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第37話:烏賊の古代魔獣

 筆記試験を無事に終え、優秀論文の発表を控えた教室内でスクイドはジッと窓から見える景色を眺めていた。


 〈学武祭〉の後半である学術部門は観客を招いたイベントも〈魔道具〉の展示会程度であり先日程の賑わいはない。


 生徒は皆粛々と机に向かってペンを走らせ、その後は祈るようなポーズを取り続ける。


 至って平和、至って日常的な光景。


「優秀論文の発表を行う前に、テストの採点が終わったので成績優秀者上位三名の発表後、補習者の発表を行います。なおこのランクはクラス内だけのもので学年でのランクは後日張り出される予定です」


 教壇に立つジャネットが以前とは別人のように艶やかな髪を靡かせ、キリッとした表情で生徒たちを見渡している。


「何が彼女をあのように見違えさせたのでしょうか? 恋? ですがそのような噂は聞きませんの」


「オナゴの心は例え武の心眼に目覚めても、吾輩には理解できそうもない」


「君ら、ジャネット先生が話しているんだからちゃんと話聞きなよ? それともボクの影で姿勢を矯正してあげようか」


 スクイドの横に並ぶ三人はエステルの近衛になった流れで自然と席もスクイドに続くように並んでいた。


「……ふむ。イザベラが動いた。ということは、助けに……面白いな。助けるという思考が自然に浮かぶこの感覚はやはり素体の影響か……ならば逆の選択肢を自分が取った場合、素体は何かしらの拒絶反応を示すのだろうか」


 ブツブツと独言るスクイドをちょっと引き気味に見つめる三人だがうち二人は補正により即魅力へと変換。リュウゼンだけが居心地悪そうに教壇へと視線を固定していた。


「まずは成績最優秀者、続いて二位、三位の発表をします——このクラスの最優秀者は、スクイド・ホオズキ君、続いてルナ・リューシエルさん、最後にリュウゼン・ドラグニル・アングゥイス君」


 エステル近衛軍から三名が上位に選ばれるという快挙。


 教室内は騒然とし、ジャネットはどこか満足そうな笑みでスクイドを見つめている。


「流石はスクイド様ですわ」


「うむ! 文武両道とは、吾輩も友として誇らしいぞスクイド!」


「——っく!?  ぼ、ボクは御館様の影、ボクは御館様の影……影は主人と並ぶものじゃないからね、こ、これは当然、喜ぶべき結果であって、ボクは目立つわけには」


 名前を呼ばれて席を立った三人の横で黒い猫耳をペタンと萎れさせたアイリスが震える瞳で自己を肯定し続けている。


 スクイドは無言のままそっとアイリスに手招きをした。


 瞬間キラキラと瞳を輝かせた犬のような黒猫がサッとスクイドの傍に侍る。


 そのままツカツカとジャネットの前まで歩みを進めたスクイドはジッとその瞳を見つめ。


「ス、スクイド君? この短期間で、よくがんばりましたね。あ、えっと、今、そんな目で見られちゃうと……」


 なぜかモジモジと身をくねらせるジャネットにスクイドはそっと耳打ちをした。


「急用ができた。ここを離れてもいいだろうか?」


「?——ふふ、ええ良いわよ? その代わり、今晩は、帰さないから……」


 ブルリと本能的な震えを覚えたスクイド。


 スーッと視線を逸らすように教室を後にし、困惑した様子のルナとリュウゼンもスクイドに続いた。




 ***




 教室を出たスクイドは真っ直ぐに正門へと向かい、〈学園〉を出たところで困惑したままの三人に向き直り口を開いた。


「簡潔に状況を説明する。エステルが何者かの手によって現在、拉致及び監禁状態にあると推測される」


「「「!?」」」


 困惑の表情は驚愕へと変わり、三人の雰囲気は殺気にも似た威圧感に包まれた。


「……ふむ。ここまでの反応は予測通り。では、もう一つ情報を付け加える、首謀者は恐らく以前ルナを攫おうとした異形種の魔族。場合によっては命の危険を伴う事態になりかねないが、リュウゼン、ルナ、アイリスはどのような決断と行動を下す」


