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第32話:烏賊ではないナニカ

 夜、魔導光ネオンに照らされた街中の一角。


 普段は高級なBARとしてワンランク上の優雅な時間を提供するこの場所は、故意に人払いをしてあるが故に薄暗い照明の灯る店内にはカタカタと忙しなく片膝を揺らす格好だけは洗練された小物感漂う人物。


 ソバカスが玉に瑕な美男子とその護衛しか客と呼べるものは存在しない。


「クソッ! 出涸らしが、出涸らし風情があっ! この俺をコケにしやがった。ギルバート兄様の右腕といっても過言では、ないことも……俺は王子だっ! フュングラム王国王子アルフレッド様だろっ!? 違うか!? トーマスっ!?」


 まさかこのタイミングで自分に話題が飛んでくるとは考えてもいなかった、深緑の軍服に身を包んだ第五王子近衛軍隊長のトーマスは、『めんどくさい』と言外に貼り付けていた表情を引き締め、


「その通りです。アルフレッド様は由緒正しきフュングラム王国の第五王子——」

「だから『五』を強調するなと言っているだろうっ!!」


「はっ! 申し訳ございません。アルフレッド殿下」


 内心で転属届を提出しようかな、と、ビシッと畏まった敬礼からは微塵も感じられない思いを抱いていたトーマスだが、ふと店の入り口に気配を感じ仕事モードをフルに発揮して警戒を向ける。


「……やっとお出ましか。トーマス! 丁重にな、例え相手が姿でもだ」


「はっ! 心得ております」


 それでも警戒を最大限に張り巡らせ、いつでも腰の魔導銃と剣を抜けるように構えながら店の扉前まで進み静かに開いた。


 あえて良い雰囲気を作り出すために薄暗い空間を演出している店内にあって、全身をローブで覆い隠したその姿は余計に不気味さを醸し出していた。なにより、


「……っ」


 ゆっくりと主人の元へ進み始めたローブの裾から見え隠れする〈触手のようなモノ〉を目にした瞬間のトーマスは無意識に出てしまいそうな嫌悪感を抑えるので必死だった。


「おい、あんた。今あたいのコレを見てナニを考えた?」


 ギロリ、とフードの中から女性のような声と金色に怪しく光る鋭い眼光が除く。


 トーマスは務めて冷静に表情を取り繕い、


「いえ、自分は何も——」


 言いかけたその時、ニュルっと肌を這う言いようのない不気味な感触に慌てて視線を向ければ、無数の触手が服の下から潜り込み素肌へと触れていた。


「————っ!?」


「ほら、やっぱりな? あたいの見てしたんだろ? 人外好きの変態の匂いがプンプンしてるぜぇ? お兄さん?」


「いや! それはないっ! 絶対にそれだけはないっ! わたしは生粋のロリ——」


「みなまで言うなって、最近あたいもご無沙汰なんだ。いいぜぇ? あたいがそのなまっ白い身体に消えない疼きを刻んでやるよ」


「や、やめ! 本当にやめてっ……う」


 ローブの裾からウネウネと次々に現れる触手がトーマスの体の至る所を這い回り、急に大切な何かを失ったようにトーマスは大人しくなった。


「んはぁ、濃ゆいのうめぇ……」


 触手でしか触れていないにも関わらず口元のよだれを拭うような仕草をしながら恍惚の表情を浮かべるローブ姿の異形の女。


「おい、その男は後で好きにしていいが、まずは俺の前に膝をつくのが礼儀じゃないか?」


 店の奥から苛立たしげに声を荒げるアルフレッド。


 ローブの奥から小さな舌打ちを打ちつつ金色の鋭い眼光がトーマスの主人を睨みつける。


 この時、トーマスは放心する意識の中で転属ではなく転職すると決意していた。


「ふん、生まれがいいだけの凡夫が偉そうに。おまえもあたいの玩具になりたいのかぃ?」


「い、いや。それは遠慮しておく」


 サーッと顔を青ざめさせたアルフレッドは必死に虚勢を張りながらも後ずさって応えた。


「まぁいい、今夜のオタノシミもゲットできたしな。そんで? 小物王子様があたいに接触した理由……本気であたいらと手を組むって事でいいのかぃ?」


「……っち、魔族の異形種が調子に乗って——。

 ま、まぁ、いい。俺は寛大な王子。無礼はこの際水に流そう。

 ああ、おまえらの望み通り『強力な【固有能力】持ち』を定期的に差し出す。我が国ではもともと忌み嫌われている存在だからな、大した損害ではない」


 なけなしのプライドを守ろうと必死なアルフレッドを興味なさそうに見据えながら、ワキワキと触手を動かしトーマスの体を弄ぶ異形種の魔族。


 この時トーマスは無我の境地に至ろうとしていた。


「はっ、人族の内情のほうがあたいらよりよっぽど醜いと思うけどね? まぁいいさ、それで? 見返りはあんたらの勢力への加勢でいいのかい?」


「ああ、問題ない。王戦が本格的に動き出した時『俺の手柄』として第二王子のギルバート兄さん側についてくれれば……いや、そのまま王国を異形の力で呑み込むのも、夢じゃないのか」


 次元の低い妄想に囚われているアルフレッドを冷ややかな視線で見据えながら異形種の魔族は鼻を鳴らして踵を返す。


「こっちは貰うもんさえ貰えれば何でもいいけどな……で、記念すべき最初の一人目、わかってんだろぉなぁ?」


 ニヤっとギラついた歯を覗かせてフード越しに笑みを浮かべる異形種の魔族に対して薄っぺらく嫌味な笑みを浮かべるアルフレッド。


「それは当然! お前らにとっては極上の生贄になるだろうさっ! 

 出涸らしにしても一応は王家の血筋っ! 愚かにも【固有能力】を大衆の面前で開花させるとは、しかし、お前は俺にとって最高の餌になってくれた、なぁエステルっ! ははは、あはははははははっ!!」


 小物の鏡のように一人高笑いを上げるアルフレッドから目を逸らし、触手で引きずるトーマスへとフードを取って見せた異形種の魔族。


「あんたは、あたいと今から濃厚なお遊びと洒落込もうぜぇ? あたいのことは『シアン様』と呼びながら悶えて喘ぎな」


 ギザギザとした歯並びは凶悪に見えて、意外と幼い顔立ちとアンバランスで、灰色と黒の入り混じった髪はウェーブが掛かっている。


 なにより褐色の肌を覆う薄い布から覗く申し訳程度の、それでいて尊い小ぶりな膨らみ、シアンの全容を目の当たりにしたトーマスの中で何かが芽生えた。


「あぁ〜、アリよりのアリだわコレ……」


 その後、トーマスがアルフレッドの元に戻ってくることは無かった。

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