パチリと自然にエステルの目は覚めた。
まだ日は高く、丁度お昼くらいだろうと自分の空腹具合から判断する。
「筆記試験は終わった頃かな? 午後は〈優秀論文〉の発表会。ここで私の論文が当選していれば、ワンチャン筆記試験でコケても痛くない、はず」
直視したくない現実と楽観的な理想の狭間で、もう直ぐイザベラが運んでくるであろう昼食まで今しばらく微睡もうと瞼を閉じかけた、瞬間。
「————っ!?」
ドアを無理やり蹴破るような音。
乱雑に押し寄せる複数の足音にエステルは警戒を瞬間的に高め、枕元に立てかけていた剣へと手を伸ばす。
「——っつ、こんな、時に」
全身を駆け巡る激痛。
強力すぎる【固有能力】を使用した反動により未だエステルの体は思い通りに動かせない。
エステルの寝ている部屋のドアをも躊躇なく蹴破り、完全武装で部屋の中へと雪崩れ込んでくのは未だ記憶に新しい深緑の軍服。
「……兄妹とはいえ、レディの部屋にいきなり押し入るとは、やはり変態だったのですね? アルフレッドお兄様」
「ハハハ! 何を勘違いしているんだ出涸らしの妹、いや……卑しい血と力を持った化け物。お前は最早妹ですらない」
エステルを包囲して魔導銃を構える軍人たちの間を割るように、一見美男子な顔立ちにソバカスを散りばめた小物感漂う第五王子アルフレッドが蔑むような笑みを貼り付けエステルの前に一歩踏み出した。
「お戯れはこの辺でおやめ頂きたいのですが〜、アルフレッド殿下?」
突然何の気配も感じさせずエステルとアルフレッドの間に現れた専属メイドのイザベラが短剣を構える。
同時にエステルを取り囲んでいた軍人の半数がうめき声を溢しながら地に崩れ落ちた。
「イザベラ?」
初めて目の当たりにするイザベラの技量と普段とかけ離れた様子にエステルは瞳を大きく開き、イザベラは特に反応する事なくアルフレッドをジッと睨み据えている。
「おお、怖い怖い。勘違いしないでくれ。俺はただ王族の住む屋敷の敷地内に、無断で
「——っ!?」
安い役者よりも見るに堪えない芝居がかったアルフレッドの言葉にエステルは吐き気を覚えながらも、なぜか酷く狼狽したイザベラの様子に募る不安が拭えなかった。
だが、アルフレッドの気持ち悪い笑顔から、なんとなく直感的には感じていた。
今からコイツは恐らく酷く不愉快で理不尽なことを言うのだろうと、そう言う時のクズ兄姉の表情をエステルは何度となく目にしてきた。
「イザベラ・マリシャス。第二王子であるギルバート兄さんからの言葉だ。心して聴くように。
『第二王子近衛軍、王国直下元暗殺部隊、隊長イザベラ・マリシャスの
ニヤリと嫌味な笑みを浮かべ、懐から一枚の書状を取り出しイザベラの眼前へと突き出すアルフレッド。
「……」
「イザベラっ!?」
瞬間、イザベラは構えを解いてその場に沈黙した。
散々理不尽な目に遭い、その度に歯噛みしてきたエステル。
今回も一時の屈辱を乗り越え、歯を食いしばり、立ち上がれば、また戦える。
どんな理不尽な目にあっても、と、そう考えていた。
「はぁっ、ははははっ! やめろ、その顔、腹が捩れる! 唯一信頼できるメイド、だったんだよな? 子供の頃からずっと、ずっとイザベラだけが味方、だったんだよな? わかるぞ、辛いだろうなぁ、俺には想像もできない程に苦しいよなぁ? だが、これが現実だ! 最初からテメェを取り巻く環境に、救いなんかねぇんだよ! 卑しい売国奴、奴隷に成り下がった汚れた母親から生まれたテメェには『王族』を名乗る権利なんてねぇんだよ」
「——っぐぅ、ううぅう、ぁあああああッ!!! コロス! コロス、コロス! 殺してやるこのクソ王族どもっ!!」
全身を走り抜ける激しい痛みを、激情を持って屈服させる。
エステルは血走った眼光でアルフレッドを睨み据えながら剣を鞘から抜き放ち、魔力を解放し。
「お、おい! イザベラ! あの化け物を拘束しろ! 第二王子の権限を一時預かった俺が命令するっ!」
「……畏まりました」
イザベラの動きは澱みなく、激昂したエステルは簡単に背後を取られて捻りあげられた腕から簡単に剣を取り落とし、床に顔を押さえつけられる。
フーッフーッ、と獣のように荒い息を漏らしながらギロリとイザベラを睨み返すエステル。
そこに見知った彼女の顔はなく、能面のように表情を失ったイザベラ・マリシャスと言う別人が感情の読めない瞳を浮かべているだけであった。
「——いざ、べらっ!!」
悔しさのあまり噛みちぎった唇から吹き出す血の味。
次第に冷静さを取り戻したエステルの内側に込み上げるのは言いようのない絶望と孤独感。
「っち! 手間かけさせやがって……おい、〈魔力封じの枷〉をしとけ、こいつは【固有能力】持ちの化け物だ。化け物は化け物に捧げるのが一番ってな、一応記念すべき『初商品』だ。丁重に扱え、よっと」
腹部に突き刺さるアルフレッドの蹴りに苦悶の声を噛み殺すエステルは、手足を〈魔力〉を封じる拘束具によって封じられた。
首筋にイザベラが手を当てた瞬間軽い痛みを感じ、次第に意識が朦朧とし始めたエステルの耳元で、
「————……すべては、彼に」
その瞬間だけは、聞き慣れた彼女の声色だったような気がした。