《side:エリス》
ヴィクター様の剣が、空を裂いた。
結界の空気ごと断ち切るような一閃。その軌道は鋭く、無駄がなく、ただ静かに、魔物を屠る。
「すごい……」
声にならない吐息が漏れる。
私が魔法を放つのに、あれほど集中して、あれほど怖くて仕方なかったのに。
ヴィクター様は迷いもなく、躊躇もなく、ただ一撃で決めてしまう。
そんな人の背中を、私は追いかけているんだ。
だけど、心のどこかに、奇妙なざわめきがあった。
あの時、炎を撃った私に、ヴィクター様は的確に指導をしてくれた。まるで、何度も私の魔法を見てきたかのように。
(どうして、あんなに私のことを知っていたんだろう……?)
疑問が、静かに胸を満たしていく。
「こちらです! レオ殿の従者がやられております!」
森の奥から、他の生徒の叫びが聞こえてきた。
ヴィクター様は即座に走り出した。リュシアさんもそれに続く。
私は慌てて足を動かし、彼らの後を追った。
たどり着いた先にあったのは、血に染まった従者の亡骸と、フレミア様の魔力に護られながら応戦するレオ様の姿だった。
その周囲には、まだ何体もの魔物がいた。
「穿華冥哭・双煌断!」
ヴィクター様の叫びとともに、黒い斬撃が二重に走る。瞬く間に、魔物の体が裂けた。
「フレミア、援護を。回復できるか?」
「はい!」
ヴィクター様は、躊躇いなく魔物に挑んで葬り去ってしまう。
フレミア様も、ヴィクター様の強さを信じているように信頼されている。
彼女はすぐに膝をつき、回復魔法を展開し始めた。
私には、何ができるだろう。
そう思いながらも、私は炎の魔法を構築し始める。今度は自分の力で、確かに支えるために。
でも……その時だった。
まただ。
私の意識に、あの声が忍び込む。
『おまえが……皆を焼いたのだ』
夢の中で何度も聞いた声。
村を襲い、父も母も焼き尽くした、あの黒い影の声だ。
ヴィクター様の剣がなければ、私は……。
でも、今の私は、もう逃げない……震える足を、前に出す。
炎を、真正面に向ける。そして、私は叫んだ。
「フレイム・レイン……っ!」
空から降り注ぐような炎が、魔物たちの進路を断った。
「エリス。よくやった」
ヴィクター様が私に声をかけてくれる。
その横で戦うヴィクター様の姿は、やっぱり、どこまでも遠くて、眩しかった。
でも、あの人に追いつきたい。たとえ、その先に何が待っていようとも。
演習は終わった。
ヴィクター様と過ごせる時間はあっという間でたくさん勉強できた。
私も協力したけど、結局はヴィクター様が魔物たちをすべて討伐してしまった。生徒たちは徐々に帰還していく。教師たちが結界の修復に取りかかり、負傷者の応急処置も始まっていた。
私は、木陰のそばに座り込んで、まだ少し早い鼓動を鎮めようとしていた。
「エリス、傷はないか?」
その声に顔を上げると、ヴィクター様がそこに立っていた。
黒い魔剣を収めた彼は、どこか冷たく、そして強く孤独に見えた。
「はい……大丈夫です」
「そうか」
なんとか微笑んでみせたけれど、胸の奥に小さな震えが残っていた。
ヴィクター様は、それ以上は何も言わずに背を向けた。
……やっぱり、凄い人。その背中を見つめることしかできない。
無事に帰ってきて、お風呂を上がると、どうしても今日のことを考えてしまう。
ヴィクター様はとてもかっこよかったなぁ。
「ハァ、今日は色々あって疲れたな」
学生寮の部屋で、私はベッドに身を沈めた。
戦いの疲れもあって、目を閉じるとすぐに眠りに落ちた。
だけど、私は夢を見る。
疲れた時はどうしても見てしまう。冷たい空気が、足元を這うように広がっていく。気がつくと、私は、あの森にいた。
もう誰もいない。焼け焦げた地面、血の匂い、倒れた人々。
「……お父さん……お母さん……?」
呼びかけても、返事はない。
耳元に、ざらりとした声が忍び込んでくる。
『……おまえが、燃やしたんだよ』
「ちがう……私じゃ、ない……」
『魔力が溢れてた。制御できなかった。それは、おまえの罪だ』
「やめて……もう、やめて……!」
私は逃げ出そうとする。けれど、足が地面に縫い付けられたように動かない。
振り向いた先、そこにはそれがいた。
黒い布を纏った人のようで、人でない何か。顔は見えない。ただ、ひどく細い手を、こちらに向けて伸ばしてくる。
『次は、誰を燃やすの? 学園の友達? それとも、“あの男”?』
「やめてえぇぇぇぇッ!!!」
私は叫び声で目を覚ました。
心臓が、胸の中で暴れている。
額には汗が浮かび、息も絶え絶えだった。
……また……あの夢……涙が、頬を伝って落ちる。
魔法を使えることは、私にとって救いだったはずなのに、どうして、それが呪いのように付き纏うの?
……ヴィクター様。
私の中にある、この不安を、もし話せたなら。
でも……あの人の背中は、今の私にはまだ遠すぎる。
朝日が差し込む部屋の中で、私は自分が抱える悩みを、ただ一人で涙を流すことしかできない。
ヴィクター様の強さが私にあれば……。