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第拾参幕:とある鸚鵡と秀吉の企み 其ノ弐

 三日前、〈鳥奥〉の最奥にある〈御長の間〉で異変が起きた。


 尾長鶏の〈家康〉が首無しの死体となって発見されたのだ。


 それも──密室で。


〈御長の間〉の外には世話役が常駐しており、外部からの侵入は不可能と思われた。


 だが──げんにそこで〈家康〉は死んでいたのである。


 血に汚された畳と、首のなくなった胴体が現実を突きつけていた。 


 然し、家康の転生を信じる家光にその事実を知らせれば、天下が揺らぐ。


 そう考えた松平信綱と阿部忠明は、悩みに悩んだ末に、死体自体を藁に包んで地中深くに隠し、江戸の鳥屋から新たに尾長鶏を一羽買い取り、それに目隠しをした。


 信綱と忠秋には、然し其処までの知恵しかなかった。


 これで万事うまくいくと、彼らは信じていた。


 だが、そんなわけがない。彼らは知らなかったのだ。


 死んだのが、真に家康であったことを。


 彼らは家光を頭のねじのおかしな御仁とハナから信じ切っていた。


 それゆえに、家康が尾長鶏に転生しているなどとはつゆほども思わなかったのだ。


 然し、官兵衛は違った。


 鸚鵡の姿の官兵衛は、地獄耳を持っており、その精度はふつうの鳥の何十倍も精密にできている。


 ゆえに──家康が家光にだけ聞こえる小声で人語を語るのも、当然聞き逃すわけがなかったのだ。


 従って、呑気な老中どものように、ただ影武者を用意すれば済む話とは思わなかった。影武者が、正しく家康のように人語を操らねばならぬ。


 然し、そのような尾長鶏は一朝一夕に見つかるものではない。


 であれば、己が家康の〈声〉となるしかない。


 すぐさま、官兵衛は秀吉に相談した。と云うのも、以前から秀吉は官兵衛に天下奪還の野望を語り、その手伝いをと頼んでいたからだ。


 官兵衛と秀吉は江戸城にやってきたのがほぼ同日の同期鳥であった。〈大奥〉、〈鳥奥〉と住む世界は違うが、自由に飛び回れる官兵衛が〈鳥奥〉に入って互いに言葉をかわすうちに、それぞれが官兵衛、秀吉の転生鳥であることを知り、いつしか天下奪還を夢見るようになった。


 無論、官兵衛の内心は複雑ではあった。


 かつて一度は秀吉の天下統一に協力した。だが、あまりに策士で頭脳明晰な官兵衛に何処か裏があると深読みした秀吉は、官兵衛の活躍に対して十分な褒美を与えなかったのである。


 その恨みは、しこりのようにずっと胸の奥に残っていた。


 あの時、何故秀吉は自分を信じ切ってくれなかったのか?


 やがて、息子が秀吉の側近となると、自分は身を引き、そのまま出家した。


 だが、実際に政界から引退したわけではなかった。息子はしばしば官兵衛に意見を請いに現れ、その都度官兵衛はそれに応じて策を与えてきた。


 そして──秀吉が死ぬと、一定の義理は果たした、と考え、徳川方につくように指示を出した。それゆえ、結果から見れば、徳川の世に不満はないし、家康が鶏に転生しているからと云って、それを殺すほどの恨みはなかった。


 ただ、これも複雑なことながら、秀吉から家康暗殺の相談を受けた時、己でもよく分からぬままに胸が熱くなったのであった。だから、信綱たちが影武者を立てようとしていることを知った時もすぐにその旨を伝え、自分が其の声になる案を話したのだった。