 スクイドの問いかけに対し、真っ先に応えたのは意外にもルナだった。


「愚問ですわ。わたくし、どんな状況であっても友と定めた相手を見捨てるような女ではありません。

 異形の魔族は確かに恐ろしく、強力な力を持つ者も多いと聞きます。ですが、それが何の障壁になるのでしょう。わたくしは誇り高く気高いエルフ、どんな相手にも背は向けません」


 フッ、と口元に笑みを湛えたリュウゼンがルナに続く。


「あのエステルが遅れをとる相手、武人としては猛者との勝負は願ってもいない所! 何より吾輩は主君の敵を薙ぎ払う矛! これ以上の理由は必要あるまい」


 最後にアイリスがスクイドの様子を伺うようにおずおずと、


「ぼ、ボクは御館様に、この力をコントロールする術を学んで……あの空間での時間はきっとこの中の誰よりも長く、ボクは御館様への忠誠を……」


 要領を得ない、煮え切らない態度のままアイリスはしゅんと耳を垂れさせた。


 スクイドはジッと三人の姿を視界に収めながらその無表情な口元に、ニッとぎこちない笑み。

 烏賊人生初めての笑みを、静かに浮かべたまま語る。


「……人種の感情は、自分に素晴らしい刺激を与えてくれる。

 欲求、葛藤、向上心、敵対心、偽善。

 感情とは何処から訪れるのか……脳が記憶し体験した情報の最適化を行なった結果なのか、それとも魂に付随するものなのか。実に面白く、自分にとってはどのような餌にも勝る甘味のようだ」


 スクイドの様子にルナとリュウゼンの二人は訝しみ、アイリスだけは静かにその様子を伺って、


「このまま、ルナとリュウゼンの意志と共にエステルを救出するのは、それはそれで面白い。王道と呼ばれる展開も、そこに生まれる感情も自分は興味を抱いている。


 ——だが、逆に、このタイミングで予期せぬ者が、予期せぬ行動を取ったら……人種はどのような感情を抱く?」


 瞬間、スクイドの周囲から現れた巨大な〈触腕〉が、リュウゼンとルナ目掛けて伸びた。


「なっ!?  なんですの、これは」


「ぬぅんっ! 呆けている場合ではないぞっルナ! これは、スクイドの術か! 何故ゆえこのようなっ」


 驚愕に目を見開くルナを庇うように前へ出たリュウゼンが、取り出した偃月刀を振り回して〈触腕〉を薙ぎ払う。


 しかし、次々と虚空から現れる巨大な触手に対し明らかに狼狽し、困惑しているからなのか動きにキレがない。


 ルナに至っては今だ状況が呑み込めず、ひたすら触手による攻撃を回避していた。


「……ふむ、困惑と僅かな怒り、エステルの事を思い焦燥している節もある。実に興味深い。心の揺れ動く様は非常に面白————」


「おやめ、ください。御館様!」


 俯いたアイリスの表情はグッと噛み締めた唇以外伺えない。


 だが、彼女自身の影から生成した漆黒の短剣はスクイドの喉元に当てられ、足元から伸びた影がスクイドの全身を拘束していた。


 彼女の影はその思いを雄弁に物語っているようだった。


「なるほど、アイリスの行動は予想外だ。アイリスは自分の側につくと思っていた」


「——、ボクの心も体も、御館様に捧げています。ボクは御館さまの、影です」


「……ふむ、では今現在どのような感情で、刃を自分に向けているのだろうか」


 首筋に当てられている漆黒の刃先は、しかしその原型を時折ぐにゃりと歪ませていた。

 影の質量化は相応の集中力と技量を要する。精神状態によって左右されやすいこの力は今のアイリスがどれだけ不安定な状況にあるかを表していた。


「ボ、クは……」


 絞り出す声。アイリスは意を決したように顔を上げて叫んだ。


「御館様が、泣いておられるからです!! 

