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第34話:烏賊でも傾聴できる

 エステルはフュングラム王国の第七王女としてこの世に生まれ落ちた。


 〈フュングラム王国〉は大陸において人族を代表する大国であり、世界評議会に加盟している国々の中では領土、経済、産業ともに最も広く栄えている国の一つと言えるだろう。


 ただ同時に、世界評議会という組織の故に種族間で差別意識などが比較的少ないこの世界にあって〈人族〉という種族のしがらみに囚われている国でもあった。


 その最たる原因は同じ人族による国家でありながら世界評議会非加盟国にして〈フュングラム王国〉に並ぶ大国〈デセプシオン帝国〉という存在につきる。


 〈デセプシオン帝国〉は一切外部との国交を持たない鎖国国家で、その内情を知るものは極端に少ない。


 同時に後ろ暗い噂も絶えない国であり、目的のわからない他国への侵略行為、他種族を不当に拉致した上での奴隷化、精神を汚染する怪しげな薬の流出など、大陸で起きる重大な事件の裏側には大抵の場合〈帝国〉が絡んでいると言っても過言ではない程に、暗い噂は枚挙にいとまがない。


 ただ、この〈帝国〉問題に対して毎度苦渋を舐めさせられているのが同じ〈人族〉の国家である〈フュングラム王国〉だった。


 多種多様な種族の集まる世界評議会であり、〈帝国〉に対しても一丸となって警戒を見せ続ける中で、やはり『同じ種族』というレッテルは〈フュングラム王国〉の肩身を狭くしていた。


〈フュングラム王国〉は〈デセプシオン帝国〉を常に敵対国とし、矢面に立って小競り合いを繰り返してきたという歴史を持ちそんな歴史的背景において、ある思想がエステルの生まれた国には根付いてしまった。


〈勇者〉に頼らない世界。


 これは世界評議会発足のコンセプトでもあり全世界的に〈召喚〉に関する魔法を禁じている。


〈勇者〉という存在が人族を初めとして多くの種族に残した恩恵の最たるもの【固有能力】、この力は遺伝により後世へと伝達され新たな力として目覚める事が確認されていた。


 世界評議会はこの〈勇者の血筋〉を国家で独占することを禁じたが、やはり国力にも繋がり得るこの稀有な血筋を残したいと思う国家は多く、独占は出来ずとも取り込みたいと考えているのが世界各国の実情でもある。


 そんな中にあって〈フュングラム王国〉だけは真逆の思想を掲げていた。


 【固有能力】に依存しない軍事力と国力の構築。


 それはある意味理にかなった思想でもあるのだが、その根っこは少々歪んでいると言わざるを得ない。


〈デセプシオン帝国〉と度々小競り合いを繰り返してきた〈フュングラム王国〉はある事実に気がついた。


 それが〈帝国〉の抱える【固有能力】保有者の異常な数である。


 ある者は苦楽を共にした仲間を敵の【固有能力】によって殺された。


 またある者は部下を、恋人を、親を、子を、最愛の者たちが、小規模とは言え度々起きる〈帝国〉との争いの中で強力な【固有能力】の前に為す術もなく、理不尽に命を散らせる事数十年。


 国は次第に終わることのない〈帝国〉との争いに疲弊し、同じ種族というだけで必要以上に責任を負わされている現状に憤り、それら負の感情はやがて身近でも【固有能力】を持つ者へと向けられ、〈帝国〉とはなんの関わりもない者にまで疑心暗鬼の目は向き、理不尽な差別意識が徐々に国全体へと蔓延していった。


 そんな情勢の渦中にエステルは生まれた。


 エステルが無謀にも名乗りをあげた次期王座を競う〈王戦〉。


 そのルーツは数百年前に〈フュングラム王国〉の建国に携わった〈勇者〉の影響とも言われており、単なる血筋による世襲ではなく王位継承権を持つ者たちが貴族や平民問わず全国民の投票により決定する〈王位継承投票選挙〉が始まりとされていた。


 しかし、現代の〈王戦〉は当時のなごりを残した全くの別物。


 【固有能力】に頼らない軍事力という聞こえはいいが歪んでしまった根底は〈王戦〉という本質を『いかに強靭な軍事力を持って王国を導くか』という思想へと変質させてしまい、年月が過ぎるにつれ〈フュングラム王国〉は軍事国家としての側面が強くなってしまった。




