「進級を祝って、乾杯!」
雄牛と幸之助が、グラスを高々と掲げる。それに合わせて、湊と優も手の中にあるそれを突き上げた。
「湊、お前が三位とはな!」
学生向けの飲食店。業態としては居酒屋に近い。座敷があり、多様なメニューがある。これまでの苦難を洗い流しに、多くの学生と教員がごった煮になって銘々好きなものを飲み食いしていた。
「二年の学年末は実技がある! お前は負けないだろうな! 俺に勝ったのだから!」
酔ったように笑い出した雄牛だが、未成年であるために酒は入っていない。
「幸之助! お前は何位だった⁉」
隣にいる同級生の背中を乱暴に叩き、オレンジの雫を飛び散らせる。
「成績は貼り出されていただろう。まさか、チェックしていないのか?」
「ああ! 自分の数字を探すことで手一杯だった!」
なんでこの人が受験を突破できたのか、とその場にいる誰もが思った。
「私は八位だよ。夜間飛行で撃墜判定を貰ったことが響いた」
「シミュレータで、ですよね?」
優の質問に、幸之助はそっと頷いた。長方形のテーブルに乗っている空揚げを取って、口に運ぶ。
「夜間飛行は楽しいぞ! 神経は使うがな! 二年のシミュレーションで一定の成績が残せなければ、留年だそうだ!」
他のグループも店にはいるが、雄牛の大声もこの喧騒の中では遠くまで届かないようだった。
「いいか、夜間飛行は集中力の維持が大事だ! 目に頼っていては撃墜されるだけ! そして、撃墜の多さは留年に直結する! まあ、夏季休暇までは慣らしだからな! そこまで成績には響かないが!」
そこまで言って、雄牛はリンゴジュースをグイッと飲み干した。
「二年の冬から、実機訓練があるんですよね?」
湊が尋ねる。
「ああ。焔輝組か赫天組か、そこで振り分けられることになる。単に魔力量だけじゃなく、総合的に判断するものだよ」
雄牛の後に幸之助が話すと、一気に静かになったように思えて、新二年生二人は面白い気分になった。
「操縦技術、戦闘センス、そして人格。魔力量が多くても、そこに問題があれば焔輝は任せられない。勿論、少なければスタートラインにすら立てないけど」
この時、優は自分が焔輝班になるものだと確信していた。しかし、現実は厳しかった。
「湊! 対番の指導で困ったらいつでも頼るんだぞ!」
「私の方がいいよ。『これ』は熱血すぎる」
「血が滾って悪いことはないだろう!」
春休み。学生たちは一日だけ門限なしの外出が許された。たまにはこうして羽目を教官諸共外して遊ぶのだ。
「あら、湊もいたのね」
そこに、セラがやってくる。楓のいるグループから離れて、ぶどうジュースを片手に持っていた。
「一位さんじゃん。こっちに来ていいの?」
「順位で呼ぶのやめなさいよ──楓ったら、男の話ばっかりなのよ。それで、気分を変えたくなって」
「ああ、婚活の水無月さんね……」
その二つ名に、彼女は噴き出した。
「そんなあだ名ついてるのね。殆ど事実だから否定できないわ」
「湊くん、学友をそういう言い方するのはよくないぞ」
「いいのよ、それくらい砕けた方がいいわ」
「ルームメイトがこう言ってるんだ、別にいいだろ」
形勢悪し、と判断した優は黙った。
「夜間飛行訓練、自信ある?」
するりと湊の座りに座って、彼女は問うた。
「できるようにならなきゃ留年なんだろ? なら、やれるまでやるしかない」
「そう言うと思った。どっちが早くシミュレーションクリアできるか勝負しない?」
セラからすると、湊は少し見上げる形になる。その綺麗な目が眩しくて、彼は直視できなかった。
「いいよ。学祭のリベンジならいつでも受けて立つ」
「言質取ったわ。宍戸くんも聞いたわね?」
そうやって、夜は更けていく。真っ暗になった街を往き、寮に戻った頃には、日付が変わっていた。
◆
