「聞きましたよ」
食堂にて、拓海が芽吹に向けて言う。
「捕虜を殴った、って。良くないと思います」
「でも、オ・ジガの正体は掴んだ。情報局も動いている……後は出撃許可さえ取れればそれでいい」
部下たちは顔を見合わせる。わかってはいる。最も近い部下を喪い、どこか正気でなくなってしまっているのだ。だが、家族というものが枷になって好き勝手はできない。
その現実を前に、玲奈等は慰めることも諫めることもできない。
「司令と話してくるよ」
食事を終えた芽吹は、冬弥の待つ部屋に向かった。
赤いカーペットの敷かれた部屋で、司令は蕎麦を啜りながら書類に目を通していた。
「出さんぞ」
芽吹が声を発する前に、彼は冷淡に告げる。
「俺一人の判断で戦争を起こすわけにはいかない。冷静になれ」
険しい顔をした芽吹に対し、彼の様子はどこか呆れてさえいるものだった。
「正規軍の部隊が攻撃を行ったんです、これは明確な侵略行為でしょう」
「だとしても、上は報復措置に出ない方向で動いている……同情はする。俺だって、部下が死んだ時はおかしくなりそうだった。何回経験しても慣れないだろう」
まるで説教をされる子供めいて、若き隊長は次の言葉を待った。
「だがな、どこかで割り切らなければならない。俺たちはパーツだ。動くべきでないパーツが勝手に動けば全体を崩してしまう。パーツは役割を果たすだけでいいんだ。理解してくれ」
芽吹は犬の糞でも食わされたような顔で掌を見つめる。パーツ、役割、歯車。
「それにな、俺は黒鷲を動かしたくない。白狼も焔輝への更新が完了したが、それでも切り札はお前たちなんだ。ザハッドナが次の動きを見せた時、最悪の事態に発展しないために、お前たちにはここにいてほしい」
「最悪の事態、とは?」
「今の俺からは何も言えん。何も言えんが、だからこそ必要なんだ」
頼りにされることは、嬉しい。だが、だが、と彼はそこに居続けることに不満を感じて仕方がない。自分の価値というものを改めて考える。強いのだ。その自覚を以て、彼は思考を切り上げる。それと同時。冬弥の机に置かれた送受話器が鳴る。
「こちら碧海島防衛隊司令、東果。──了解。待機任務を命じます」
それだけ言って、冬弥は通信機を置いた。
「ニザラ島に、ザハッドナが上陸した」
そこから遠い、ニザラ島。ヤガ地方の南に位置するその巨大な島は、先の戦争に於いて帝国に長らく占領されていた歴史がある。終戦後、ヤガの皇国への割譲と共に、本来の持ち主であるヴォウ共和国に返還された。
だが、マナエはそれを認めていなかった。古い時代に帝国から独立した共和国の領土であるから、ハーウ帝国の領土なのだと主張している。表向きには、それが理由だった。
彼が仕向けた戦力は、表面上は大したものではなかった。前にいるのはニニルー一機と、ライハ四機のみ。後方に戦艦も見えるが、砲撃の気色もない。
「舐められているな」
それを捉えた指令室で、偉丈夫の長官はそう呟いた。青い空に見えている戦力は、過少にさえ思える。
「教本通りだ。シータタイプを前面に展開。動きを封じたところでノーマルタイプが弾幕を張れ!」
共和国の主力は、デルグリン。両肩にシールドを装備した、扱いやすさを重視している紫の機体だ。右手に持っているランスの基部から、赤い光弾を放って五機の古代兵器を牽制している。
『シータ』タイプと呼ばれるのは、シールドにスラスタを外付けした高機動型だ。主にエースや有望なパイロットに与えられるもので、得物を腰の辺りに構えてライハに突撃をかけていた。
デカ物故に動きは鈍いだろう、というパイロットの読み。しかし、それは敢無く外れてしまう。
ライハは二十五メートルの巨体を難なく振り回し、大きくバックステップ。追い付けない速度で後退したところから、指の魔力砲で三機の紫を焼き払った。細い赤光が腕を捥ぎ、コックピットを貫き、赫灼石を爆発させる。
「このまま基地を踏み潰すぞ!」
北岸に位置する防衛基地に踏み入ったウーアノは、高揚のままに叫ぶ。
