帰りの列車の中で、カムルは記者との会話を思い起こしていた。コーヒーとホットドッグを片手に、少し強くなった雪が濡らす窓に頭を当てる。
「──戦争が終わったら、どうなさるつもりですか」
三角柱の形に切られたチーズを頬張れば、ミルクの甘味を感じる。
「去就を考えられるほど、余裕のある生き方はしてないさ」
「その仮面が、そうさせるのですか」
隠れていない顔の下半分は、どこか自嘲的な微笑みを見せる。
「私は老人の理想を実現するために仮面を着け、髪を染めた。母や弟を守るためでもあった。しかし、今や皇国は私がカムル・オッフであることを掴み、あろうことかエスク・オッフを人質にして交渉を迫った。意味のない仮面かもしれんな」
辛味の効いた赤いソーセージ。
「だとして、私はこの仮面を着けることで自身を定義してもいるのだ。カムルではなく、オ・ジガとして、自分を化かしたいのだよ」
英雄らしくないな──記者はそう思ったが、声には出さなかった。
自分の求めていた像とは違うものが目の前にある、現実。もっと気高く強い存在だと信じていたが、目の前の若すぎる戦士は、矮小な一人の人間であることを雄弁に語っていた。
「戦う理由はやはり、大原芽吹への復讐ですか」
「そうだな。彼奴は殺さねばならない。マイ・オッフの娘として、それは私がなんとしてもやり遂げる責務だ」
その言葉が本心を半分も語っていないように思えて、記者は首を傾げる。
「よくわかりませんね。貴女自身は、そういう単純な復讐で自分の心が全て晴れるとは考えていない……違いますか?」
カムルはすぐには答えず、暫く間を置いた。
「……お前がどういう推測を立てているかは、知らん。だがな、軽率に人の心に踏み入るものではないぞ」
「それが新聞記者というものです」
「私より年下だろうに、随分と語るな」
記者は居心地の悪そうに身動ぎする。
「ヒドウ、だったか。お前は何を言い含められている? 単にザハッドナのこれからを知りたいだけではあるまい」
「……仕事としては、それだけですよ」
「つまり、お前の望みは別の所にあると?」
「魔導大戦を再び行い、皇国を暗黒時代に叩き込む。それが、ザハッドナの最終的な目的。僕はそう見ています。どうです」
またも、彼女は沈黙を相手に与えた。
「私個人がそこまで知っているわけではない、とは先に言ったはずだ。だが……私見を述べるとするならば、そうだな、老人は皇室を完全に潰すことを目論んでいるのだろう。それが結果的に皇国を暗黒の時へと導くことはあるかもしれないが、目的ではない、と思う」
窓の外で、流れ星が落ちる。
「ザハッドナに、皇国を憎む者は多い。しかし、それの暴走するままに破壊の限りを尽くすべきなのか……」
俯き気味に、呟くような声で彼女は言う。
「貴女は、皇国を憎んではいない、と?」
「憎いさ」
きっぱりと、即座に答える。
「私の出自は知っているだろう。明曉島の実験施設で産まれ、十五番という番号で呼ばれていた。そこから脱出し、父に拾われ、子供たちを全員解放したが……」
「彼らを受け入れた孤児院が、皇国の特殊部隊によって爆破され、子供たちは鏖にされた」
「そうだ。その報いは受けさせるつもりだ。だからこそ、皇国とは違うという所を、示していくべきではないのだろうか」
ヒドウは何かを手帳に書き込んでいく。
「具体的には、どのような方法ですか」
「もう遅いさ」
腹の底にナイフを刺されたような、痛々しい返答だった。何か、良くない所を踏んだと見て、記者は立ち上がる。
「本日はありがとうございました。少ないですが、お礼です」
財布から紙幣を数枚取り出して、カムルにわたす。
「精算はしておきますから。お休みになってください」
全ては遅い。今更清廉な騎士にはなれない。純白の衣を纏ったとて、流しすぎてこびりついた血は拭えない。それをわかって、義務的に食事を終えた。
