現在、都市間に於ける移動は、夜間に限られている。月光では出力を確保できない古代兵器は、都市間を移動する武装輸送艦と護衛の焔輝部隊の攻撃を突破しての襲撃を諦めているのだ。
従って、パイロット候補生は夜間飛行の能力が重視される。その実地訓練は三年生から、ということになっているが、その説明を受けた湊は、一つ嫌な想像をしてしまった。右も左もわからない暗闇の中、光に貫かれて死体も残らず死ぬ想像を。
「ちなみに言っておくと、シミュレーションは夏季休暇を終えてからだ。それまでみっちり理論を学ぶんだぞ」
教官が黒板に文字を並べていく。その一つ一つを、学生たちは頭に叩き込んだ。
終業。入校から一か月が経過した一年生たちが、初めて外出を許可される週末がやってきた。湊は雄牛に誘われ、優とその対番を加えた四人で街に繰り出した。
「
優の対番である優男はそう名乗った。
「……どうも」
湊は握手を交わした。
「さて、大原くんはどこに実家があるんだい?」
「一応、昇陽に家族が住んでます。故郷は碧海島ですけど」
「ああ……僕は多然島だ。取り戻そう」
学校の正門でそんな会話をしたのち、バスに乗る。進行方向に対して平行に置かれた長椅子に、並んで座る。
「今日は俺が映画を奢ってやる!」
雄牛が大声を出す。
「公共交通機関じゃお静かに。当たり前のことだと思うけど?」
幸之助に言われて、彼は苦い顔をした。
「……今日は俺が映画を奢ってやる」
比較的小さな声で言い直したことがおかしくて、湊も優も噴き出しそうだった。
「どうだ湊、勉強にはついていけているか」
「まあ、問題なく。帝国語の筆記体がよくわかりませんが」
「? あれは何となく意味が分かるぞ?」
「雄牛の言うことを真に受けてはいけないよ」
幸之助が即座に注釈を付ける。
「雄牛は極まった感覚派だからね。体系化できない、直観の鋭さで大体のことをやってのける。従って、本当に信じるべきは私だよ」
「はあ……」
「湊くん、幸之助先輩は絵に描いたような模範生だ。君も幸之助先輩から学ぶといいい」
優も補強してくるので、まあ、それは正しいのだろうな、と湊は納得した。
バスに揺られ、映画館。軍学校の学生たちには、給料が出る。衣食住は全て国から支給されるため、金は溜まる一方だ。故に、後輩二人の鑑賞料を払ってやる程度のことは、痛くも痒くもなかった。
映画のタイトルは、【恐怖! 迫りくるハエ人間! その六!】だ。
「ハエ人間シリーズは素晴らしくてな、特撮技術が他の映画に比べて飛びぬけているんだ。楽しみにするといい」
劇場では、雄牛はバスの中以上に声を殺していた。
「パンフレットも買ってやろうか?」
「見てから決めます」
始まったのは、とにかくスプラッタな映像。蠅の翅が生え、手足が合計六本ある大男が、道行く女の血を吸っていくのだ。食事を終えたハエ人間は、その女の首を引き千切り、高笑い。
そこに、蚊取り線香を彷彿とさせる仮面を装着した巨大ヒーローがやってくる。
「ハエ人間! 今日こそ倒してやる!」
「やってみせろ、殺虫仮面!」
確かに、格闘シーンは見応えがあった。手に汗握る駆け引きと、高い身体能力から来るダイナミックな構図。だが、戦っている両者の見た目が滑稽で、湊はどこか冷静になってしまっていた。
二時間後。ハエ人間は逃走し、殺虫仮面が悔しがるところで物語は終わる──と思いきや、スタッフロールの後に、七の制作が決まっていることが発表された。
劇場から出た湊は、雄牛に何度も肩を叩かれた。
「またいつか、共に見に来ような!」
泣いている。湊にその感情は理解できなかった。
「あー……そうですね」
奢ってもらった手前、面と向かってつまらないと言うわけにはいかない。とりあえず、合わせた。
