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第84話

 翌日、曇天の下、傭兵宿の中庭は、異様な熱気に包まれていた。


 十数人の傭兵たちが武器を担ぎ、野営用の装備をまとめ、地図を囲んで口々に喚き合っている。


 彼らは金の匂いに敏感で、腕に覚えがあり、死と隣り合わせの仕事を生き甲斐にしている連中ばかりだ。


「……まさか、このアースレイン家の坊ちゃんが前線に出るとはな」


 低く唸ったのは、斧を背負った筋骨隆々の男。片目に傷を持つその男は、仲間内でも古参の部類らしい。


「名家の名を看板にして、戦場に出てきたとでも? 俺たちは慈善団体じゃねぇぞ」

「その通りだ。だが俺は、金も命も払う覚悟で来た。前線に立つことも、覚悟の上だ」


 僕は答えた。視線は鋭く、背筋を伸ばしたまま。


 威圧する気などない。ただ、軽んじられるわけにはいかなかった。


 この男たちは、実力と実績でしか人を測らない。


 アースレイン家の名前で集まったとしても、それだけではこの集団の中で信用など得られない。


「お前らが命を張って稼ぐ世界だ。口だけの坊ちゃんが紛れ込めば、それだけで死に繋がる。俺はそれを知っている」


 静かに剣の柄を叩く。腰に下げた《冥哭》の黒刃が、小さく鈍い音を立てた。


 その音に、一部の傭兵が目を細める。侮れないと判断したようだ。


 ジェイがその場に歩み出る。足取りは軽く、だが視線は鋭い。


「集まったな。じゃあ始めようか、大規模魔物討伐作戦の準備を」


 ジェイは手元の地図を広げ、手早く概要を口にした。


「目標は、王都南部にある獣魔の群生地帯だ。ここ数ヶ月、討伐依頼が相次いでいたが、被害が拡大し、完全掃討の必要が出た。しかも今回は、群れの中に魔喰獣が確認されてる」


 魔喰獣。魔力を吸収し、増幅して仲間に伝播させる凶悪な獣魔。


 放置すれば、周囲の魔物の強化を引き起こし、下手をすれば、都市への襲撃にまで繋がる。


「王国軍も一部支援を出すが、今回はあくまで実地検証という建前。前衛は俺たち傭兵部隊が担う」


 ジェイは淡々と語りながら、各部隊の構成、進軍ルート、補給地点、そして撤退時の退路までを提示した。


 完璧だった。


 ……未来で彼が軍師と呼ばれる所以は、ここにある。


 誰よりも冷静で、誰よりも戦場を損耗として捉えられる理性。


「そして、アースレイン坊ちゃん。ヴィクターは、前衛A班の特別指揮官として俺が配置した」


 場がざわめく。


「戦う気があるなら、それを証明してみろ。部隊の士気を引き上げてくれると助かるな」

「……ああ、わかってる。僕が先陣を切る」


 言い切った瞬間、場の空気がわずかに変わった。


 この世界では、剣を振って言葉を証明しなければ、信用は得られない。


 だがそれでいい。


 僕はアースレイン家の当主になる者としてではなく、一人の戦士として、真実を知る者として、この戦に臨む。


 魔物が目的ではない。


 僕が見たいのは、ジェイがなぜ僕を裏切るに至ったか、その片鱗。


 戦場は、本質を暴く。


 偽りのない言葉と行動だけが、生と死の間で浮かび上がるからだ。


 だからこそ、僕はそこに立つ。


 アースレインの剣として。仲間だった男の真意に迫るために。


 傭兵宿の裏庭。


 朝靄の立ち込める中、木製の訓練台が組まれ、その前に傭兵たちが整列していた。


 重装の戦士、弓の名手、回復術師、爆裂魔術を使う小柄な少女、戦槌を肩に担いだ巨漢。


 性格も戦闘スタイルもばらばらだが、一目でわかる。どの者も戦場の空気を知っている。


「じゃ、紹介していくとしようか」


 ジェイが足を組み、手帳を片手に立ち上がる。


 ドイルはその隣に立ち、筆記用具をきっちり揃えている。傭兵会議の進行補佐をしている文官のような雰囲気だった。


「まずはこの短剣使い。人を殺した回数より、朝食の回数の方が少ないって噂の奴だ」

「それは違います! 記録では依頼の回数が百を超えているとありますが、人殺しの常習者という証拠はどこにも」

「ま、どっちにしろ凶悪な面構えだろ? 次いこう」


 ドイルの真面目な指摘をすっぱり切り捨てて、ジェイは次の傭兵を指さす。


「こっちは斧使いの女戦士。喧嘩っ早いのはお国柄でな。酔っ払うと斧に名前をつけて語りかけるタイプだ。こないだなんか私の斧が恋してるのよとか言い出してな?」

「それは誤解です。彼女の母国では武具に名前をつけるのが伝統で」

「ドイル、全部訂正してたら終わらんぞ」


 傍で聞いていて、僕は思わず肩をすくめた。


 この二人……仲が悪いように見えて、呼吸が合いすぎている。


「じゃ、こっちは回復術師。清楚そうな顔してるけど、恋愛相談に乗るついでに毒の調合もしてくれる万能タイプ。ちなみに元・教会関係だ」

「その方は王国の神聖治癒協会に籍を置いていました。毒の調合は薬草学の副修であり、恋愛相談はたまたま依頼主が悩んでいただけで」

「お前、隣で情報端末でも握ってるのか?」

「私は、正しい情報でヴィクター様に安心していただくのが仕事です!」


 ドイルは背筋を正し、真剣な顔で言い切った。ジェイはめんどくさそうに頭をかく。


「……なあ、ヴィクター。これ、何の罰ゲームだ?」

「いや、むしろ助かっている。偏った情報と補足が同時に届く」


 ジェイが皮肉を投げれば、ドイルが真面目に返し、ジェイが辟易して茶化しながら進める。


 見ていて、昔の戦場を思い出した。


 ジェイが戦場の読みをし、ドイルが補給と情報整理を担う。


 戦闘中でさえ、あいつらはこうやって口喧嘩じみたやりとりを続けていた。


 それが、どこか安心感を生んでいた。


「この斥候は、見た目は普通だが、三度逃げ出した雇い主を探して取り戻してきた実績あり。忠義の化け物って噂だ」

「噂ではなく、実際の依頼報告書に記録が残っております。なお、追跡中に何匹か魔物を倒して戻ったことも……」

「うん。まあ、最後の奴だけはマジで使えると思うぞ」


 ようやく紹介が終わると、ジェイは一歩下がって煙草を口にくわえた。


「ふぅ。傭兵の選定と説明で一番疲れるとはな」

「でしたら、最初から正確な情報を整理しておけば」

「だからそれが面倒なんだよ!」


 ジェイが叫び、ドイルが眉間に皺を寄せる。


 ……見事な漫才だな、まったく。


「ふたりとも。仲良くやれ」


 僕がそう言うと、二人とも同時に口をつぐんだ。


 しばらくの沈黙のあと、ジェイが不意に笑う。


「まぁいい。あんたが言うなら、俺は戦場で結果を出す。口喧嘩も作戦のうちさ」

「私は、その作戦に巻き込まれるつもりはありませんが……ですが、全力を尽くす所存です」


 二人の言葉に、僕も静かに頷いた。


 これで、前線に立つ準備は整った。


 剣を持つ者も、戦略を支える者も、癖の強い傭兵たちも、すべて揃った。


 あとは、魔物を襲撃するだけだ。


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