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第49話

 夜。屋敷の書斎では、蝋燭の炎が静かに揺れていた。


 昼間の喧騒が嘘のように静まり返った王都の空気は、どこか底知れぬ不穏を含んでいる。


 窓を閉じ、机に広げられた学園の名簿に目を通しながら、僕はゆっくりと息を吐いた。


「リュシア」

「はい、ご主人様」


 呼ぶまでもなく、背後の闇から彼女は現れる。


 白銀の髪をなびかせ、静かな微笑みを浮かべて僕を見つめていた。


 だが、その笑みに応えることなく、視線を机から離さなかった。


「調べてほしいことがある」

「ふふ、また? 随分と魔族遣いが荒いわね。私にお願いするってことは、魔族関連よね?」


 リュシアは僕の斜め後ろに立ち、窓から差し込む月明かりを背にして、気配すら溶け込ませる。月に照らされた彼女の美しさは、三年前に出会った頃よりも遥かに増していた。


「学園に、魔族が潜んでいる可能性がある。いや、この王都全体。どこに魔族がいてもおかしくない」

「アハっ! よくわかっているじゃない。ご主人様。もう魔族を信じていないご主人様じゃない……学園に、だけじゃなく王都全体にどこにいてもおかしくない」


 リュシアの声はいつ通り、こちらをからかうように、そして楽しそうな声を含んでいる。


「王都も、学園も、人が集まる。だからこそ、何かが陰に潜んで絶好の機会を待っている。この環境は魔族を隠すのに最適だ。ヴォルフガングも、アリシアも、魔族やそれに類似した妖精が関与していた」


 僕はこの世界のことを知らなかった。いや、知ろうとはしなかった。


 自分のことばかりで、仲間のことを知ろうとしていなかった。


「未来のレオやエリスにも……何かを唆す存在がいた可能性がある」


 言葉を選びながら、だが確信を込めて僕は言った。


 もう、奴ら自身が裏切ったかどうかなんてどうでもいい。


 真実を知りたい。仲間だと思っていた奴らに何があって、何を思って生きていたのか、仲間のことを知りたい。


「今の時点では誰とは断定できない。ただし、王都で僕が打倒されたあの未来。そこに人知れぬ意志があったとすれば、それこそ許せない」

「……なるほどね。アハっ! ご主人様の闇を、絶望を、私が全て食べてあげるのに、もう少しかかりそうね」


 リュシアは片手で口元を覆い、しばらく考え込んだ。


「王族には古くから魔族が関与しているはずよ」


 リュシアは最初から、それを口にしていた。


「特に王都の地下、旧市街や聖堂跡には“記録に残されない場所”が多いじゃないかしら? アハっ! ワクワクしてきたわ」

「浮かれるな。目的は敵の殲滅ではない。まずは観察だ。目立たぬように、だが徹底的に探れ」

「了解しましたよ、ご主人様。では、任務の確認」


 リュシアが振り返って僕を見下ろす。月明かりに照らされて、真っ赤な瞳が僕を見ていた。


「第一に、学園内。学生、教師、管理局含めた構成員すべて。第二に、王都内で魔族の気配が強く残る地脈や遺構の有無。第三に、もしも誰かが魔族の手先であるなら、それを感知すること」


 僕の指示に、リュシアは陶酔したように微笑んだ。


「アハっ! 面白いわね。陰に潜む。敵を炙り出す。だけど、決して正義ではない。闇の支配者みたいな命令の仕方ね。最高だわ」

「……この件に関しては、遊びでは済まされない。いいか? 僕は真実を必ず見つける。僕を断罪したのが、アリシアだけだというなら、それでもいい。だけど、どうしてあれで終わりだとは思えない」


 アリシアの妖精は、確かに僕を毒する物を作れたのかもしれない。


 だが、アリシアだけの力で僕を害するとは到底思えない。


 それほどまでに、未来の僕は強かった。


「分かってる。ご主人様を断罪して、仲間の絆を壊したのは、裏切りだけじゃない。“見えない何か”が動いていた」

「それもわからない。だが、それも含めて調べる」


 あの未来をなぞるつもりはない。僕が失敗した理由は、単純な信頼だけじゃない。


 外側からの侵食に気づけなかった愚かさだ。


「言っておくけど、私は他の魔族と波長が違う。だから見つけられる。けど……もしこの街に、私以上の“悪意”が巣食っていたら、ご主人様」


 リュシアの瞳が、静かに揺れた。


「その時は、あなたの理性を保てるかしら?」

「……見つけ出した時点で、あとは僕がどうとでもする」

「うふふ、それを聞けて安心したわ。では、動くわね。三日後には第一報を届けてあげる」


 リュシアは静かに身を翻し、闇に溶けるように姿を消した。


 残された部屋に、蝋燭の火がふわりと揺れた。


 レオ、エリス、マーベ、ジェイ。


 あの未来で僕を囲んでいた者たちが、誰一人裏切り者でなかったとしても、裏に、“人ならざる意志”があるとするなら。どちらの真実でも受け入れる。


「……今度こそ、見逃さない」


 過去に失敗したすべてを、今の手で潰すために。


 僕は再び、静かに目を閉じた。


 リュシアが立ち去った執務室で、一人で断罪された時のことを思い出す。


 三年が過ぎても、消えることない。


 絶望と、人としての感情が動かない虚無。


 ただ、真実を追い求める。


 今の僕にはそれしかない……。




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