  これが、ボクたちを巻き込まんとする為の演技なのか……ボクなどの考えでは到底及ばない思惑があられるのだと思います。ですがご無礼を承知で進言させていただけるのであれば! なぜそのように苦しく、悲しい表情をされていらっしゃるのか……影として、ボクは、御館様をお止めしなければいけないと、感じました」


 スクイドは震えながら刃を向けてくるアイリスに視線を落とした。


 アイリスの忠誠心が並外れて高い事はスクイドも理解している。


 この場面でも、感情を殺してスクイドの側に立つと予測を立てていた。


 そこでふと異変に気がついたスクイドは自分の顔に手を当てる。


「……ふむ。涙、か。素体が泣いている、ということか? 以前にも似たような事があったが、素体が自分に与える影響はあくまで感情的記憶から生じる『過去』の経験に基づいた……生きて、いるのか? 粉々に散ったはずの素体の魂が、この体の中で……」


 帰りたい、という素体の記憶的な過去の情報からスクイドはその感情を尊重してみようという方針のもと行動していた。


 だが、〈学園〉に馴染み様々な人種と触れ合うにつれ、スクイドの内面は人である感覚と同時にエンシェント・カオス・クラーケンという〈本体〉の持つ自我もより色濃く現れるようになっており、スクイド・ホオズキと言う名の新たな〈個体〉としての在り方を作り出そうとしていた。


「御館様?」


 びくりと、怯えながら短剣を影に戻したアイリスが潤んだ瞳をのぞかせる。


 虚空に消えようとしている〈触手〉を不思議そうに見つめながらも僅かな警戒心を抱いたままルナとリュウゼンも歩みよってくる。


「……ふむ。ホオズキ・カイは、エステルを救いたいと、感じているのか。それとも、ルナ、リュウゼン、アイリスと仲を違う事が苦痛————っ!?」


 その時、スクイドの内側から胸を差し貫くような痛みと、頭を打ち叩かれたような衝撃が襲った。


(な、なな仲ま——なか、なかま、仲間、仲間! 仲間!! おね、おねがい、仲間、たす、たすけ)


 壊れた蓄音機、という表現がスクイドの有する素体の記憶から出てくる。


 歪。だがそれ以上に、まさしく魂からの叫びという思いの奔流がスクイドの胸を貫き脳天を揺らした。


「御館様?」


「スクイド様、一体どうなされたというのですか……」


「手合わせは臨むところだが、吾輩も流石に時と場合は選ぶぞスクイド!」


 普段から感情を表情に出さないスクイドが浮かべる苦悶の形相に三人はわかりやすく眉尻を下げて近づき、先ほどのやりとりなどなかった事のようにスクイドの顔を覗き込む。


「仲間……か、自分には過去存在しなかった概念。ホオズキ・カイは【再生】しようとしているのかもしれない。それは自分にとって、実に喜ばしく興味深い事象だ」


 尚もブツブツと独言るスクイドの様子を静かに見守る三人に落ち着きを取り戻した後で改めて視線を巡らせた。


「……理解した。まずは、謝罪を、先ほどはすまなかった」


「そ、そんな、恐れ多いです……御館様。ボクの方こそ不敬でした」


「そうですスクイド様! なにか、とてつもなく深い事情があられたのでしょう? なのにわたくしは一瞬でもスクイド様を疑って……」


「スクイド! まずはエステルを魔族の手から奪還し、その後でゆるりと先ほどの続きと洒落込もうではないかっ!!」


 三人は思うところなど何もないと言うように照れ、凹み、豪快に笑う。


 スクイドは先ほど素体、ホオズキ・カイから流れ込んできた『新しい感情』を胸の内にしっかりと握り、その瞳に僅かながら色を宿す。


「……場所はわかっている。救いに行こう、エステルを」

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