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第拾幕:甘白、緊縛拷問の末路 其ノ壱

 甘白──こと天草は、宙吊り状態での笞刑に処せられ、息も絶え絶えになっていた。


 噛みちぎられた唇からはどくどくと血が流れているが、目に見えた傷以上に、体中の蚯蚓腫れの非理ひり非理とした痛みがより深刻だった。


竹でできた鞭と、革でできた鞭、二種類が用意され、家光はその使い心地を確かめるように一つ鞭打っては、べつの鞭に替え、といったことを繰り返した。


「ふむ……やはり、革のほうがいいな。竹では腫れ具合が今一つだ。これ、何の革だ?」


「馬の革にございます」と家来が告げると「馬か……牛もあるか?」と云いだした。


「ございます」


「馬とどっちが腫れが残る?」


「牛でございます。牛の革は柔軟性もありますが、何より重みがございますゆえ」


「そうか。じゃあ牛革を試したいな」


 そんな会話を呑気にかわす。家臣はすぐさま牛革の鞭を用意する。家光は無花果の実をまるごとかじりながら、それを受け取ると、天草の背中に毘舎利ぴしゃりと打ち付けた。


「うぐっ……」


 これまでどうにか悲鳴を押さえてきていたが、ついに天草は痛みに耐えかねて声を上げてしまった。そのことが悔しくてならなかった。痛みは深く、皮膚が裂かれたかと感じるほどであった。


「どうだ? 後悔しはじめたか? 糞尿を垂らせ。さすれば許してやるぞ?」


 家光はそう云ってへらへらと笑っている。


 この者を、いま麺麭パンに変えれば──一瞬、そんな思考がよぎる。


 だが、生憎それは無理な話だった。


 天草の、万物を麺麭に変える妖術は、直接それに触れなければ難しいのだ。


 縄が──揺れるほどに、皮膚にきつく食い込む。


「お主の白い肌には、赤い縄がよく映えるなぁ。これは俺の興趣にじつに適っている。ほれ、どうだ? こうして鞭を打たれるほどに、着物も破れ、哀れな姿だ。恥ずかしい姿よのう。そろそろ降参する潮時じゃないのか? え?」


 そう云って家光は一度鞭打つ手を休め、天草の顎に手を当てた。


「余は……何に降参すれば……良いのです? まさか目の前の変態将軍に、と云うのではございませんよね? それは……無理です。何故なら……余の魂は変態に屈服するほど……やわではないからです」


「然様か。その度胸だけは見上げたもんだが、相手を間違えているな。俺は、屈服しなさそうな奴が屈服するのが大好きなんであって──本当に屈服しない奴は大嫌いなんだよ。わかったか? 天草四郎時貞」


「……!?」


 天草はその刹那、頭の中が真っ白になった。


 正体が、見抜かれていた?


 考えてみれば、此処までの拷問を強いる理由は、それくらいしかない。何しろ、まだ家光暗殺計画は天草の脳内にしかなく、それが見抜かれるには時期尚早だからだ。


 危険な状況だった。これは拷問だけでは済まない。


 家光は死に至らしめるまでの工程を愉しんでいるだけなのだ。


 そして、家光はその先に島原の乱制圧の手がかりもつかんでいるはず。ことによれば、天草の命をちらつかせて早期降伏を迫ることも考えられた。


 無論──そのような取引は建前で、実際には降伏した瞬間に皆殺しであろう。そして、その頃にはとっくに天草の体は荼毘に伏されているに相違ない。


 つまり──もはや自分には一刻の猶予もならないのだ。


 天草はそう気づいた瞬間、思考の回転を倍加させた。


「どうした? まさか俺が正体に気づいていないとでも思ったか?」


「ふふ……どうせ、後ろの尾長鶏の入れ知恵でございましょう? 貴公に、余の正体を見破るような才があるとは、到底思えませんゆえ」


 家光はにんまりと笑って、しばしじっと天草を見つめていた。


 が、やがて唐突に鞭を顔面に飛ばした。


「余程、死期を早めたいと見える。それは俺の本意ではないのだがなぁ。もう少し楽しませてくれ。俺はこう、美しい生き物が抵抗感を示しながらゆっくり朽ちていくのを見るのが何よりの楽しみなのだ。頼むから、そう易々とは死んでくれるな」


 そう云いながら、さらに家光は数度鞭を飛ばした。


 頬に、首筋に、胸に、硬く重たい激痛が走る。


 どこかの皮膚が切れたものか、大量の血も滴る。


 考えよ。


 それとも──このまま死ぬのか?


 待てよ? 


 縄……そうだ。天草の頭に妙案が降ってきた。



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