 ***




 エステルは自国の現状を皆に説明し終える。


 そっと視線を巡らせたエステルは、弱く、なんの力もない〈最底辺王女〉の為に集ってくれた心強い仲間達を視界に収める。


 一拍置いたエステルは肺腑からゆっくりと息を吐き出して、改めて口を開いた。


「私の母は、元フュングラム、騎士団長エリザベス・ソリテュード。今は影も形も無くしてしまった騎士団の団長だった人です。そして母は【固有能力:剣聖】の力を持ち……帝国と最前線で戦い————」


 直後、学園都市全体に美しい鐘の音色が響き渡る。


 朝の定刻を告げる音色はエステルの言葉を遮り、その場に微妙な間をもたらした。


「そろそろ行かないと〈学園〉に遅刻しちゃいますね! この続きはまたの機会にっ! 今日から〈学武祭〉の学術部門が始まります。私の近衛軍になった皆さんはつまり私の従者! 〈学園〉のシステム上、従者の成績は主人の成績と同じっ! つまり、皆さんは私の為に死力を尽くして筆記試験に臨んでくださいっ!」


 先ほどまでの空気を払拭するように、半ば本心を織り交ぜつつ気丈に笑って見せるエステル。


「はぁ、何を言うかと思えば。従者になったといっても私たちはそれ以前に〈学園〉の生徒。あなたの言うシステムが採用されるのは入学時から従者として登録されている場合のみです。つまりエステル。あなたは普通に後日追試、成績もあなた自身の結果以外考慮されませんわ?」


「んなぁ!? え、てことは『勉強しなくても従者が増えれば私の成績右肩上がり作戦』は」


「がはははは! 豪快な策だが弄する前に潰えたなエステルよ! うぬも武人ならば例え相手が〈試験〉であっても正々堂々向き合うことだ!」


「エステル姫、バカなんじゃない? しょうがないから今回の筆記試験で出た傾向と対策はボクなりにまとめてあげても、いいけど」


 好き放題言ってくれる仲間たちの言葉にエステルは、しかし、胸の内に込み上げる言いようのない温かな感情をギュッと握りしめるように胸を押さえつつ、笑顔を向けた。


「ふん、良いですよ。私は多分補習になる予定のスクイドと一緒に勉強して——」


「ふむ、過去問を解く限り自分の全科目平均は九十点を超えている。よって補習の可能性は限りなく低いと予測を立てているのだが」


「は? な!? えぇ!?!?」


 本当に予想外が過ぎたスクイドの回答に最早死にかけた魚のような表情でしか反応できないエステルを、ふふん、と鼻で笑いながらルナがスクイドの腕を引いて部屋からの退出を促す。


「流石はスクイド様ですわ、残念極まりない底辺主人なんて放っておいて早く行きましょう?」


「成程、成程! スクイドは学問にも精通しておるのだな! 吾輩も友として負けておられん」


「何を今更、御館様は全方位あらゆる事柄に置いて一分の隙もありはしない。エステル姫は、まあ頑張れとだけ言ってあげるよ」


 ルナに続きリュウゼン、アイリスと部屋を後にし、〈学園〉へと向かう。


「エステルは静まり返った室内で、その見目麗しい横顔にかかる艶やかな髪をそっと耳にかけ、この世のものとは思えない、まるで絵画の如き美麗な容姿にほんの少し陰を落とし————」


「エステルちゃん? 流石に一人でそのセリフは……」


 窓ガラスに映り込む自身の美貌に酔いしれながら紡いだ恥ずかしいセリフは、見事にスクイド達と入れ替わりで室内に入ってきていたイザベラの生暖かい視線に一瞬俯き、無かった事にした。


「皆さんの試験の無事を、お祈りしていますわ」


 瞳をうるうるさせ両手を組んで窓に祈りを捧げている程を装ってみる。


「エステルちゃ〜ん? もう手遅れだよ〜? いきなり世間知らずな可愛らしい系の王女には、なれないんだよ〜」


「……」

「……」


「ふ、ままならないものですね、人生とは」

「ね〜」


 思春期の子供を遇らう母の如く、エステルの繊細な感情の機微など無視して部屋の掃除を始めるイザベラ。


 エステルは、何事もなかったかのように、まだ思うように動かせない体をベッドに沈め、二度寝を始めるのだった。

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