ウーアノは、食堂でコーヒーの注がれた紙コップを片手に過去に思いを馳せていた。血にまみれた、これまでの人生を。
幼い頃、ニザラ島の近くにある小島で暮らしていた。人口は少なく、大した産業もない小さな島だった。だが、彼は幸せだった。優しい母、厳しくも愛情を注ぐ父。一緒にやんちゃをする友人。真っ青な空の下で、短い道路を駆け回った。
だが、そんな日常は一夜にして崩れ去った。皇国が攻撃を行ったのだ。彼が産まれる十年以上前に始まった先の戦争は、そうやって彼を殺人者の道に引きずり込んだ。
その後、家族と共にヤガ地方に避難した彼は、難民キャンプで地獄を見た。足りない食料、冷たい風。今日の飯を手に入れるため、同じ年頃の子供を踏み躙る。大人は子供を絞め殺して少しでも長く生きようとする。そんなことが繰り広げられる場所だった。
キャンプを、疫病が襲った。母は斃れ、都会に仕事を見つけた父は帰ってこなくなった。明日のパンが欲しくて、友人を騙した。途端、彼は独りになった。
独りになればなるほど、世界の色が褪せていく。いつ死ぬかもわからない身の上、吹き付ける冬に震えながら、夜を過ごした。
ある日、軍人が来た。皇国を倒すため、一人でも多くの兵隊が必要なのだという。学も何もないウーアノは、兵卒にでもなれればいいと思って検査を受けた。
しかし、結果は彼の予想をいい意味で裏切った。赫灼騎兵を起動できるとわかったのだ。十五だった彼はそのまま軍学校に入校させられ、た。
パンの配給場所に関して嘘を吐き、一人飯にありつくようなこともなかった。皆平等に温かい食事を与えられた。何より素晴らしかったのは、皇国の玩具を一方的に屠れる自らの才能に浸ったことだ。
たまらなかった。殺人は彼の心の乾いた部分に水を与えてくれる。飲んでも飲んでも尽きない水だ。食っても食っても湧いてくる肉だ。餓えも渇きも、最早自分には無縁だった。
気が付けば、同期の半分が死んでいた。だが、それが何だ? 彼は殺したいように殺し、食いたいように食った。自分のラウーダを好きな紫に染めることも許された。そうして皇国と帝国、双方から『踊る紫の死神』なんて名前で呼ばれるようになった。
その結果が、今だ。ザハッドナなんていう特殊部隊に配属されたのはいいが、普通の部隊にいたほうがよっぽど美味い飯を食えた。それでも、クーウナ・ケルスを操った時の感覚が彼をここに縛り付けていた。
(不味い)
苦いばかりのコーヒーを放置し、席を立つ──こともなかった。予期せぬ来訪者。レドゥだった。長い白髪をそのままに、向かいの席に座る。
「まずは、お疲れ様、だ」
彼女は紅茶を片手にそう言う。
「倒れたんだろう? 立派に義務を果たしたと、私は思っているよ」
「気を失わなけりゃ、もっと殺せてたってのによ」
フッ、と微笑みを見せるレドゥ。
「つーか、なんでテメエがこっちにいんだよ。隊長が母艦を離れるわけにゃあいかねえだろ」
「君のツラを拝みに来たのさ」
親密でもなく、さりとて険悪でもなく。一定の距離感を保ち、心の間に一線を引いている二人だった。
「ニニルー、どうだい」
「魔力炉をダブルで搭載しても、そのパワーが十分に出せてねえんだから、ま、性能の半分も使えてないな。マジでニザラを制圧すれば本気を出せんのか?」
「魔力炉は光エネルギーを吸収し、コアから抽出した魔力を増幅する。ニザラ島の遺構からデータを取り出せば、それを復元できるみたいだ」
ウーアノは紙コップに僅かに残ったコーヒーを飲み干す。
「魔導粒子砲の威力を見たよ」
そう言った彼女は、喜劇でも見たような表情をしていた。
「あれは素晴らしい兵器だ。障壁を正面から打ち破れるんだ、値千金だよ」
「だがよ、ニニルーとライハの魔導砲は排熱できなくて溶けちまうんだろ?」
