江戸城に向かう道中、男たちは左右からカロンを押さえにかかった。
陽の高いうちであったならば、陽光を念珠の水晶で閃光に変える妖術でこの者どもを焼き尽くす手もある。
だが──。
まあそれほど恐れるべき状況でもないか。
とは云え──男たちがカロンに妙に体を密着させてくるのは不快であった。
どうもこの国の男たちは、皆カロンの豊満な肉体を我が物にせんとする本能に抗えない者たちばかりだ。こういった男たちに比すれば、あの鳥なる愚かとでも云うべき火喰鳥は数段マシであるとカロンには感じられた。
それに──あの火喰鳥の目には嘘がない。それは何よりの美点であった。
やがて──江戸城に到着した。
夜の江戸城は静寂に包まれている。
松明を灯した家来が門を開ける。昼間と違って、音をたてぬように慎重な仕草だ。
間もなく夜が明ける。
空は青みが差し、活動を始めた鳥の声も微かに聞こえ始める。
これは野鳥か、それとも〈鳥奥〉の鳥たちの声か?
不意に──奇妙な声がこだまする。
「臥唖唖唖唖唖唖唖唖唖!」
大地にその震動が伝わるほどの、重低音だった。
その不気味な啼き声のせいか、何度も訪れているはずの江戸城であるのに、その奥深くで不穏な気配が渦巻いているのが見えるような気さえした。
何かが──始まろうとしているのだ。
一体、何が?
闇の中に複数の目。
黒装束をした忍びの者たちだ。
これほどの数の忍び部隊が江戸城内に控えているのか。
これは警護の面からも日頃では考えられぬ量だ。
忍者の存在は、母国、阿蘭陀でもぜひとも普及させたほうがいい、とカロンは思っていた。動きの素早さもさることながら、忍術の有用性は計り知れない。
それと押し寿司。カロンは押し寿司が大好物だ。木箱に詰められた発酵の進んだ米の香りと、鯖の脂の照り具合を想像するだけで、腹が減ってくる。洗練とは縁遠いが、生者の精力が宿っているような力強い味は、一度食べたらもう箸が止まらない。
押し寿司と忍者だけは阿蘭陀でもぜひとも流行ってもらいたいところだ。
それはともかく──どうもおかしい。
この忍びの者たち、カロンが移動するとずっとその後を尾けてくるではないか。
「なんで彼らはついてくるの?」
カロンを江戸城まで連れてきた男に尋ねた。
「おまえが反逆者の疑いがあるからだ」
「は……反逆者?」
先刻の大鷹の話を思い出す。甘白はすでに迫害を受けており、紙月もまた捕獲されてしまったと云う。
まさか──紙月がすべてを白状したのか?
莫迦な。奴は鳥だ。
〈紙月〉と呼ばれぬかぎり、人の言葉を話せはしないはずだが──。
🐔
通されたのは白書院だった。明け方で周囲は暗く、白書院の中にも蝋燭が数本灯っただけで、昼間とはまったくの異空間に見える。
そして──そこにはすでに不機嫌な面相の徳川家光がいた。
「すまんかったな。斯様な時間に呼びつけて。まぐわい中ではなかったか?」
家光は、酒をぐいと飲み干しながら、へっへと笑ってそう尋ねた。
その背後には──相変わらず目隠しをされた尾長鶏の姿がある。
「マグワイ? ヨクワカリマセーン。お殿様、ドーサレマシタカ?」
カロンはまたカタゴトに変えた。
家臣たちに本性がバレていようがいまいが、そんなことはこの際どうでもいい。この場をうまくやり過ごせればそれでいい。
すると──黒装束の忍たちが、巨大な鉄格子の鳥籠を運び込んできた。
その籠の大きさを見れば、中身は考えるまでもなかった。
紙月──。
籠の中にいる火喰鳥は、きりりとした表情のまま、カロンを見据えていた。
その威風堂々とした姿に、カロンは思いがけず〈男〉を感じていた。
なにを莫迦なことを考えているの?
カロンは内心で己を叱責する。
思いがけないことだった。己が場違いにもこのような異様な再会のさなかに火喰鳥に心臓を射抜かれようとは。
鋭い嘴と赤黒い羽毛が闇に映え、まるで魔獣のように見える。
一瞬だが──紙月がカロンに何か伝えようとするような気配があった。
しかし、この刹那の見つめ合いが、一瞬の油断にもなった。
気が付いた時、カロンは四方を忍びの男たちに囲まれていた。まずいと直感し、カロンは立ち上がろうとするも、間に合わなかった。
忍の一人が背後に回ってカロンの手足を縄で縛り上げていた。
「何ヲスルノデスカ? コレモオモテナシデスカ? 違イマスヨネ?」
心臓が一瞬高鳴った。が、すぐに落ちつきを取り戻す。
視線転移の妖術までが禁じられたわけではない。この目さえ自由であれば、いざとなればこんな城などいかようにも抜け出せるだろう。阿蘭陀にある城の作りに比すれば、遥かに耐久性にも乏しく、破壊も容易であるはず。
「少し窮屈か? まあ我慢してくれ。縄というのは、肉体を物体に変える手続きのようなものだ。つまり、今のおまえは単なる肉塊にすぎない。肉塊に意志はないから、窮屈だとかまあそういったこともあまり気にするな。いいな?」
「ワカリマシタ、気ニシマセーン」
莫迦を装うのもたいがい疲れるものだ、とカロンは内心で思った。
家光が近づいてきて、カロンの全身を嘗め尽くすように視線を動かす。
それからその手がそっとカロンに触れてきた。
手の甲で頬を撫でたかと思うと、その手は首筋へ、ついには胸元へと降りてきた。
「なるほど、何とも贅沢な作りをしているなぁ。阿蘭陀人の女ってのは皆こうなのか?」
カロンは抵抗を試みた。
が、縄は容赦なく彼女の自由を奪った。
紙月が「
彼女に触るな、と言っているつもりなのだろう。
そう考えるとカロンは少し胸が熱くなる。おかしい。
一方で、カロンはこの状況について少しずつ理解しはじめている。
何か──大きな企みが動いているのだ。