「行けよムールル!」
腰背部に搭載された三基の細長い攻撃端末が分離し、飛んでいく。ノーマルタイプの肩部魔力砲を障壁で受け止め、敵部隊に浸透した。あっという間に隊列を組んでいたノーマルタイプに襲い掛かり、次から次へと爆散させていく。
ウーアノの殺人バイキングもそのまま終わるわけではない。一機のシータが背後に回り込んだのだ。スラスタに搭載された砲で一矢報いようとしたが。
「魔導粒子砲が使えなくてもなあ!」
ニニルーの前腕が外れ、砲撃の姿勢に入った敵機に向けて飛翔した。四本のクローが胸部に突き刺さり、中央に備えられた魔力砲で相手を吹き飛ばす。
「これがニニルー! 古代の力よ!」
高笑いをしながら、彼は母艦との回線を開く。
「アルシリーズを全部出せ! 蹂躙だ、虐殺だ!」
放たれた白い猟犬は、雪崩のようにデルグリンらを飲み込んだ。小さいということは、それだけ軽いということであり、軽いということは、それだけ速いということだ。十八メートルの巨人とはステージの違うマヌーバで翻弄し、致命傷を与えていく。四肢を奪われ、抵抗できない機体の胸を穿って、また一つ命を散らす。
ウーアノは、野性的な衝動を刺激されていた。目の前で人が死んでいく──それが心地よくてたまらないのだ。殺して、殺して、殺してしまえばそうやって流れた血が心を潤すような快感だ。
自然と息が荒くなる。スティックを握る手が震える。もっと、もっとと心の奥底に眠っていた、獰猛すぎる人間の忌むべき本性が引きずり出される。爆発の一つ一つが、魔導粒子砲の青い光が、網膜を通じて脳を焼く。
攻撃を潜り抜けて接近してきた、一機のシータタイプ。ニニルーに近接戦闘に向いた兵装はない。だが、ウーアノはサヴァランを呼び戻して迎撃させた。
「エルゼンは、粒子砲で焼き払え!」
数機のエルゼンが並んで、胸部の魔導粒子砲から青い光を放った。基地に展開された障壁は容易く射抜かれ、飛散した粒子が施設に穴を開けていく。そして、管制塔に突き刺さった。
地下に設置された、指令室。
「障壁崩壊! 止められません!」
オペレータが悲鳴染みた声を挙げる。
「……現時点を以て上陸阻止を断念。一度内陸部に引き下がる!」
部屋の奥に座っていた司令の指示は、すぐにデルグリンのパイロットに伝えられた。
「逃げるのかよ、ええ!?」
止めようのない破壊衝動に支配されたウーアノは、撤退する部隊を追いかけようとした。しかし、突如頭に走った激痛。そのまま、動けなくなった。酸素マスクの中で鼻血が垂れる。
「なんだ、これ──」
擱座したようにニニルーは崩れ落ち、膝をついた。その周りをライハが固めて事なきを得た。何はともあれ、勝利を手にしたことに違いはなかった。
◆
ウーアノが目覚めたのは、八時間後。アフェム級の一隻に用意された医務室で横になっていた。
「起きましたか」
白衣の女医は背を向けたまま淡々と言った。
「大分……寝てたみてえだな」
「ええ。ムールルとアルシリーズの同時使用で脳にかなりの負荷がかかったようです」
体を起こし、ぼんやりとした頭を支える。
「カムルはどっちも使ったって聞いたが」
「彼女の仮面には、脳の処理能力を向上させる機能があります。マナエの老人が作らせたブラックボックスの塊ですので、コピーはできませんが」
つくづく愛されているよ、と思いながらベッドから降りた彼は、軽くストレッチを行う。
「恐らく、脳の安全装置のようなものが作動したのでしょう。特別ダメージがあるようには見えませんでした。ですが、気を付けてくださいね。繰り返せば一生体を動かせなくなるかもしれないですから」
少々早口気味な医者は、それ以上のことを言おうとしなかった。
「……あいよ」
軽い返事をして医務室を出ると、一人だった。ダヌイェルもかなり減った。パイロットもそうだ。その消耗を補填し、抑えるための無人機。それが自分を死なせるところだった。
(滑稽だな)
ポケットに手を突っ込み、鼻歌を鳴らしながら歩く。畢竟、自分の居場所は戦場にしかないのだから。