《side:リュシア》
「さて……報酬の分も、しっかり働かなくちゃね」
エリスの夢に潜む寄生型の
潜り込んで彼女の恐怖を食い、魔力を育てて喰い尽くす。
ここは、あの子の心の底。
見たこともない荒れ果てた村、焼け焦げた木々。黒い空の下で、紅い瞳が爛々と光る。魔物たちが大量に人々を襲って滅びを迎える光景。
そして、中央には苦しげに立ちすくむ少女の姿。
「エリス……!」
夢魔は影の中からのっそりと這い出てくる。歪な体。人間の顔を模した気味の悪い笑み。凄まじい魔力の圧が空間を満たしていた。
『お前の力は、誰かに必要とされたことがあるのか? お前の魔法は、誰かを救えたのか?』
夢魔の声が、柔らかな吐息のように耳元で囁く。黒い霧がエリスの周囲を巡り、やさしい母の手のように頬を撫でた。
『私は知っているぞ。お前がどれほど願っても、誰もお前を見ない。誰も、お前の名前を呼ばない』
「……やめて……っ」
震える声がこぼれる。心の奥に巣くう孤独と不安。あの日、村を喪い、一人になったエリス。誰からも期待されず、ただ力だけが増していく日々。
だが。
『お前の心を預けろ、私がお前の代わりに導いてやる』
「……いいえ。私は、私の足で歩くの!」
その瞬間、エリスの体から光が溢れた。火花のような魔力の奔流が黒い霧を押し返し、夢魔の影が軋んだように呻いた。
『なんだ……この魔力は……っ!?』
「私の力は、誰かを傷つけるためにあるんじゃない。だから……あなたには、触れさせない!」
少女の魔力が、夢の世界に一筋の火を灯した。
「ふふ、凄いじゃない。エリス」
私はご主人様に匹敵する力を秘めているエリスの姿に楽しくなってしまう。
夢魔も、エリスの膨大な魔力に惹かれて長い年月取り憑いでいるのだろう。
『……邪魔か……』
「アハっ! 気づかれちゃった。あなたみたいなゴミが、この子を汚すなんて、虫唾が走るわね」
『ふん……夢の中では、私は無敵だ。貴様が魔族でお前であろうとな』
「あら、私が魔族だってわかるのね。いつもは魔族だって気づかれないのに。やっぱりここはあなたのテリトリーというわけかしら? だけど、私がここで本気を出したら、夢ごと焼き尽くすわよ」
指先をくるりと回し、小さな黒い炎を生み出した。
夢魔の気配がぴくりと揺れる。
「エリス、聞こえる? あなたの意識はもう覚醒に近い。自分の足で、立ちなさい!」
「……リュ……シア……さん……?」
苦しげにうめいていたエリスの瞳が、震えながらも私を見上げる。
その瞬間、影の空間がざらりと揺れた。
『目覚めさせはしない……この器は、私のものだ!』
夢魔が襲いかかる。歪んだ腕が黒い触手のように変化し、私を押し潰そうと振り下ろす。
「エリス、魔法を! 力を使いなさい!」
「でも、私……っ、怖くなって……!」
「大丈夫よ。私は後ろにいる。あなたは前だけを見て、打ち抜きなさい!」
「どうしてあなたが?」
「ふふ、ご主人様。あなたの大好きなヴィクター様が、あなたを助けるために、外で夢魔と戦っているわ。あなたが目覚めれば全てを忘れてしまうかもしれない。だけど、あなたの心には残るはずよ」
私の言葉に、エリスが反応する。
「ヴィクター様が、私のために戦っている?」
「そうよ。ご主人様の手を煩わせているんのよ。それに、あなたはヴィクター様が好きなのでしょ?」
「私はヴィクター様が好き! 大好き! 始めてあった時から、心惹かれて、一緒に戦って強さに憧れた」
エリスの掌に、炎の紋様が灯った。
それは震えてはいたけれど、確かに力強かった。
「ヴィクター様……! 私は……もう、逃げない!」
「ふふ、これでエリスはあなたに反逆を示した。来なさい、
『あああああああああああああ!!』
影の本体を切り裂き、エリスが心の火炎で撃ち抜く。
二重の攻撃が夢魔の中心を穿ち、空間が裂けた。
黒煙が渦を巻き、歪な体が崩れ、消えていく。
『バ……カな……人間が、私を……!』
「この子はただの人間じゃないわ。ご主人様の未来に関わる存在よ」
最後にそう呟いて、夢魔は完全に霧散した。
「エリス、あなたの悪夢はご主人様が終わらせてくれるは、その後にあなたがどうするのか、それはあなた自身で決めなさい」
私は夢の中を後にして、魔法陣から外へ戻った。
♢
《sideエリス》
「……っ、はぁ……はっ……!」
目を覚ました私は、息を切らしながらベッドの上で跳ね起きた。
「悪夢が晴れた?」
今日は嫌な夢を見ていない。
今日の夢は、ヴィクター様と、リュシアさんが私の夢に出てきて悪夢を祓ってくれた。
「ヴィクター様、リュシアさんが……夢の中で……?」
夜明けの光が、窓から差し込む。
私の頬に、暖かな朝日が当たっていた。
その光の中に、わずかに満足げな笑みを浮かべている自分がいた。
「こんなにも清々しい朝を迎えるのは、いつぶりだろう。ううん、覚えていない程に、私はずっと夢に苦しめられてきた」
胸の中に暖かな感情が芽生えている。
この感情がなんなのか。まだ私にはわからない。
けれど、あの人が微笑むなら、私はその傍にいる理由が欲しい。
夢から戻る風が、静かに髪を撫でていた。
「ヴィクター様、あなたに会いたいです」
心の中にあの人がいる。そう思える朝だった。