「駄目だ」
碧海島基地の司令室で、芽吹は冬弥にそう言われた。
「帝国とザハッドナは繋がっている。これは、同意してもらえると思うのですが」
「再び全面戦争になることを、上は避けようとしている。それはわかるだろう?」
言い返すこともできなくて、芽吹はデスクを叩いた手を引っ込めた。
「気持ちは察する。俺もザハッドナの存在は容認できん。だがな、我々は組織なんだ。受け入れてくれ」
急速に老けた顔で、頼み込むような声音で述べた上司が、どうにも物悲しい。
「これ以上の議論は無駄だ。引き下がれ」
重い扉を閉ざし、廊下で一人になった彼は、宿舎に向かった。隼人の部屋の前に立って、何度か手を握って開いて、その内側を見る。扉の横に置いてある箱を持ち、戸を開いた。
パイロットという重い責任を背負う仕事であることを鑑みて、彼らには個室が割り当てられる。故に、遺品の整理は近しい者が行わねばならなかった。
「あ、少佐」
埃の臭いがする部屋の窓を開けた時、菱形が入ってきた。
「隼人、こんな部屋にいたんですね」
机の上には雑誌が何冊も置かれている。表紙を見れば、恋愛指南だの、ファッションだの、婚活だのと書いてあった。そこから壁に目線を移すと、撃墜数の数だけナイフで傷をつけたコルクボードが飾ってある。総計二十四機。
「お前はもっとやれたよ」
それを見て、芽吹は思わず呟いていた。
「菱形さんは、台所の食器類を頼む。俺は寝室見てくるよ」
男一人が寝起きするだけの空間には、グラビアポスターが何枚も貼ってあった。
「だからモテなかったんだよ、お前は」
そう言いながら全て剥がす。窓に向かって置かれた机の引出しを開ければ、書きかけのラブレターが束になって入っていた。
「そういうところだぞ、ほんと」
せめて姉の目に触れないよう、と紙袋へ乱暴に詰め込んだ。その下の段を開くと、一通だけ、家族宛ての手紙がぽつんと入っていた。表には遺書と書いてある。
「菱形さん」
そっと呼びかける。
「遺書がある」
慌てて駆けてきた整備士長に手渡すと、彼女はツーッと涙を流した。
「実家で、家族と読みます」
それを押し殺すような声だった。
三時間ほどすれば清掃業者が来て、何もかも綺麗にしてしまった。表札も外され、死亡届も出されてしまった隼人のいた証は、すっかりなくなった。
「少佐」
廃棄場へ向かうトラックを見送りながら、菱形が言う。
「息子が、軍人になると言って聞かないんです」
「……男の子って、一度は憧れるものなのかもしれないね」
空は青い。太陽の前を鳥が通り過ぎる。それを、泣き腫らした目で菱形は見上げていた。
「止めるべきなんでしょうか」
「俺に聞かないでよ、親としても人間としてもそっちが先輩なんだから」
笑うこともできず、硬い声色になってしまった。
「でも、うん。俺たちが平和な時代を作ればいいんだ」
寮の外階段を降りながら、そんなことを言った。だが、彼の願いは、叶わなかった。
◆
ザハッドナ一番隊が、帝国領内、連邦との国境に接する鉱山に入った。既に廃棄され、殺風景なその場所は、雪で覆われていた。
「補給作業、進捗七十二パーセント。ま、順調だな」
シギニがエネルギーバーを片手に言う。ナッツとドライフルーツをキャラメルで固めたものだ。
「マナエの老人ってのは、どうやって国から便宜を図ってもらってるんだか……」
「余計なことを言うな」
呟く彼に、カジャナ艦長が鋭く注意した。
「政府から通信。艦長に繋げます」
ドムカ通信員が淡々と言い、艦長の送受話器に通信を送った。
「こちら帝国宰相メッサ。負けたようだな」
艦長席から正面上方にあるディスプレイに、四角い眼鏡をかけた、初老の男が映る。レンズの奥にある鳶色の瞳は、冷たく輝いていた。