「パワー不足で排熱システムが動かないってね。それも、増幅システムが手に入れば問題なくなる。私たちはいい時代に産まれたよ……」
「それについちゃ同意するぜ。最高の戦争ができる」
匂いを楽しんでいる風のレドゥに、彼は少しばかりの懐疑の視線を送る。
「ま、それはいいけどよ。テメエもニニルーに乗る時は気を付けろよ。ムールルとアルシリーズを同時に使えば、鼻血が出ちまう」
「ああ、見ていたよ。事前にテストをするべきだったね」
少し、彼女は茶を飲んだ。
「俺わかんねえんだけどよ、茶もコーヒーも変わりなくねえか」
「君はそういう
「いらねえよ」
ガタン、と音を鳴らしてウーアノは立ち上がった。
「ニニルーを可愛がって来るぜ。見るか?」
「いや、遠慮しておこう。機密の塊だからね」
残ったレドゥは、エースと称えられた過去の栄光を思い起こしていた。
白い流星。それが、彼女に与えられた二つ名だった。自分から名乗ったわけでもない。好いてはいない。ウーアノのように誇りには思えない。戦争終結時点で、二十歳。その歳で異名だなんだと威張れる精神はしていなかった。
近接戦闘より射撃を得意とした彼女は、それなりの数を撃墜した。先の戦争での共同を含めた撃墜数は二十七機。ムールルの適性検査も受けたが、それは途中で打ち切られた。終戦だった。
皇国に突きつけられた、事実上の降伏文書によって軍縮を進めた帝国だったが、彼女はそれで首を切られる側ではなく、十年の時を経てザハッドナの一員に選ばれた。
最初、最悪の場合国からの支援を受けられないと聞いた時、終わりを覚悟した。天光条約で守られないということは、非合法的な方法での”尋問”を受けることがあるということ。絶望も絶望だ。
だが、運が良かったのか、実力があったのか──どちらにせよ彼女は生き残った。虜囚の恥を受けることもなく、今こうして高い茶を飲んでいる。
(このまま皇国も共和国も吹っ飛ばせれば、それでいいんだけど)
古代兵器の威力を見た彼女は、それが齎す破壊に惹かれている。多くの友人が皇国に殺された。それより多くを殺したじゃないか、という反論は彼女の頭にはない。ただ、熟成された憎悪だけが沸々としていた。
ぼんやりとしている内に、放送が掛かる。
「レドゥさん、船から戻ってほしいと」
◆
「ニニルーの稼働データは来たか?」
カムルはシギニの前にある画面を覗き込みながら言った。
「来てるぜ。ほら」
彼はディスプレイをタッチし、数値だけのデータを拡大する。
「ま、いいんじゃねえの?」
「……解析班に回しておけ。数字だけではわからん」
「へいへい」
格納庫に隣接する部屋に送られたデータが、画像や映像を伴うまで数時間。カムルは色黒伊達眼鏡に背を向けて時間を潰しに行った。
「隊長も忙しいねえ」
シギニは意味のない眼鏡を拭きながら呟く。
「カムル・オッフ──マイ・オッフの娘、か」
カジャナも応えるように小さな声で言う。
「でも、義理なんでしょう?」
美しい黒髪のドムカ通信士が疑問を呈する。
「どこで拾ったんでしょう」
「……私が思うに」
と、カジャナ艦長。
「明曉島の実験施設にいたのかもしれない。そこから脱走してきた孤児を受け入れたという記録が残っているからな」
「んじゃ、あのパイロットとしての能力は薬とか手術で手に入れたものってことか?」
「さあな。だが、魔力量の増強なんていう措置を受けていたと聞いたことがある。あの仮面も、何かをサポートしているのだろうな」
シギニは聞き流すような態度でキーボードを叩いている。だが、話の中身は頭に入っていた。
「それに、隊長は正規の教育を受けている。単に強化されたというだけの人間ではないさ」
ブリッジの外では、夕陽が沈んでいる。もうすぐ夕食という頃。それを待ち侘びていたシギニは、鐘が鳴った瞬間走り出したのだった。