マーベの観測は、想像以上に精密だった。
魔力を封じた僕の腕に、彼女が小型の術式装置を取り付けた瞬間から、視界に見えない文字列が浮かび始める。
それは魔力流の演算結果というやつらしいが……正直、僕にはさっぱりだ。
「ふむ。無属性としての特異性が強すぎる。遮断ではなく、因果切断の性質に近い。これは既存の分類式では測れないかも」
マーベが淡々と独り言をこぼす。だが、その指先は止まらない。
そして、その隣ではフレミアが“聖式起動陣”を展開していた。
「準備できました。これを使えば、私の霊基に共鳴するはずです」
「よし。では、同時干渉実験に移行」
「ちょっと待って」
その言葉に、僕は身を起こす。
「無効化と聖式霊基の干渉? それって、因果が衝突する可能性があるのでは?」
「ある。だから、面白い」
……やはりこの女、狂っている。
けれど。
「わかった、構わない。試す価値はある」
なぜなら、僕の力を僕自身も測りきれていないからだ。
起動。
フレミアの霊基が光を放つ。
僕の腕に伝導する魔力の流れが、今までにない速度で加速する。
そして、ぶつかり合った。
瞬間。視界が白に染まり、音が消えた。
重なり合った因果の共鳴。
僕とフレミアの魔力が、
そこは現実ではない。夢とも違う。
因果と霊基が生み出す仮想の過去。
そして、そこには……。
「……アリシア?」
あり得ないはずの存在が立っていた。
過去の断罪の場面。
そして、僕を断罪した六人の幻影たちが、再び僕の前に現れる。
これは、ただの実験ではなかった。
「ヴィクター・アースレイン。これはあなたの内なる記憶と因果が生み出した領域。真実に触れる準備が整った? あなたは何かを隠している。そして、その何かがあなたの乱れを生み出している」
「……これは試練か? それとも……再選か?」
「ううん。ただの実験」
沈んでいく。
音もなく、色もなく、感覚だけが深く、静かに、確かに落ちていく。
フレミアとの霊基干渉実験の最中、マーベが警告した因果の裂け目。
それに飲まれるように、僕はあの時へと還っていった。
目を開けると、不思議な光景が広がっていた。
王城の石造りの廊下。赤絨毯。掲げられた家紋。夜明けの空を背に、議場へと続く道。
断罪の一ヶ月前。
王家への最終決戦を迎える前。
まだ、誰も僕を裏切っていなかったと思っていた頃。
「……これは夢じゃない。記憶の再現か?」
誰かの霊基と混ざり合った因果が、僕の過去を視覚化している。
ただの追想ではない。これは、断罪という事件の発火点を、再構成する機会。
まず最初に訪れたのは、ジェイ。
軍師の部屋だ。
資料の山、戦略盤、王家の紋章付きの極秘文書。
僕は彼を最後まで信じてはいなかった。
この記憶の中の彼は誰かと会話をしていた。
「……予定通りに進め。あいつの処遇はあくまで円滑に。感情ではなく、秩序の維持を優先せよ。クソがどうしようもないのかよ!」
相手は見えない。だが、その背後にアリシアの姿が霞んでいる。
「……どうにもならないわ。あなたが計画を立てるのよ。私の妖精たちがそうやって告げている」
次に訪れたのは、夜の鍛錬場。
レオ・シュバイツが一人で術式練成をしている。
影から誰かの声が囁いていた。黒い翼のような気配。おそらくは悪魔。
『剣神を超えることはできないからこそ。先に奪えばいい』
レオの顔には迷いがない。
今まで見てきた事実と彼らの言動が重なり合う。
だがその直後、彼の口元に浮かんだ笑みは、残忍な者だった。
「……最初から、裏切る準備をしていたのか?」
さらに、議会前夜。マーベの研究室。
僕が知らなかった時間。
誰もいない研究棟で、マーベは一人で何かの研究をしている。それは因果演算式を眺めていた。
「この因果系は異常。ヴィクター・アースレインの処遇は、歴史の裂け目になり得る」
その手には、あの時僕が目にしなかったもう一つの真実があったのかもしれない。
だが、彼女は動かなかった。
彼女の声が記憶の中で静かに響いた。
「私は介入しない。すべての結果を、後で記録すればそれでいい」
そして最後に最前線のテントの一角。
月明かりの下、アリシアが立っていた。
誰もいないと思っていた場所で、彼女は、王女マリスティーナと会話をしていた。
「ヴィクターは、最後まで信じるでしょうね。あの子はそういう人だから」
「ええ。でも、信じるだけでは国は守れません」
アリシアの笑みは、どこか哀しげで、優しくて、残酷だった。
「ごめんなさい、ヴィクター。あなたは英雄でいてほしかったの。でも……英雄は、必要な時に殺されるから尊いのよ」
その言葉は、胸に突き刺さって抜けない。
すべてが見えてきた。
だが、それはただの事実ではなく、意志だった。
誰が、どの立場で、何を信じ、何を守るために、僕を切り捨てたのか。
これは過去を取り戻す旅ではない。
本当の意味での未来を選び取るための、観測なのだ。
だから、これが一つの答えであり、また別の答えを導き出す流れの一つだ。
白い光が、視界を満たした。
そして僕は、静かにまぶたを開いた。
研究室の天井。マーベの瞳。フレミアの心配そうな顔。エリスが僕の手を握っている。
「……戻った?」
「乱れは戻ってない」
マーベの言葉は、ただ一言。
だが、そこにこそ真実があった。
次に向かうべき場所は決まっている。
ジェイ、もう一人の計画者。
この物語の最後の真実の対象だ。