「が、マナエには次のプランがあると聞く」
「ああ、そうだ」
画面が分割され、右側にマナエ、左側にメッサというレイアウトに変化した。暗い画面に、赤く魔導義眼が光っている。それと時を同じくして、カムルがブリッジに入ってくる。
「いい所に来たな、カムル……ザハッドナは、古代兵器の奪取を行う」
仮面の下で、彼女は怪訝そうに目を細める。
「ドグラ連邦で、魔導大戦期の兵器が発掘され、復元が進んでいるという。それを、奪うのだ」
「何故」
彼女の問いかけに対して、鼻で笑うような音が聞こえてきた。
「古代兵器に搭載されている魔力炉は、赫灼石とは比べ物にならないほどのパワーを生み出す。それを用いれば、皇国とて追い詰めることができよう」
「マナエ、貴様、魔導大戦を再び行うつもりか!」
宰相の声には驚愕と焦燥が浮かんでいた。
「……確かに、魔導大戦は大陸の人口の八割を死に至らしめ、地形を変え、気候を破壊した。その絶滅戦争を繰り返すつもりはない。無人兵器に全てを委ねることもない。飽くまで人間の戦争をやるつもりだ」
メッサの表情は歪み、芥を見るような目をする。
「セフィラがもう一度現れるとは限らんのだぞ」
「だからなんだ?」
老人の一言は、宰相に危機感を抱かせる。だが、そんなものを彼は気にしていないようだった。
「皇国を滅ぼす。それが出来れば、多少の混乱も暗黒も、さして問題にはならん」
ブリッジクルーたちは、チラチラと目を見合わせている。魔導大戦について多くを知っているわけではないにしろ、子供の頃の御伽噺程度の知識は持っていた。故に、恐ろしくなる。カジャナを除いては。
「老人」
カムルが口を開く。
「これは帝国の栄光を輝かすための戦いだ。何を考えているかは知らんが、相応しい戦い方をするべきではないのか」
「だからこそ、皇国を徹底的に叩ける兵器が必要なのだ。なぜわからん」
そう言い返された途端、カムルの脳内に思惟が流れ込む。
「……そうだな」
気が付けば、老人を肯定していた。そこに違和感は存在しない。ただ、相手が正しいことを言っているという事実だけを、彼女は受け入れていた。
「それで、いつ実行するのだ」
少し震えた声で宰相が問う。
「準備ができ次第、だな。少し休息も必要だろうて。そうだろう、カジャナ」
「ええ。連戦で疲弊した兵を休ませねばなりません」
「飯屋の一つでも作ってくれないもんかね、ええ? マナエさんよ」
シギニが声を上げるので、老人は軽い笑いを零した。
「すまないが、そのような余裕はない。皇国にこの拠点が露見すれば、侵攻さえあり得るからな」
「それを防ぐための、古代兵器か」
割って入った宰相に対して、老人は苛立ちを見せた、かもしれない。
「そういう意味もある。古代兵器を揃えれば、皇国とて下手に手出しはできんだろう」
互いに抑止力を用意しようとして、軍拡競争は始まる。魔導大戦も似たようなことから起こったのだ。
「ふむ……作戦開始は一週間後とする。可能な限り古代兵器を奪取せよ」
赤い義眼がチカチカ輝き、命令が下る。クルーは一斉に立ち上がり、敬礼を送った。
「……艦長、二人で話がしたい。よろしいか」
プツンと老人からの通信が切れた後、宰相が言った。
一週間後。浮上した二隻の船は北東へ向かう。
「ステルスフィールド出力最大!」
「ステルスフィールド出力最大、っと!」
復唱したシギニは、デスクに備えられた二つのレバーを限界まで押し上げる。新たなる動乱がここから始まることを知りながら、カジャナはただ前を目指した。その先にどれだけの屍を積み上げ、血を流し、涙を乾かし、何と誹られることとなるのか。だとしても、彼女に戻るという選択肢はなかった。
二日の航行の後、アフェムは発掘現場の上空へ到達したのだった。