江戸城、西の丸の庭園は、かつてないほどの騒音に満ち満ちていた。
それを覆い隠す観衆の話し声。
「ひとつの城に此れだけの人がいるとは驚きだね」
紙月はそんな感想をぼそりと洩らした。
すぐ隣にいるフランソワ・カロンが云う。
「いや、これだけ奇妙な鳥が一つの空間にいることのほうが驚きだろ」
「ん? そうか? 人間のほうが多いぞ」
「そう云う問題ではない」
紙月は、首を傾げる。どうもカロンとは意見が合わない。
観衆と一言で云っても、その顔ぶれは錚々たるものである。
将軍、徳川家光にその家臣たちは当然のこと、家光の正室、側室、その子息たち、大奥の女中に侍女、武士に衛兵、奉公人、医師、学者、職人に至るまでありとあらゆる人々がこの宴のために集められていた。
そればかりではない。わざわざこの宴のために、外部から珍鳥収集家たちを招集し、この〈闘鳥〉に参加させようと云うのだ。然も、その懸賞として、十両が出るとあって大変な騒ぎである。
それぞれの席に料理と酒が振る舞われ、粛々と宴の準備が整うなか、江戸城の庭に徐々に緊張が漂ってくる。
それは鳥の殺し合いを見たいと云う歪んだ期待、金に目がくらんだ鳥の飼い主たち、そして既に己の命を研ぎ澄まし始めている鳥たちの殺気、そう云ったものが混然となって生まれる緊張感であった。
少しばかりいびつなどよめきが起こったのは、日頃は開陳されることのないドードー鳥が入場した時だった。何とも奇怪でいて何処か笑いを誘うような愛嬌のある風貌だ。
火喰鳥と同じく、飛ぶことは出来ないらしい。とにかく珍しい鳥であることは、紙月も聞き及んでいた。灰色と青の混ざった羽衣に包まれた丸き影。嘴は誇らしげに湾曲し、目は知られざる物語を宿すかの如く穏やかだった。
このドードー鳥が江戸城内にいることに、紙月は驚きを禁じ得なかった。
「あれ、献上したの私だよ。あれだけじゃない。ほかの珍しい鳥もけっこう私がぜんぶ持ってきている。鳥たちは私のこと嫌いだろうけどね」
「だろうな。おまえは何というか、鳥に好かれる要素がない」
「失礼でしょ」
カロンは鎖を撒かれた状態のままで、屹と睨んできた。
「どうしたって鳥には好かれまいよ。それより、あの巨大な鳥もおまえが献上したのか?」
紙月は、奥から運ばれてきた特製の鉄格子牢に入った鳥を示した。
まさかあの鳥が──。
弥助が云っていたことを思い出す。
──あれは──おまえを死に追いやる化け物、死神みたいなものだ。
死神──。
「
その世にもおぞましい啼き声を聞いて、間違いないと確信した。
あれが、自分が戦わねばなら〈死神〉なのだ。
「ウッ……何あれ……あんなの私は知らないな……」
カロンは露骨に顔を
「だが、この国にはあんな鳥はいない」
阿蘭陀以外の経路からもたらされた可能性もなくはない。
「あれ、もしや
「滅びた? なら、べつの鳥ではないのか? それこそ、駝鳥とか」
「あんな巨大な駝鳥がいて溜まるか!」
それもそうか。駝鳥と云ったら、火喰鳥よりわずかに大きいくらいだ。
だが、今其処にいる鳥は、紙月の三倍はありそうに見えた。
「ううむ……やはり見れば見るほど恐鳥だな。あり得ない……。尤も、我が阿蘭陀国も新西蘭の本格的調査はこれからだから、絶滅していることを虱潰しで確かめた、とまでは云えないけどね」
「恐鳥か、それはそんなに恐ろしい鳥なのか? まあ見た感じ恐ろしそうだが」
「
「ふむ……幻の鳥が存在した、か」
「もしかしたら、一羽くらい生き延びていて、それをどこぞの怪しい商人が連れ去って此の島国に持ち込み、高値で幕府に売りさばいた──という筋書きならありそうだが……」
絶滅鳥こそ〈死神〉には相応しいかもしれない、と紙月は考えていた。
絶滅し、死の底にいるはずの者が、此方を引き摺り込もうとする。
なるほど、これは慥かに〈死神〉に相違ない。
「まあいずれにせよ、あの巨大な鳥がこの場にいるということは、あれは其方の敵ということになるよ。勝てそう?」
「……分からんな。そもそも俺まだ鳥になってそんなに経ってないから。経験値が浅い」
「獣の本能で殺気とかわからないわけ?」
「無茶を云うなよ。戦う前からそんなもん感じたって意味ないだろ」
「この国の人間には霊力みたいなものがあると思っていたが? 氣で分かる、みたいな」
「他の奴はともかく、俺にはないな。飛び掛かってきた時に、初めて考えるから」
「其方のような莫迦に尋ねたのが間違いだった。が、とにかくこの戦いにさっさと勝って、金卵を奪取しないと」
「本当におまえは財宝にしか興味がないのだな」
「国益優先。それしか念頭にないよ。当然であろう」
そう云ったカロンの横顔は、何故か尊いまでに美しかった。
紙月は、しばし鳥であることを忘れてその横顔に見惚れた。
この女、本当に俺が人間に戻ったら──と其処まで考えて邪念を追い払った。
「……いっそ潔くていいな」
無論、この刹那の紙月の思考は、カロンには全く伝わっていなかった。