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第拾壱幕:カロン、乱れからくり家光の狂気に触れる 其ノ参

「鳥見役だと云っていたが、此奴にはべつの顔があったようだぞ。存じておったか?」


 家光は甘白の正体を見破っていたというのか……。


 カロンは最悪の事態を想定した。


 甘白が天草四郎だと発覚している場合、最悪、阿蘭陀オランダが島原の乱を背後で糸を引いているなどと誤解を受ければ、国交は断絶してしまうであろう。


 そうなれば、今は無事に解放されたにしても、阿蘭陀に戻り次第カロンは国益を大きく損ねた役立たずの烙印を押され処罰を受けることになろう。


 もしも家光が甘白の正体を見破っているのならば、あらゆる災厄が起こり得る。


 だが──そうではなかった。


「まあこの者の正体にはさほど興味はないのだ。俺が此奴を殺したのは、此奴が身分を偽ったからではない」


 それから妙に間をとってもったいぶった後で、家光はこう付け加えた。


「此奴はなぁ、最後まで俺との関係を拒んだのだ。愚かだと思わんか? 拒みさえしなければ、首が体から離れることもなかったろうになぁ」


 そう云えば、この者は衆道しゅどうの気があったのであったか。


 内心、カロンは拍子抜けしていた。


 この国にきて、生首はわりと見飽きている。


 こんなに血腥ちなまぐさい民族は初めてだった。


 この民族の面白いところは、その血腥さが神秘と隣り合わせでもあるところだ。


 然し──とカロンはまじまじと生首を見つめた。


 わからぬな……。


 そもそも甘白は男だったのか、女だったのか。


 こうして首だけでその美しく整った顔を見ているだけでは、さらに判然としなくなってしまった。


 正体が天草四郎であるのなら男のはずだが、そもそも天草四郎自体が男のふりをした女かもしれない。


「お前が連れてきた火喰鳥も、今日の宴で鳥鍋にして食ってやろうか?」


 火喰鳥で鳥鍋? 


 何それ美味しそう……と云いかねない己を、カロンはどうにか自制した。


 見れば、紙月だけはカロンの内心を読んでいたかのように責めるような目を向けている。


 ──おまえ今ちょっと興味持たなかったか?


 そう尋ねたそうに見える。仕方ないでしょう、珍しい食べ物には興味がある。


 それにこの国の〈出汁だし〉はやたら旨い。〈醤油〉とか云う調味料も最高だ。その味付けで食べる鳥鍋はカロンの好物の一つでもあった。


 火喰鳥で鳥鍋か。これは涎の出る次元。


 いや然し、とすぐに思い返す。以前に駝鳥だちょうを食べたことがあったが、筋ばったところが多く、生臭さもあって肉としてはあまり上等とは云えなかった。


 この火喰鳥も似たようなものではないのか? 


 そもそもこういう強靭な筋肉をもった鳥というのは、脂質が少ない。


 否、それが良いのではないか? あまり脂が乗っていては鍋に適さぬわけで──。


「おい、おまえなぜ黙っている?」


 まさか火喰鳥が旨いかどうか考えていたなどとは云えない。


 カロンは深々と首を垂れた。


「ドウカ、ソレダケハゴ勘弁クッダサイマセ」


 家光は目を細め、カロンを値踏みするように見つめた。


「ならば条件を出そう。阿蘭陀の財宝と――お前の身体を献上しろ。これまで女に興味はなかったが、異邦のそれはまた別である」


 その声には、権力者の傲慢さと好奇心が混じっていた。


 ブルータス、おまえもか。


 カロンは英国を旅した際に観たシェイクスピア劇の台詞を思い出していた。


 べつに家光はブルータスでも何でもないが、時の権力者でさえもが所詮は欲情に抗えない事実に、少々げんなりするのは詮無いことであった。


 屈辱的な要求だが、ここで逆らえば紙月も自分も終わりだ。


 カロンの視線が首にかかった念珠ロザリオに落ちる。


 切り札はある。


 だが──今は真夜中だ。これを使うには陽光が欠かせない。


 せめて、日が昇るまでは生き延びねば。


 その刹那、家臣の一人が広間に駆け込んできた。


「殿、宴の支度が整いました」


「早いではないか。では皆を集めよ」


 家光は満足げに頷き、カロンに近づいた。


「さあ、どうする? 俺の手を取るか、それとも鳥とともに煮られるか。阿蘭陀人を鍋にすると、どんな味がするのか、これは流石の俺も試したことがない」


「天下人ハソンナコトハナサラナイ──デゴザイマショウ?」


「ふつうはな。だが、俺はする」


 家光はそう云って不敵に笑った。


「コノ国デハ阿蘭陀女ハ希少種、トサッキ仰リマシタヨ?」


「希少種だからこそ、味が知りたくもなる」


 此奴は、本当に頭のからくりが乱れきっている。


 仏蘭西フランス瑞西スイスで近頃流行り始めているらしい自動人形オートマタにも、アルゴリズムの乱れたものは存在する。


〈視線転移〉を使える妖術師たちは、その乱れからくりに己らの能力で息吹を吹き込み、自在に操ったりもする。


 だが──彼らであっても斯様に乱れた自動人形は作り得なかっただろう。


 カロンは一瞬目を閉じ、心を落ち着け──家光に射貫くように碧眼を開いた。


「もうやめましょうかね、嘘くさいカタゴトは」



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