昇陽は、高層ビルが増えつつある。少しでも安全な都市に、ということで人が集まってきているのだ。
そんな街の発展は、徐々に政府の管理できる範疇を超え始めている。乱立する建物の間に入り込めば、古い木造建築とコンクリートのビルが並んで建っている光景を目にする。
湊が長く過ごしてきたこの地で、まだ知らぬ場所があることに彼は驚いた。雄牛が通っている、隠れ家的焼肉店だ。
「好きに食え!」
「牛バラ肉ください」
湊は何の遠慮もなく注文を始めた。
「少しは待たないか!」
「好きに、って言ったのはそっちじゃないですか」
「それもそうか!」
「あ、麦飯も」
酒は飲めない。ストレートで入学した者は、成人と同時に卒業するからだ。だが、この場に於いてそんなものは必要なかった。
「つまり! 俺は三年とシミュレーション対決をして勝ったわけだ!」
声を張り上げる雄牛。
「どうだ、俺直々に指導してやってもいいんだぞ?」
「夏季休暇終わったらシミュレーション訓練あるみたいなので、その時お願いしますよ」
「おうよ!」
ドン、彼は胸を叩いた。
「雄牛先輩、強いんですね」
幸之助に向かって湊が言った。
「肝も据わっている。頭がもう少しあればいいんだけど」
「おい! それは脳味噌が足りないということか!」
「だからそう言っているだろう」
この時、湊の中に家族の顔はなかった。ただ、今が楽しい。騒がしい先輩と、食べる時は直角に箸を動かす級友。自分が一番欲しかったものが、ここにあった。
「湊! 産まれてこの方ずっと言われ続けただろうが、英雄の息子というのはどういう気分だ!」
「……何かある度に、あの大原か、なんて言われて、嫌でした。父のことなんて覚えていないのに」
「おそらく、一生言われるだろうな! 軍に入ったのなら猶更! だがな! 俺はお前そのものを見たい! だから不貞腐れるな!」
「不貞腐れてなんかいませんよ。あ、牛タン追加で」
牛の舌が届く。そうやって、賑やかな夜を過ごし、戻ったのは門限ギリギリのところだった。
明くる日。湊は一人で外出許可を取った。実験に参加するためだ。迎えの車に乗る彼の姿を見た者が、一人いた。
◆
セラは自室で予習を行っていた。負けたくない人間がいるからだ。帝国語の辞書を一通り頭に叩き込み、青い空に目を移す。
(負けたくないもの)
少し体を動かしたくなって席を立った彼女は、ルームメイトの登場に足を止めた。
「あら、セラ様、休憩ですか?」
水無月楓だ。
「気分転換かな。楓も予習してきたの?」
「ええ、勿論。ですが、それは置いておきましょう。中隊の殿方についてお話しませんこと?」
セラは大きく溜息を吐いた。見せつけるように。
「ここは婚活会場じゃないのよ。私たちの本分は勉強と訓練。わかるでしょう?」
「任官後のためのパイプ作りも、ですわよ」
振り切るのも諦めて、彼女はベッドに腰掛けた。
「それで、誰か見つけた?」
「四島様は、家柄も、まあ文句はないでしょう。都橋様については……眉目秀麗ですが、水無月家の婿とするには少し血筋が美しくない。やはり湊様ですわね」
セラは敢えて答えなかった。彼女にとって湊は絶対に負けるわけにはいかない相手だ。そういう意味で、意識はしている。だが、このルームメイトのように物色の対象にはなっていなかった。
「そうやって人を量ってばかりいると、嫌われるわよ」
「優秀な人間は妬まれるものでしてよ」
この場に居続ける方が気分を害する、と判断した彼女はついに立ち上がった。
「走ってくる」
更衣室で着替えている間、彼女は家族のことを考えていた。家計に余裕のある家ではなかった。それ故に、学費がかからない軍学校を選んだ。そのことは間違っていない、はずだった。