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第54話

《side:エリス》


 ヴィクター様の剣が、空を裂いた。


 結界の空気ごと断ち切るような一閃。その軌道は鋭く、無駄がなく、ただ静かに、魔物を屠る。


「すごい……」


 声にならない吐息が漏れる。


 私が魔法を放つのに、あれほど集中して、あれほど怖くて仕方なかったのに。


 ヴィクター様は迷いもなく、躊躇もなく、ただ一撃で決めてしまう。


 そんな人の背中を、私は追いかけているんだ。


 だけど、心のどこかに、奇妙なざわめきがあった。


 あの時、炎を撃った私に、ヴィクター様は的確に指導をしてくれた。まるで、何度も私の魔法を見てきたかのように。


(どうして、あんなに私のことを知っていたんだろう……?)


 疑問が、静かに胸を満たしていく。


「こちらです! レオ殿の従者がやられております!」


 森の奥から、他の生徒の叫びが聞こえてきた。


 ヴィクター様は即座に走り出した。リュシアさんもそれに続く。


 私は慌てて足を動かし、彼らの後を追った。


 たどり着いた先にあったのは、血に染まった従者の亡骸と、フレミア様の魔力に護られながら応戦するレオ様の姿だった。


 その周囲には、まだ何体もの魔物がいた。


「穿華冥哭・双煌断!」


 ヴィクター様の叫びとともに、黒い斬撃が二重に走る。瞬く間に、魔物の体が裂けた。


「フレミア、援護を。回復できるか?」

「はい!」


 ヴィクター様は、躊躇いなく魔物に挑んで葬り去ってしまう。


 フレミア様も、ヴィクター様の強さを信じているように信頼されている。


 彼女はすぐに膝をつき、回復魔法を展開し始めた。


 私には、何ができるだろう。


 そう思いながらも、私は炎の魔法を構築し始める。今度は自分の力で、確かに支えるために。


 でも……その時だった。


 まただ。


 私の意識に、あの声が忍び込む。


『おまえが……皆を焼いたのだ』


 夢の中で何度も聞いた声。


 村を襲い、父も母も焼き尽くした、あの黒い影の声だ。


 ヴィクター様の剣がなければ、私は……。


 でも、今の私は、もう逃げない……震える足を、前に出す。


 炎を、真正面に向ける。そして、私は叫んだ。


「フレイム・レイン……っ!」


 空から降り注ぐような炎が、魔物たちの進路を断った。


「エリス。よくやった」


 ヴィクター様が私に声をかけてくれる。


 その横で戦うヴィクター様の姿は、やっぱり、どこまでも遠くて、眩しかった。


 でも、あの人に追いつきたい。たとえ、その先に何が待っていようとも。


 演習は終わった。


 ヴィクター様と過ごせる時間はあっという間でたくさん勉強できた。


 私も協力したけど、結局はヴィクター様が魔物たちをすべて討伐してしまった。生徒たちは徐々に帰還していく。教師たちが結界の修復に取りかかり、負傷者の応急処置も始まっていた。


 私は、木陰のそばに座り込んで、まだ少し早い鼓動を鎮めようとしていた。


「エリス、傷はないか?」


 その声に顔を上げると、ヴィクター様がそこに立っていた。


 黒い魔剣を収めた彼は、どこか冷たく、そして強く孤独に見えた。


「はい……大丈夫です」

「そうか」


 なんとか微笑んでみせたけれど、胸の奥に小さな震えが残っていた。


 ヴィクター様は、それ以上は何も言わずに背を向けた。


 ……やっぱり、凄い人。その背中を見つめることしかできない。



 無事に帰ってきて、お風呂を上がると、どうしても今日のことを考えてしまう。


 ヴィクター様はとてもかっこよかったなぁ。


「ハァ、今日は色々あって疲れたな」


 学生寮の部屋で、私はベッドに身を沈めた。


 戦いの疲れもあって、目を閉じるとすぐに眠りに落ちた。


 だけど、私は夢を見る。


 疲れた時はどうしても見てしまう。冷たい空気が、足元を這うように広がっていく。気がつくと、私は、あの森にいた。


 もう誰もいない。焼け焦げた地面、血の匂い、倒れた人々。


「……お父さん……お母さん……?」


 呼びかけても、返事はない。


 耳元に、ざらりとした声が忍び込んでくる。


『……おまえが、燃やしたんだよ』


「ちがう……私じゃ、ない……」


『魔力が溢れてた。制御できなかった。それは、おまえの罪だ』


「やめて……もう、やめて……!」


 私は逃げ出そうとする。けれど、足が地面に縫い付けられたように動かない。


 振り向いた先、そこにはそれがいた。


 黒い布を纏った人のようで、人でない何か。顔は見えない。ただ、ひどく細い手を、こちらに向けて伸ばしてくる。


『次は、誰を燃やすの? 学園の友達? それとも、“あの男”?』


「やめてえぇぇぇぇッ!!!」


 私は叫び声で目を覚ました。


 心臓が、胸の中で暴れている。


 額には汗が浮かび、息も絶え絶えだった。


 ……また……あの夢……涙が、頬を伝って落ちる。


 魔法を使えることは、私にとって救いだったはずなのに、どうして、それが呪いのように付き纏うの?


 ……ヴィクター様。


 私の中にある、この不安を、もし話せたなら。


 でも……あの人の背中は、今の私にはまだ遠すぎる。


 朝日が差し込む部屋の中で、私は自分が抱える悩みを、ただ一人で涙を流すことしかできない。


 ヴィクター様の強さが私にあれば……。


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