時を今に戻そう。マスタードがたっぷり塗られたホットドッグを咀嚼しながら、頭の中に地図を広げる。
ヴォウ共和国は、帝国から見て南に位置する国家だ。五百年前、帝国より独立した歴史を持つ。
言語的な類似性は皇国や連邦と比べて高いが、それでも習得が多少容易になる程度で、相互理解には至らないだろう。
共和国と皇国は、結託して帝国を抑え込もうとしている。老人が共和国の打倒を狙うとしても、不自然ではない。
件の発掘現場は共和国西方、ダルメシティ地方。その中でも帝国との国境にほど近い場所だ。
侵攻ルートを考える。帝国西部から南進、ステルス性を用いて奇襲することが、まず思い浮かぶ。
しかし、だ。皇国の開発したステルスフィールドを検出するシステムが共和国に提供されている可能性を考慮すると、これは悪手だ。
(通常の障壁を最大出力で展開しつつ、ニニルーを先頭に強襲……これかな)
ステルスフィールドは、艦の出力の三十二パーセントを必要とする。戦闘行動はできない。ならば、敢えて姿を晒すのも悪くはないだろう。
包み紙を小さく折りたたみ、ゴミ箱に捨てる。一等車ということもあって、客は決して多くない。
今、彼女の右胸には龍を象った銀色の勲章がある。その重みが、奪ってきた命の重みだ。
帰りも同じく十四時間。四日の旅を終え、朝のヤガに着いた彼女は、着替えることもなく格納庫へ向かった。
「増幅システムの実装はどうか」
整備士長を捕まえてそう問いかける。
「全体の七割、ってところですかね。ニニルーとライハは動かせますよ」
長身痩躯、整備士長の彼は何でもないように答える。
「いつ出撃なんでしたっけ?」
「三日後だな」
「アルシリーズは一応全部換装を終えました。ただ、起動テストを行ったのが六割程度。実戦投入の準備が間に合うかは……」
「動かせるものを増やしてくれればいい。半分もあれば十分だろう」
サーベルに左手を置き、彼女は静かに告げた。
「それ、癖なんです? サーベル触るの」
「……かもしれんな。実戦準備を急がせろ、今回の作戦も大掛かりになる」
「了解!」
敬礼した彼に背を向け、カムルは一人になろうとした。
◆
共和国は、好戦的な国家ではない。だが、それは戦争への関与を拒絶するものではなく、必要とあらばデルグリンを友好国へ提供することも厭わない。皇国の特殊部隊がステルス装備を搭載した機体を運用していたのも、その一環だ。
そんな国に住む者たちは、自分らが当事者となることへの意識があまりにもなかった。国境を超える新型戦艦を見ても、その意味を察せないほどに。
デルグリンの群れが空を覆っても、何かの演習だと信じていた。青い光が紫の装甲を撃ち抜き、地面に破片を降らすまで。
「おい、マジかよ、これ、戦争なのかよ!」
そう叫んだ若者は、粒子ビームに焼かれて消滅した。遺骸の一片も残らぬ、完全なる焼却である。
「エルゼンには市街地への爆撃を続行させろ。ニニルーはサヴァランを率いて発掘現場を目指す」
カムルが冷たく硬質な声で指示を下す。
アル=エルゼンの大腿部には十二連装、脛には六連装のロケットランチャが搭載されている。そこから焼夷弾を降らしながら、ゆっくりと飛んでいた。
都市に降り立ったデルグリンが魔力弾を浴びせても、無人機が展開する障壁を穿つには至らない。むしろ、地面にへばりついてしまったことで魔導粒子砲の餌食になってしまう。
「排熱システムの実戦テストだ。盛大に撃て!」
アルシリーズを操っている──その高揚感が彼女に殺戮を唆していた。ニニルーが胸の魔導砲を放つ。その後、熱が紅く光る粒子となって排出された。
(排熱は正常……魔導溶媒を利用したキャパシタも問題なく稼働。この機体なら、いける!)
魔力を閉じ込める液体、魔導溶媒。連邦が開発中のデータを盗んで、帝国がいち早く実現したものだ。最新技術と古代技術の融合は、こうして結果を出している。
襲撃部隊が共和国の防衛網を食い千切って発掘現場に到達したのは、五時間後のことだった。