 ──流石は官兵衛、妙案だ! これは天下奪還のための、千載一隅の好機だ。頼んだぞ。


 かつて、これほど信頼を寄せられたことはなかった。


 前世でのわだかまりが嘘のようであった。もしかしたら、あの頃は双方に何かしら思い違いがあったのかもしれぬ。


 例えばそれは、前世での己の、あまりにも小賢しい相貌も関わっていたかもしれぬ。


 ──了解した。そう来なくっちゃ。


 かくして、その日から官兵衛は尾長鶏の長い尾の中にそっと隠れて、家康を演じることになった。




 🐔




「家光の莫迦には全くバレていないのだな?」


「無論、万事順調だよ。彼奴は目隠しされた影武者の尾長鶏を〈じいや〉と呼んで慕ってる。まあ、それと云うのも僕の声真似が卓越しているからなんだけどね」


 愚かなことに家光は、家康そっくりの声さえ出しておけば、それで満足なようだった。


 甘白とか云う奴が天草四郎時貞ではないかと見抜いてやったのは、いささか親切が過ぎたかもしれないが、多少は家康らしい狡猾さが必要であろうと考えてのことだった。


 官兵衛としては、ずっと尾長鶏の背後に隠れているのが安全だ。


 だが、夜になれば大抵の鳥は眠りに就く。眠らぬまでも動きは鈍くなる。


 その隙をついて、こうして一応の途中経過を秀吉に報告しているのだ。


「然し、奴らいまだに家康殺害の犯人には、思いも至っておらぬのであろうなぁ」


 秀吉はそう言って下卑た笑みを浮かべた。


 そう──じつのところ、家康を殺害したのは秀吉と官兵衛だったのである。


 鳥ゆえに足音を立てずに、出入りする鳥役たちの後を尾けて鶏舎に潜入するのはお手のもの。


 二羽は難なく鶏舎の〈尾長の舎〉に入り込んだ。


 日頃は煩い尾長鶏も一羽残らず寝静まっている時刻であり、そのまま通過するのに何ら問題はなかった。


 計画が成功しても愚かな人間どもであるから、よもや鳥が鳥を殺すなどと思いもよらぬはずだが──軍師たるもの、用心には用心を重ねるもの。出来れば完全なる不在証明を成り立たせたいところであった。


 そこで鳥見役の門左衛門が、十分ごとに家康の無事を、鳥見役頭の弥助に口述する義務があったことを思い出した。官兵衛はその仕組みを利用したのだ。


 と云っても──難しくはない。単に門左衛門に眠り薬を盛ったのである。


 眠り薬は〈大奥〉の姫君たちが大量に所持していた。


 あそこでは心の安らぎを求めて眠りを欲する女たちが溢れているのを、官兵衛は熟知していた。その薬をくすね、門左衛門のお茶の入った竹筒に混ぜればよいだけのことであった。


 門左衛門は強烈な眠気に襲われ、すぐに罵多離ばたりと倒れた。


 官兵衛は、門左衛門には眠気覚ましに腕に針を刺す癖があるのを知っていた。そこで、嘴で針を咥え、門左衛門の腕に何度か針を刺してみた。


 だが、鄙句離ぴくりともせぬ。


 これでよし。目覚めた際には針の痕を見て己は寝て等いないと錯覚するはず。


 官兵衛と秀吉は、それから〈御長の間〉に入り込んだ。


 尾長鶏の家康は二羽を見て驚愕の表情を浮かべた。


 だが──声を上げる隙すらそこにはなかった。


 秀吉が閃光の速さで飛び掛かったのである。




 ──幻惑回転嘴撃げんわくかいてんしげき




 秀吉は高速回転する七色の円盤となり、そのまま家康の首を斬り落とした。


 鮮やかな斬首。思わず官兵衛は「お見事」と呟いてしまったほどだった。


 だが、そう呑気にもしておられぬ。


 門左衛門はもともと三十分おきに鳥見役頭の弥助のもとへ報告に向かう決まりであったから、その刻になると、官兵衛は弥助の寝泊まりする〈鳥奥〉の北側にある部屋に向かい、障子越しに門左衛門の声を真似て「家康公、ご無事でございます」と報告をした。


 弥助は顔を見もせずに「ご苦労」と返した。


 その後、ほどなく門左衛門の顔に水を浴びせて目覚めさせ、驚いて辺りを見回す隙に逃げ、雉舎と鶏舎の境目の鎖の壁の隅に身を寄せて待った。


 すると、すぐに家康の異変に気付いた門左衛門が弥助にその事実を伝えた。


 弥助が一大事と判断して役人に報告へ向かうのに便乗し、二羽は鶏舎から雉舎へと潜り抜けた。


 その背後を通って、秀吉はもとの雉舎へ戻り、官兵衛はさらに二人の後を尾けて進み、見事に〈大奥〉へ帰り着いたのだった。


 ──これで寧々もまた喜んでくれるだろうよ。ふははは。


 秀吉の高笑いを思い出しながら、鸚鵡は複雑な気持ちになった。


 というのも、秀吉の正室であった寧々はすでに他界して久しいことを、官兵衛は聞き及んでいたからだ。


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