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第68話

《side:レオ・シュバイツ》


 暗く沈む魔法陣を描いたシュバルツ家の屋敷の地下。


 古代語で記された円陣は、今もなお魔力を帯びて脈動していた。煤けた石壁に、蝋燭の炎が揺れ、血で描かれた魔法陣の中心に僕は立つ。


「……どういうことだ……!」


 拳が石床を叩いた音が、やけに耳に響いた。


 ヴィクター・アースレイン。


 あの無属性の化け物は、どうして魔法が無効するんだ! そんな魔法効いたことないぞ。


 魔法は私の誇りだ。その全力を持って放った三色の魔法が、無表情で踏み潰された。何の感情も揺らすことなく、ただ「興味がない」と言い捨てた。


 なんなんだ、あいつは。私は賢者の家系だぞ? 三色同時展開も習得してる。


 なのに、なぜ……!


「なぜ……勝てないんだ……悪魔よ!」


 魔法陣がぐらりと揺れ、底のない闇の中から、ひとつの声が湧き上がった。


『フフフ……勝てない? なにを嘆く? 契約を結んだ程度で、すべてを手に入れられると思ったのか?』


「ふざけるな! お前は言っただろう、力を与えると! ヴィクターに匹敵する魔力を!」


『与えたとも、だが……お前の魂だけでは、それには届かぬというだけだ』


 悪魔の声は、焔のように揺らぎながら、確信めいた響きを含んでいた。


「私の魂だけでは届かない?」


『そうだ。お前はまだ、自分の痛みも味わっていない。何よりも夢を叶えた後なんて、先の話だ。それでは力を引き出せない……魂が足りぬのだよ、レオ・シュバイツ』


「痛み? 魂?」


『痛みとは、代償。そして、魂とは捧げれば捧げるほどに力は強くなる。他者の魂を贄として捧げよ。そうすればその者の魔力も、才も、記憶も……すべてお前のものになる』


 喉の奥が震える。他者の魂を……悪魔に捧げろというのか? それを喰らわせろと? そんなことをすれば、私はただの人殺しだ。


「バカな……そんなことをすれば……!」


『なにを恐れる? お前はすでに悪魔との契約を果たした。すでに一線を越えたのだ。破棄はできぬ。進むしかない。それとも目的を達成する前に、魂を捧げて喰われるのか?』


 私が何もできない喰われる? 悪魔に契約したのに、何も成せない? ありえない。


『それとも、またアースレインの前で膝をつき、見下されたいか? その程度なのかと? 勝てないのかと? 笑われたいのか?』


 ……脳裏に、観客席で囁かれていた声が蘇る。


『やっぱりアースレイン様だな』

『レオ様、ちょっと情けなかったね』

『しかもシミュレーションで助けてもらったのにお礼も言っていないそうだぞ』


 歯を食いしばる。屈辱だ。


 私は弱いから従者を死なせた。


 しかもあいつに助けられて、どんどん私はバカにされるだけだ。


「……誰を捧げればいい?」


『フフフ、素直でよろしい……始まりは一人でいい。お前の魔力を褒めた教師でも……賢者学科の同期でもいい。そうだな。お前の苦手な属性なんていいんじゃないか? そうすればお前は七色の魔法を使うことができるぞ』


 七色の魔力!!! そんな魔法を使えた者はシュバルツ家でも誰もいない。


 もしも、そんなことが出来たら私は稀代一の賢者として崇められる。


『ただし、その魂は完全な信頼のもとに掠め取るがよい。その上でお前に裏切られたと知り、恐怖も、嫉妬も、美しき絶望も、混じっていた方が上等だ』


 裏切ったと知った瞬間の爆発的な魔力の高まり。


「わかった……力を得られるなら……誰でも構わない」


 私は焔を見つめながら、決意した。


『よろしい……ならば、開宴の刻は近い。供物を用意せよ、レオ・シュバイツ』


 魔法陣の中心で、歪な笑みを浮かべた影が、確かに揺らいだ。



 笑うのは、案外難しい。


 人前で笑ったことなど、ほとんどない私にとって、柔らかく微笑むという仕草は、もはや魔法のような技術だった。


 それでも、必要なのだ。


 信頼を得るために。


 悪魔が求めるのは、心を許した者から奪い取る魂。


 そのためには、まず相手に「信じさせる」ことが不可欠だった。


 今日から賢者らしく振る舞うと決めた。


「おはよう、エリスさん。昨日の魔法合戦、お見事だったよ」

「……えっ? あ、ありがとうございます……?」


 訝しげにこちらを見る彼女に、少しだけ目を細めて微笑んでみせる。


「ヴィクターと組んでた時、見てたよ。君の魔力は、とても綺麗だった」


 正直に言えば、エリスの魔力がどうかなんて、どうでもいい。けれど、彼女はすでに学内でも注目されている特待生の一人だ。


 それに、あのアースレインの近くにいる。それだけでも、近づく理由にはなる。


「ほら、これ。昨日の教科資料、落としてたよ」

「えっ?! ありがとうございます」


 彼女の机にノートをそっと置く。何人かの生徒がこちらを見て、ざわめいた。


 計画通りだ。


「シュバイツ様、今魔法合戦で負けて、気持ちを入れ替えたのかしら?」

「ええ? そうなのかな? 元々イケメンだから、あの癇癪がなくなるなら、いいと思うけど。

「今日は……穏やか子」


 取り巻きの貴族生徒たちが、こちらを不思議そうに見てくる。


 ふん、貴様らのことなどどうでもいい。私は求めるのは、力を持つ者だ。


「皆にも、随分と冷たくしてしまっていたな。すまなかった。……私も反省したよ。仲良くしてくれるなら、嬉しい」

「……え? あ……い、いえ……!」


 心の中で、吐き気がするほど嫌な笑顔を貼りつけた。


(気安く声をかけるな、愚民ども。私が欲しいのは力だけだ。お前たちの魂が、僕の力になるのなら、それでいい)


 貴様らを騙して、魂を手に入れるためなら、優しい笑顔を貼りつけて理想の賢者を演じてやるよ。


 すべては、力を得るためだ。


 七色の魔法を、この手に。


 ヴィクター・アースレイン……見ていろ。次に笑うのは、私だ。



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