由来なんでしょう」
「分からない。キカと呼ばれるコアを搭載していることしか……だが、それもいずれ解明される。いや、私が解明する」
釣り上げられる、およそ人の乗るスペースなどないだろう、という少し小さな機体。背中には何らかの兵器であろうものがついている。
(無人兵器、ねえ)
エンジニアは窓の外で行われる作業を眺めながら思う。
(そんなもので戦争したら、余計歯止めが効かなくなると思うんだけどなあ)
物思いもそこそこに、解析へ戻る。破滅の足音は、力を抜いて、静かに迫っているのだった。
◆
黒鷲隊は碧海島に帰還した。白狼隊と交代したのだ。一週間ぶりの帰宅となった芽吹を待ち受けていたのは、息子の体当たりだった。
「パパ、おかえり!」
彼は湊を抱き上げて、足だけで靴を脱ぐ。
「おかえりなさい」
静かに歓迎するエリカに、
「ただいま」
と答える。
「ザハッドナ、落ち着いたみたいね」
シチューを煮込みながら彼女は言う。
「落ち着いた、というか戦力が底をついたのかな。多分、そろそろ音を上げる頃だ」
「音を上げるって?」
笑と積み木で遊んでいた湊が、突然振り返ってテーブルの芽吹に尋ねた。
「もう無理だー、って言うこと」
「そしたら、パパが悪い人をやっつけるの?」
悪い人。そこに特別な意味はない。そうとわかって、彼はやりきれない気持ちになった。戦場に存在するのは善悪ではない。相対的に敵か味方か、それだけだ。
「……そうだよ。悪いことできないようにしてやるんだ」
だが、そんな難しいことをこの三歳の息子が理解できるはずもない。敢えて、肯定した。そのころ笑は、赤い立方体を掴んで、何やら体を持ち上げんとしていた。
「あう」
立ち上がったのだ。
「立った!」
夫婦は声を合わせて叫んだ。芽吹は慌ててカメラを持ってきて、不安定ながらも進もうとする我が子をファインダに収めた。エリカも火を止めて娘に駆け寄る。湊は
「僕も立てるもん!」
と言ってその隣に近寄る。
「湊、一緒に撮るよ!」
男児は指を三本立てて、妹の横でカメラに顔を向けた。幸せな一幕を切り取ったその一葉。呪縛となるとは、誰も思っていなかった。
食事をしながらも、芽吹の思考は戦場にあった。補給線を潰され、整備ができなくなってから撤退、ということはないだろう。ある程度の戦力を維持できる間に、包囲網を突破しようとするに違いない。いつの時代も、包囲された時は戦力を一点集中して突き抜けることが有効だ。
当然、その程度のことは上層部も読んでいる。常に偵察部隊を置き、反撃の兆候が見られればすぐに動けるように備えているだろう。
(どれほどの戦力が残っているか、だ)
ハミンナも、特別な脅威ではない。クーウナ系列にも十分対処できる。焔輝があるからだ。
「あなた」
考え込んで食べる手が止まっていた彼に、エリカが声をかける。
「ああ……ごめん」
一旦忘れよう、と人参を掬った。