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第62話

《side:ヴィクター》


 夢魔ナイトメアの霧が、夜の森に消えていく。


 気配が消えた。


 その瞬間、押し黙っていた森が、ようやく音を取り戻した。


 夜鳥の声が、かすかに葉の隙間から響く。


 小動物の足音。虫たちのさざめき。風が木々を撫でる音。


 魔物の鳴き声は、強者を失ったことで、森の中に戻ってきた。


 すべてが、あまりにも自然に……それが異常だったことを思い出したように、再起動していく。


 すべてが元に戻った。いや、戻りつつある。


「……終わったな」


 足元に残る黒い痕跡を一瞥し、冥哭を鞘に収めた。


 足音も立てず、漆黒の毛並みを揺らして現れたエリザベスが、静かに僕の足元へ近づいてくる。


「クゥ〜」


 その巨体を僕の体にすり寄せるように近づいてきたところを、頭を撫でてやる。


「ご苦労だったな、エリザベス」


 その額に触れると、嬉しそうに尻尾を揺らした。


 このダイワウルフから、忠義を抱いているようにも感じられる。感情を言葉にできぬ獣のまなざしに、確かな意思の強さを感じられた。


「帰るか」

「ワン!」


 首を軽く撫でると、エリザベスは僕を振り返るように小さく鳴いた。僕たちは、静寂の戻った森を後にした。



 屋敷へ戻った時、夜はすでに明けていた。


 夢魔との戦いは、こちらの攻撃を無効化されるところからの始まりだった。


 剣術や、魔術無効化でも対応できない。


 実態を持たない存在がいる。


 それを知ることができたのは、僕にとっても良い経験になった。


 屋敷の中では、早朝に起き出す者たちが活動を始めていた。


 扉を開けた先、僕の書斎に待っている者がいた。


 白銀の髪を下ろし、黒い上着を羽織った姿のリュシア。


「ご主人様、お帰りなさい」

「ああ。夢魔は、もうこの世にはいない」

「アハっ! ご主人様が喰らったのね。ご馳走さまだった?」

「まずくはなかったが……消化に時間がかかりそうだ。何よりも、僕としては切れない存在を斬れる方法を知らなければいけない経験になった」


 冗談めいた言葉を返すと、リュシアが笑う。


 だが、その笑みの奥に微かな疲れの影があることに、僕は気づいた。


「お前も……やったのか?」

「ええ。夢の中で接触したわ、彼女と。そして、ちゃんと決着がついた」

「……そうか」

「安心していいわ。彼女はもう、夢魔の影響は受けない。彼女の中にあるのは、恐怖ではなく……意志よ」


 リュシアの纏っている魔力が増幅している。


 僕はリュシアが何かを片付けるたびに力をつけているのを知っている。


 たとえ、僕の魂をリュシアに捧げたとしても、全ての真実が知れるなら僕はそれでいい。


「……つまり、もう僕の介入は不要だということだな?」


 リュシアは何も言わず、ただ黙って微笑んだ。


 その沈黙が答えだった。


 僕は納得した。


 もうエリスが抱える悩みは、解消されて守られるべき理由がない。過去の恐怖に支配され、魔力を喰われていた無垢な少女は、もういない。


 逆に言えば、未来でエリスが抱える憂いや、僕を裏切ったであろう痕跡は無くなった。


 夢魔を乗り越えたということは、彼女が自分の人生を自分の足で歩く力を得たということ。


「そうか。……なら、それでいい」


 少しだけ、息を吐いた。


 背中を預けるには未熟で、しかし守る理由はあった少女はもう僕の手を離れた。


 もうそれは終わった。あとは彼女が、自分の道を歩むだけだ。


「やっぱり、少し……寂しいの?」

「寂しい? なぜだ?」


 問いかけるリュシアの声に、不思議と首を傾げた。


「だって、未来で唯一ご主人様のために涙を流してくれた子なのよ?」

「それがどうした? 僕が知りたいのは真実だ」


 僕は椅子に腰を下ろして、足を組んだ。


「すでに、僕の興味は失せた。まだ完全に真実を解明したわけではないが、当面、エリスが魔族に関与していたことは知ることができた。それで十分」

「アハっ! 冷たいわね、ご主人様。でも、そこが好きよ」


 リュシアがふわりと笑った。


 僕は歩き出す。廊下を抜けて、自室へ向かう途中で一度だけ、夜空を見上げた。


 薄い雲の切れ間から、月が顔を覗かせていた。


 不思議と、胸の内には何もなかった。名残惜しさも、悔いも、執着も。


 全てが、初めからそこにはなかったかのように、ただ静かだった。


「どうでもいい」


 リュシアが膝の上に乗って唇を重ねてくる。


 僕はされるがままに、リュシアに身を任せながら、エリスの顔を思い浮かべた。


 月が照らす闇の中、ただ一人歩き続けた彼女は、僕とは関わらない人生を歩んだ方が幸せになれるだろう。


 僕が進む道は、幸福とは程遠くて、エリスとは別々の道を進むことになる。


「次は、レオ、それにマーベ」


 すでにエリスから興味を失い、僕は求める真実に向かって歩き出す


 闇はまだ終わらない。


「アハっ! ご主人様、最高に絶望的な感情が渦巻いているわね。最高に心地よいわ」


 リュシアは、僕を抱きしめながら、気持ちよさそうな恍惚とした表情を浮かべていた。



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 あとがき


 どうも作者のイコです。


 魔法少女編は以上になります。


 いつも読んでいただきありがとうございます!



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