《side:レオ・シュバイツ》
暗く沈む魔法陣を描いたシュバルツ家の屋敷の地下。
古代語で記された円陣は、今もなお魔力を帯びて脈動していた。煤けた石壁に、蝋燭の炎が揺れ、血で描かれた魔法陣の中心に僕は立つ。
「……どういうことだ……!」
拳が石床を叩いた音が、やけに耳に響いた。
ヴィクター・アースレイン。
あの無属性の化け物は、どうして魔法が無効するんだ! そんな魔法効いたことないぞ。
魔法は私の誇りだ。その全力を持って放った三色の魔法が、無表情で踏み潰された。何の感情も揺らすことなく、ただ「興味がない」と言い捨てた。
なんなんだ、あいつは。私は賢者の家系だぞ? 三色同時展開も習得してる。
なのに、なぜ……!
「なぜ……勝てないんだ……悪魔よ!」
魔法陣がぐらりと揺れ、底のない闇の中から、ひとつの声が湧き上がった。
『フフフ……勝てない? なにを嘆く? 契約を結んだ程度で、すべてを手に入れられると思ったのか?』
「ふざけるな! お前は言っただろう、力を与えると! ヴィクターに匹敵する魔力を!」
『与えたとも、だが……お前の魂だけでは、それには届かぬというだけだ』
悪魔の声は、焔のように揺らぎながら、確信めいた響きを含んでいた。
「私の魂だけでは届かない?」
『そうだ。お前はまだ、自分の痛みも味わっていない。何よりも夢を叶えた後なんて、先の話だ。それでは力を引き出せない……魂が足りぬのだよ、レオ・シュバイツ』
「痛み? 魂?」
『痛みとは、代償。そして、魂とは捧げれば捧げるほどに力は強くなる。他者の魂を贄として捧げよ。そうすればその者の魔力も、才も、記憶も……すべてお前のものになる』
喉の奥が震える。他者の魂を……悪魔に捧げろというのか? それを喰らわせろと? そんなことをすれば、私はただの人殺しだ。
「バカな……そんなことをすれば……!」
『なにを恐れる? お前はすでに悪魔との契約を果たした。すでに一線を越えたのだ。破棄はできぬ。進むしかない。それとも目的を達成する前に、魂を捧げて喰われるのか?』
私が何もできない喰われる? 悪魔に契約したのに、何も成せない? ありえない。
『それとも、またアースレインの前で膝をつき、見下されたいか? その程度なのかと? 勝てないのかと? 笑われたいのか?』
……脳裏に、観客席で囁かれていた声が蘇る。
『やっぱりアースレイン様だな』
『レオ様、ちょっと情けなかったね』
『しかもシミュレーションで助けてもらったのにお礼も言っていないそうだぞ』
歯を食いしばる。屈辱だ。
私は弱いから従者を死なせた。
しかもあいつに助けられて、どんどん私はバカにされるだけだ。
「……誰を捧げればいい?」
『フフフ、素直でよろしい……始まりは一人でいい。お前の魔力を褒めた教師でも……賢者学科の同期でもいい。そうだな。お前の苦手な属性なんていいんじゃないか? そうすればお前は七色の魔法を使うことができるぞ』
七色の魔力!!! そんな魔法を使えた者はシュバルツ家でも誰もいない。
もしも、そんなことが出来たら私は稀代一の賢者として崇められる。
『ただし、その魂は完全な信頼のもとに掠め取るがよい。その上でお前に裏切られたと知り、恐怖も、嫉妬も、美しき絶望も、混じっていた方が上等だ』
裏切ったと知った瞬間の爆発的な魔力の高まり。
「わかった……力を得られるなら……誰でも構わない」
私は焔を見つめながら、決意した。
『よろしい……ならば、開宴の刻は近い。供物を用意せよ、レオ・シュバイツ』
魔法陣の中心で、歪な笑みを浮かべた影が、確かに揺らいだ。
♢
笑うのは、案外難しい。
人前で笑ったことなど、ほとんどない私にとって、柔らかく微笑むという仕草は、もはや魔法のような技術だった。
それでも、必要なのだ。
信頼を得るために。
悪魔が求めるのは、心を許した者から奪い取る魂。
そのためには、まず相手に「信じさせる」ことが不可欠だった。
今日から賢者らしく振る舞うと決めた。
「おはよう、エリスさん。昨日の魔法合戦、お見事だったよ」
「……えっ? あ、ありがとうございます……?」
訝しげにこちらを見る彼女に、少しだけ目を細めて微笑んでみせる。
「ヴィクターと組んでた時、見てたよ。君の魔力は、とても綺麗だった」
正直に言えば、エリスの魔力がどうかなんて、どうでもいい。けれど、彼女はすでに学内でも注目されている特待生の一人だ。
それに、あのアースレインの近くにいる。それだけでも、近づく理由にはなる。
「ほら、これ。昨日の教科資料、落としてたよ」
「えっ?! ありがとうございます」
彼女の机にノートをそっと置く。何人かの生徒がこちらを見て、ざわめいた。
計画通りだ。
「シュバイツ様、今魔法合戦で負けて、気持ちを入れ替えたのかしら?」
「ええ? そうなのかな? 元々イケメンだから、あの癇癪がなくなるなら、いいと思うけど。
「今日は……穏やか子」
取り巻きの貴族生徒たちが、こちらを不思議そうに見てくる。
ふん、貴様らのことなどどうでもいい。私は求めるのは、力を持つ者だ。
「皆にも、随分と冷たくしてしまっていたな。すまなかった。……私も反省したよ。仲良くしてくれるなら、嬉しい」
「……え? あ……い、いえ……!」
心の中で、吐き気がするほど嫌な笑顔を貼りつけた。
(気安く声をかけるな、愚民ども。私が欲しいのは力だけだ。お前たちの魂が、僕の力になるのなら、それでいい)
貴様らを騙して、魂を手に入れるためなら、優しい笑顔を貼りつけて理想の賢者を演じてやるよ。
すべては、力を得るためだ。
七色の魔法を、この手に。
ヴィクター・アースレイン……見ていろ。次に笑うのは、私だ。