秀吉は、宴の席を見渡していた。檻から出されたとは云え、その首には首輪がつけられており、その手綱は門左衛門が握っている。
だが、門左衛門が握っている手綱は一つではない。今日の宴で闘う鳥のほとんどの手綱を、門左衛門が握っているのだ。
いまだ檻の中に入れられているのは、本当に危険と思われている火喰鳥や猛禽類たちばかりだ。秀吉は密かに嘴で縄を噛みちぎった。
莫迦らしい。何が闘鳥だ。戦は好きだが、ただの鳥と闘って見世物になるなんぞ、莫迦らしくてやってられるか。儂を誰だと思っているのだ、全く。
秀吉はそんなことより、この場なればこそある人物と出会えるのでは、とそれを楽しみにしていた。
それは──転生前の正室、寧々であった。
鳥や家臣たちの噂から、秀吉は豊臣家の女たちも江戸城に匿われていると把握していた。
となれば、当然、寧々もいるはず。
もう彼奴も年をとったろうから、この若々しく美しい身なりの高麗雉と化した自分にそんな姿を見られるのは厭だろう。
だが、ひとたび言葉を交わせばきっとそんなことはどうでもよくなるのではないか。
秀吉は、寧々にずっと会いたいと思って今日まで生きてきた。
むさくるしい〈鳥奥〉の世界に甘んじてきたのも、同じ城内に寧々がいるかもしれぬと期待したからであった。
雉も啼かずば撃たれまい、とはよく云ったもので、あの甲高い声で啼きさえしなければ、動き自体は極めてすばしっこい。秀吉はちょこまかと人々の隙間をかいくぐって姫君たちのいる席までやってきた。
この中の何処かに──。
寧々は美しい女だった。年を重ね、皺などは増え、皮膚の張りは衰えもしようが、そんなことはこの際どうでもよかった。寧々のあの目に、あの視界にもう一度己が収まることが何より重要であった。
「それにしても物騒な宴ですこと」とひときわ煌びやかな衣装に包まれた姫君が云う。
「勝姫や、あまり大きな声で然様なことは申すな」と傍にいた尼がたしなめた。
「でも母上……」
「母ではなく、天寿院と云いなさい」
「すみません、天寿院さま、だけど、もう我慢ならないわよ。こんな宴、正気の沙汰じゃないわ」
「そうね。きっと、高台院さまが生きておられたら、こんなことにはなっていなかったでしょう」
「高台院さまが亡くなられてずいぶん経ちますね。あの方がいらっしゃるうちは、徳川の者たちも朝廷との橋渡し役としての高台院さまを尊重され、豊臣の人間全体に対する敬意を失わなかった。それが最近はどうも……」
「たしかにさまざまな綻びが生じてはいるわね。何しろ、高台院さまは秀吉さまの正室であらせられた方。その重石がのけば、一気に魑魅魍魎が湧いて出もしましょう。然し、それでも耐えてゆくのが我々豊臣の人間に課せられた使命」
「そうね。豪姫さまも亡くなられたわけだし……」
その会話の途中から、秀吉は声が徐々に遠のいていくような感覚を味わっていた。
嘘だ──。
高台院、と話の中で出てきているのは、どう考えても寧々のことだった。
寧々が出家をしたことまでは良い。
だが、すでに他界している、だと?
では──此処にはいくら探しても寧々はいないのか……。
それだけではない。目に入れても痛くないというほど可愛がった養女の豪姫までもが他界していると云うではないか。
「儂は……何をやっていたのじゃ……」
再びの天下統一の夢も、何もかもが虚しいものに思えてきた。
何じゃ何じゃ、糞みたいではないか……何が天下じゃ……。
「おや、まあ、こんなところに高麗雉が……」
「まあ綺麗ですわねぇ」
煩い煩い煩い煩い煩い……。
この女たちは豊臣の系譜にあるのだったか。いやそんなことはどうでもいい。
寧々も豪姫もおらぬ世界で、儂は一体何をやっているのだ?
儂は──。
だが、その時、家光の隣にいる目隠しをされた尾長鶏の姿が目に留まった。
あの尾に隠れている、鸚鵡──。
──秀吉殿、また天下を獲ろうよ!
転生したはいいが、〈鳥奥〉に閉じ込められた高麗雉という事実に打ちのめされ、絶望のどん底にいた秀吉を救ったのは、あの鸚鵡だった。
瞑らな瞳で、ほんの強がりで天下奪還を口にした秀吉に、「いいね! それ最高じゃないか!」と軽々しく乗ってくれたあの鸚鵡が、秀吉に生気を取り戻したのだった。
鸚鵡の正体が官兵衛であるか否か、それはもはやどうでもよかった。どうせ官兵衛との前世の記憶は薄らいでいる。そんなものはどうでもいいのだ。自分にとってあれはただのつぶらな瞳の、己を慕う一羽の鸚鵡にすぎないのだから。
「まだ、生きる理由は、あるか……」
何より、〈金卵〉はすでに移動させてある。あとは、此処から脱出すればいいだけだ。
その先に何がある?
寧々も、豪姫もいない未来に、生きる価値があるか?
それは分からぬ。分からぬが、あの間抜けな鸚鵡に頼られながら、天下をふたたび収めた先に、その先に何かが──。
漠然と然様なことを考えながら、秀吉は足音を立てずにまた群衆の隙間を走った。
できるだけ、鸚鵡の近くへ。
奴とこの城を脱出するために──。