春休みが終わる。特に式もなくぬるりと始まった二年生の日々。その翌日に、入校式が行われた。二年生がやることは、一つ。対番となった生徒を教室へ迎えに行くのだ。
式典が終わり、午餐会の後に教室へ入った彼らを待つために、その外に集まる。
「どうやら、一年次の中退率は十パーセントに達するらしい」
優が湊に言った。
「君の対番がそうならないことを祈るよ」
「優だって」
事実、教室前に集まる同期たちを見回すと、少し数が減っていた。逃げた、とは湊も優も思わない。適合しなかっただけだ。無理にしがみついて壊れてしまうよりずっといい。
「おっと、オリエンテーションが終わったみたいだぞ」
優が言った。津波のように出てくる一年生たちの間を掻き分け、湊は頭に叩き込んだ写真の少年を探す。五分ほどして、見つけた。
「
すらっとした、美少年。白い髪を短く切り揃え、氷のような表情で湊を見上げていた。
「……よろしくお願いします」
起伏に乏しい声だ。下手をすれば声が小さいことを理由に指導されてしまうほど。
「もっとハキハキ話さないとどやされるよ」
「別に。それならそれまでのことなんで」
入ってくる以上、最低限の身体能力はある。運動音痴を弾くための実技試験だ。だが、湊はどうしたって不安だった。殴ればポキッと折れてしまいそうだ。
「僕は大原湊。よろしくね」
恐れを微笑みで隠しながら握手を求める。レキは二、三度右手と目の間で視線を行き来させてから、応えた。
「やっぱり、殴られたりするんですか」
寮に案内する道の中、レキが問うた。
「暴力を使った指導は禁止されてる。考えてもみてよ、生き残るための訓練でわざと怪我させるんじゃ、本末転倒だろ? 少なくとも僕は殴らない。あと、宍戸優ってのもそのはずだ」
今年の一年は、一階を使うということだった。割り当てられた部屋へ連れていくと、そこには優とその対番が荷解きをしていた。
「おお、湊くん! 奇遇だな」
優の対番は、教科書を背の高い順に並べたり、ロッカーがぴったり壁にくっつくようにしたりと、馬鹿らしい指導を受けていた。
「君、名前は」
「レキです。天羽レキ」
「僕と湊くんはルームメイトなんだ。よろしく頼むよ」
レキは何も言わないで荷物をベッドの上に置いた。
「被服類はロッカーに。貴重品は奥の鍵付きボックスに入れるんだ。それで──」
雄牛から受け継がれた説明をこなしながら、湊は部屋の中を見せる。それも終わって、上級生は新入生二人が仲良くする時間を設けることにした。
「それじゃ、僕らは出てる。何かあったら三階に来てよ」
廊下は騒がしい。既に喧嘩になっている組さえある。
「全く、元気なものだ」
「僕の場合は、大人しすぎて怖いけどね……」
優が疑義の顔を向ける。
「レキは、うまくやっていけるかわからないんだ。まだ他人なのに何心配してるんだ、って思うかもしれないけど」
「大事さ、そういう思いやりも。僕の方は中々骨がありそうだ」
笑っている隣の優を見ながら、湊は言い知れぬ恐怖を押し殺していた。だが、一つのことを思い出して冷静になる。雄牛の対番だった上級生は、三年生になった途端やめた、と。
何か耐え切れないことがあったのかもしれないが、それは湊にとって鎮静剤のような役割を果たしていた。対番の血統を絶やす者が自分だけではない、という安心だ。
それは負の安心だ。それでも、彼は落ち着きたかった。今にでも辞めてしまいそうな下級生の顔を思い出しながら、自室へ向かった。
◆
「増幅システムの効率は、上がりつつあるのですね?」
鞭が技官に問うた。
「ええ、まあ。先日の実験では、六十パーセントへの到達も見えてきました」
胸だけの焔輝。それは、来る次世代機へと作り変えられる予定のパーツだ。
「
鞭がそれを眺めながら言った。
「ゲームチェンジャーとなることを、願っています」