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第52話

 風の匂いが変わった。血生臭い匂いが森に充満している。


 中央学園合同訓練。『魔獣鎮圧シミュレーション』。


 魔力で構成された結界の中に生徒たちが送り込まれ、それぞれ三人一組で戦術・実戦能力・判断力を試されるイベント。


 訓練という建前ながら、使い魔の召喚、障害物の操作、さらに予期せぬ魔物の登場も含められる、本格的な戦闘演習を想定している。


 僕は、エリスとリュシアというチーム編成を割り振られた。


 魔術師として高い評価を受けているエリス。


 未来では、処刑台の僕を見て泣いていた少女。


 そして、僕の従者であり魔族であるリュシア。


 貴族も平民も関係なく編成されるこの演習で、三人の組み合わせは、教師陣の何かしらの意図があると思う。


 レオのチームは、レオと連携が取りやすいメンバーだった。フレミアも同じだ。


 僕は剣神の家系であるアースレイン家だ。そして、エリスは、平民ながらに魔法使いとして類稀なる才能を持っている。


 これは僕への忖度なのだろうか? 敵が目の前にいれば、出自も肩書きも意味をなさない。エリスと協力することも嫌ではない。


「敵、接近……七十メートル。腐臭混じりの風、少し濃いめだよ。ご主人様」


 リュシアが鼻を利かせて告げる。周囲に漂う瘴気のようなものは、どうやらこの区域の魔獣によるものらしい。


 僕たちは北端の林地帯に配置された。うっそうと生い茂る森の奥、すでに十数体の魔物を仕留めたあとだったが、敵の出現頻度が明らかに異常だった。


「ヴィクター様。何か、変じゃないですか?」


 エリスが小声で問いかける。


 その視線の先には、すでにこちらへ向かってくる三体の魔物。牙を剥いた狼型の魔物。だが、その体格と眼光が、先ほどまでの個体と明らかに違う。


「この気配……」


 口を閉ざしたまま、僕は懐から《冥哭》を抜いた。


 演習用に魔力封印された模造剣ではない。本物の魔剣。


 ただの魔獣ならば、これを抜く必要はない。だが、空気の質が違う。


 この森は、変わり始めていた。


 それは、あの死の森を彷彿とさせるものを感じさせる空気。


「リュシア、警戒を」

「アハっ! 了解よ。どうやら、素敵な乱入者が混じってるみたい」

「エリス、君は後衛。あの三体を封じられるか?」

「……っ、やってみます!」


 彼女が詠唱を始める。火属性の魔法陣が瞬時に形成され、三連の火矢が連射される。


 だが、魔物の一体が矢の軌道を読んだように回避し、もう一体は厚い皮膚で焼き切った。


「甘い」


 僕は呟き、疾走する。


 《冥哭》の一閃が空気を切り裂き、一体目の魔物の首が宙に舞う。


 二体目も刃を振り抜く寸前、リュシアがしなやかに舞い、細剣で切り裂いた。


 残った一体に向けて、再びエリスが魔法を放とうとする。だが、僕はそれを制した。


「待て。詠唱が長すぎる。連携が崩れる」

「えっ……でも、私のやり方は……!」

「火の魔法は得意なのだろう? ならば、三重詠唱は要らない。構築段階で調整しろ。狙いは狭く、威力を分散させるな。集中しろ」

「う……わ、わかりました……!」

「実践で学べ。お前ならできる。イメージしろ。自分が魔法を放つ意味を」


 驚いたような顔をしていたが、すぐに瞳を引き締める。エリスは魔法使いとして優れているが、実戦慣れしていない。


 だが、未来の彼女は無詠唱で、全ての魔法を放っていた。


 使い方さえわかってしまえば魔法に呪文は必要としないと言ったのは、エリス自身だ。


 その精度を、今磨く必要があった。


「……火よ、ただ一筋でいい。焼き尽くせ、真直なる焰!」


 放たれた炎が、一直線に魔物を貫いた。


 火力も速度も、先ほどとは比べ物にならない。


「えええ!!! やった……! やりました」

「当たり前だ。お前にはそれぐらいの才能はすでに持っている」

「えっ? どうして私のこと?」


 彼女が小さく呟いたとき、僕はすでに次の気配に意識を向けていた。


「……この森、妙だ」

「アハっ! 結界の密度が薄くなってきてるわね。演習区域の外から、何かが……侵入してるわよ」


 リュシアが笑いながら言う。


 何かが入り込んでいる。これは、ただの演習じゃ終わらない。


 だが、それでいい。


 舞台が揺らげば、隠れていた敵も姿を現す。


 リュシアの索敵で、学園には魔族は見つけられなかった。だが、こんな形で違和感が出ると言うことは魔物が関与している可能性がある。


 僕は剣を収め、改めてエリスに視線を向けた。


「よくやった。次からは、最初からそれで頼む」

「えっ……えへへ。はい、ありがとうございます!」


 無邪気な笑顔を返してくるエリスに、俺は少しだけ視線を逸らした。


 この笑顔が、偽りじゃないのなら。最後に、俺を見て泣いたあの涙は……なんだったんだ?


 森の空気が、さらに澱み始める。


「リュシア、索敵!」

「アハっ! は〜い!」

「エリス。警戒を強めろ。魔物の気配が変わった」

「えっ? はい! わかりました」


 面白い。死の森で鍛えた剣技が、第四階層まで上がった力が、どの程度通じるのか試せる。


 新たな敵は大歓迎だ。俺をもっと強くしてくれる。


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