翌日、曇天の下、傭兵宿の中庭は、異様な熱気に包まれていた。
十数人の傭兵たちが武器を担ぎ、野営用の装備をまとめ、地図を囲んで口々に喚き合っている。
彼らは金の匂いに敏感で、腕に覚えがあり、死と隣り合わせの仕事を生き甲斐にしている連中ばかりだ。
「……まさか、このアースレイン家の坊ちゃんが前線に出るとはな」
低く唸ったのは、斧を背負った筋骨隆々の男。片目に傷を持つその男は、仲間内でも古参の部類らしい。
「名家の名を看板にして、戦場に出てきたとでも? 俺たちは慈善団体じゃねぇぞ」
「その通りだ。だが俺は、金も命も払う覚悟で来た。前線に立つことも、覚悟の上だ」
僕は答えた。視線は鋭く、背筋を伸ばしたまま。
威圧する気などない。ただ、軽んじられるわけにはいかなかった。
この男たちは、実力と実績でしか人を測らない。
アースレイン家の名前で集まったとしても、それだけではこの集団の中で信用など得られない。
「お前らが命を張って稼ぐ世界だ。口だけの坊ちゃんが紛れ込めば、それだけで死に繋がる。俺はそれを知っている」
静かに剣の柄を叩く。腰に下げた《冥哭》の黒刃が、小さく鈍い音を立てた。
その音に、一部の傭兵が目を細める。侮れないと判断したようだ。
ジェイがその場に歩み出る。足取りは軽く、だが視線は鋭い。
「集まったな。じゃあ始めようか、大規模魔物討伐作戦の準備を」
ジェイは手元の地図を広げ、手早く概要を口にした。
「目標は、王都南部にある獣魔の群生地帯だ。ここ数ヶ月、討伐依頼が相次いでいたが、被害が拡大し、完全掃討の必要が出た。しかも今回は、群れの中に魔喰獣が確認されてる」
魔喰獣。魔力を吸収し、増幅して仲間に伝播させる凶悪な獣魔。
放置すれば、周囲の魔物の強化を引き起こし、下手をすれば、都市への襲撃にまで繋がる。
「王国軍も一部支援を出すが、今回はあくまで実地検証という建前。前衛は俺たち傭兵部隊が担う」
ジェイは淡々と語りながら、各部隊の構成、進軍ルート、補給地点、そして撤退時の退路までを提示した。
完璧だった。
……未来で彼が軍師と呼ばれる所以は、ここにある。
誰よりも冷静で、誰よりも戦場を損耗として捉えられる理性。
「そして、アースレイン坊ちゃん。ヴィクターは、前衛A班の特別指揮官として俺が配置した」
場がざわめく。
「戦う気があるなら、それを証明してみろ。部隊の士気を引き上げてくれると助かるな」
「……ああ、わかってる。僕が先陣を切る」
言い切った瞬間、場の空気がわずかに変わった。
この世界では、剣を振って言葉を証明しなければ、信用は得られない。
だがそれでいい。
僕はアースレイン家の当主になる者としてではなく、一人の戦士として、真実を知る者として、この戦に臨む。
魔物が目的ではない。
僕が見たいのは、ジェイがなぜ僕を裏切るに至ったか、その片鱗。
戦場は、本質を暴く。
偽りのない言葉と行動だけが、生と死の間で浮かび上がるからだ。
だからこそ、僕はそこに立つ。
アースレインの剣として。仲間だった男の真意に迫るために。
傭兵宿の裏庭。
朝靄の立ち込める中、木製の訓練台が組まれ、その前に傭兵たちが整列していた。
重装の戦士、弓の名手、回復術師、爆裂魔術を使う小柄な少女、戦槌を肩に担いだ巨漢。
性格も戦闘スタイルもばらばらだが、一目でわかる。どの者も戦場の空気を知っている。
「じゃ、紹介していくとしようか」
ジェイが足を組み、手帳を片手に立ち上がる。
ドイルはその隣に立ち、筆記用具をきっちり揃えている。傭兵会議の進行補佐をしている文官のような雰囲気だった。
「まずはこの短剣使い。人を殺した回数より、朝食の回数の方が少ないって噂の奴だ」
「それは違います! 記録では依頼の回数が百を超えているとありますが、人殺しの常習者という証拠はどこにも」
「ま、どっちにしろ凶悪な面構えだろ? 次いこう」
ドイルの真面目な指摘をすっぱり切り捨てて、ジェイは次の傭兵を指さす。
「こっちは斧使いの女戦士。喧嘩っ早いのはお国柄でな。酔っ払うと斧に名前をつけて語りかけるタイプだ。こないだなんか私の斧が恋してるのよとか言い出してな?」
「それは誤解です。彼女の母国では武具に名前をつけるのが伝統で」
「ドイル、全部訂正してたら終わらんぞ」
傍で聞いていて、僕は思わず肩をすくめた。
この二人……仲が悪いように見えて、呼吸が合いすぎている。
「じゃ、こっちは回復術師。清楚そうな顔してるけど、恋愛相談に乗るついでに毒の調合もしてくれる万能タイプ。ちなみに元・教会関係だ」
「その方は王国の神聖治癒協会に籍を置いていました。毒の調合は薬草学の副修であり、恋愛相談はたまたま依頼主が悩んでいただけで」
「お前、隣で情報端末でも握ってるのか?」
「私は、正しい情報でヴィクター様に安心していただくのが仕事です!」
ドイルは背筋を正し、真剣な顔で言い切った。ジェイはめんどくさそうに頭をかく。
「……なあ、ヴィクター。これ、何の罰ゲームだ?」
「いや、むしろ助かっている。偏った情報と補足が同時に届く」
ジェイが皮肉を投げれば、ドイルが真面目に返し、ジェイが辟易して茶化しながら進める。
見ていて、昔の戦場を思い出した。
ジェイが戦場の読みをし、ドイルが補給と情報整理を担う。
戦闘中でさえ、あいつらはこうやって口喧嘩じみたやりとりを続けていた。
それが、どこか安心感を生んでいた。
「この斥候は、見た目は普通だが、三度逃げ出した雇い主を探して取り戻してきた実績あり。忠義の化け物って噂だ」
「噂ではなく、実際の依頼報告書に記録が残っております。なお、追跡中に何匹か魔物を倒して戻ったことも……」
「うん。まあ、最後の奴だけはマジで使えると思うぞ」
ようやく紹介が終わると、ジェイは一歩下がって煙草を口にくわえた。
「ふぅ。傭兵の選定と説明で一番疲れるとはな」
「でしたら、最初から正確な情報を整理しておけば」
「だからそれが面倒なんだよ!」
ジェイが叫び、ドイルが眉間に皺を寄せる。
……見事な漫才だな、まったく。
「ふたりとも。仲良くやれ」
僕がそう言うと、二人とも同時に口をつぐんだ。
しばらくの沈黙のあと、ジェイが不意に笑う。
「まぁいい。あんたが言うなら、俺は戦場で結果を出す。口喧嘩も作戦のうちさ」
「私は、その作戦に巻き込まれるつもりはありませんが……ですが、全力を尽くす所存です」
二人の言葉に、僕も静かに頷いた。
これで、前線に立つ準備は整った。
剣を持つ者も、戦略を支える者も、癖の強い傭兵たちも、すべて揃った。
あとは、魔物を襲撃するだけだ。