《side:エリス》
戦争が終わったのに、どうして私の心は、こんなにも寒いのだろう。
焼け焦げた空の下、崩れた王城の跡地に立ちながら、私は一歩も動けなくなっていた。
かつて、何百もの魔物や人を撃ち落とした私の手からは、今ではもう、火花ひとつも生まれない。
あれほど夢見た魔法使いという肩書きは、いつの間にか過去のものになっていた。
こんな状態では、あの人の横に立つこともできない。
すべては、あの戦いが終わったあとからだった。
王族を打倒する。それが、ヴィクター様の掲げた旗だった。
私はその意志に心から賛同し、剣を振るう彼の背中を追いかけた。戦場では、彼の右腕として、軍の魔術師として、幾度も命を賭けて戦った。
彼の命を救ったことが私の誇りだった。
女性としては、彼の隣に居られない。だから、魔法使いとして彼の隣にいる。
誇り高く、美しく、残酷なまでに強いヴィクター様。
真っ直ぐに前を見つめて、仲間を振り返ることもなく突き進む姿が素敵だった。
あの背中に並びたくて、私は命をすり減らした。
ううん。私だけじゃない。
多くの人たちが、あの背中を追いかけたくて、ずっと走り続けてきた。
けれど……。
戦争が終わり、王を打倒して王国の形は新たな新体制に変わっていく。
その中心にいるのはヴィクター様。
だけど、私は平和の兆しが見え始めたその時。
突然、魔力を失った。
底に穴が空いたように、魔力が日々流れ出していく。
原因は、夢の中に現れる何かだった。
昔から、私を苦しめ続けていた悪夢。だけど、いつもなら悪夢を見た後は魔力が溢れて、どんな敵にも勝てるように思っていた。
だけど、全ての戦いが終わってから、悪夢を見なくなった。
代わりに、夢を叶えた私は魔力を失った。
『ヒヒヒ、お前に長い年月をかけて、私の力を分け与えて内側から蝕んだ。その実が結んだのだ』
そいつは夢魔と名乗り、ずっと私の魔力を喰らっていた。
気づいた時にはもう手遅れだった。魔法陣は組めず、詠唱もすり抜け、術式は発動しない。
すべてを捧げてきた力を……いや、それだけじゃない。
力を失った私は、あの人の隣に立てなくなった。
誰よりも近くで戦ってきた戦友という位置にも立てない。
その現実にとどめを刺したのは、ヴィクター様とアリシア様の正式な婚姻発表だった。
わかっていたことだ。貴族であるお二人が結ばれるのは、決まっていたこと。
平民である私に希望なんてない。
魔力を失った私に、望みすら持てない。
「……ああ、そうだよね。アリシア様なら……仕方ないよね……」
胸を突き刺す痛みは、何かを失った証だった。
けれど、私は理解していた。あの人は王族を打ち倒した英雄だ。
その隣に並ぶのが、王族の血を引く聖女アリシアであれば、世界はそれを祝福する。そう思って、納得しようとした。
なのに……。
「アリシア・ラヴェンデルが告発します。ヴィクター・アースレインは、反逆者です」
……何を言っているの? 私は、耳を疑った。
ヴィクター様は、この国の腐敗を正すために、私たちと共に戦ったのに。
なぜ、その隣にいた彼女が、彼を裏切るの?
なぜ、私たちの戦いが、こんな終わりを迎えるの?
「……魔力を……返してよ……っ!」
崩れ落ちた王城の片隅、私は一人で叫んだ。
誰にも届かない声で。
魔法も、誇りも、何もかもを失って、それでもただ一人だけ、守りたかった人すら守れなかった私に、何が残るというの?
そして、迎えた……あの日。
ヴィクター・アースレイン処刑。
王都の処刑場。
聖女の裁きによって絞首台に立たされた。
私は何度もヴィクター様の罪が潔白であることを証明しようとした。
だけど、その全てをかつての仲間たちによって邪魔をされる。
魔法を失った私では、彼らに対抗することもできないまま、
ヴィクター様の死に対して、何もできないままだった。
誰よりも強くて、誰よりも誇り高くて。最後まで、美しかったヴィクター様。
死を迎える前であっても、あなたはただ無感情に天を仰ぐだけなのですね。
私は、群衆の隅で、ただ、涙を流すことしかできなかった。
名前を呼ぶことすらできなかった。
「ごめんなさい……ごめんなさい……!」
ただ、それだけを繰り返した。
この手で救えなかった。
愛していたのに。その背に手が届いたことなど、一度もなかったのだと、ようやく気づいた。
ヴィクター様。私が夢見た未来は、あなたと共にある世界でした。
けれど、夢は終わり。
何の力も持たない、あなたを救えなかった愚かな魔法使いに。
『いいねぇ〜その絶望に賛辞を送って、大好きな人の元に私が送ってあげるよ!』
私にはもう何もない。だから、夢魔の抵抗することなく命を差し出した。
願うならば、夢魔に頼ることなく。
あなたと普通に出会って、あなたと普通の関係で、あなたに恋をしたかった。
ヴィクター・アースレイン様。
私は生涯をあなたと共に生きられたことに後悔はありません。
そして、あなたの死を見届けて、何もできない愚かな私をお許しください。
来世があるならば、もう一度あなたの隣で力になりたい。