王都から南へ三日、幾度かの川を越え、丘陵を抜けた先に魔物の森と呼ばれる鬱蒼とした樹海が広がっていた。
古くから、森の奥は魔力の流れが乱れやすく、凶暴な獣魔が定期的に発生する地として知られていた。だが、ここ数ヶ月の異常は、以前とは比べものにならなかった。
森の外縁にまで、魔力に呑まれた生物が進出し、すでに数十の村が避難を余儀なくされている。
獣魔と呼ばれるそれらは、通常の魔物に比べ、凶暴で、群れる性質が強い。しかも、今回は中心部に魔喰獣と呼ばれる特異個体が存在していると報告されていた。
魔力を喰らい、仲間に還元し、進化させる。群れの頂点に立つそれがいる限り、獣魔は増え続ける。
その討伐のために、王国は、貴族、騎士団、傭兵連合に広域掃討許可を発令した。
これは名目こそ防衛だったが、実態は王都からの見せしめに近い魔物狩りであり、利益の匂いに誘われて、多くの勢力が集まりつつあった。
王国軍の正規部隊は最小限。
現地で指揮を執るのは地方貴族と傭兵団。商会や民間治癒師団も含めて、参加者の数は三百を超えていた。
獣魔の素材、骨、爪、魔石、皮革、それらはすべて金になる。
大義より、儲け。正義より、勝機。
そんな者たちが、この討伐作戦に乗じて、まるで狩猟祭のように集っていた。
「……やはり、こうなるか」
集結地となった丘の上。僕は馬の鞍上からその光景を見下ろしていた。
剣を磨く者。酒を呷る者。荷を積む商人。臨時の露店すら開かれており、戦の直前とは思えぬ空気が漂っていた。
その中に、堂々と王都貴族の紋章を掲げた小隊すらある。
「下級貴族まで来てるのか……本気で稼ぐ気だな」
リュシアが隣で鼻を鳴らす。
「アハっ、馬車にまで武器と保存用結界を積んでるわね。あれ完全に素材の略奪が目的ね。正面から戦う気なんてゼロよ」
「まぁ、俺たちの目的とは別方向ってことだな」
ジェイが口を挟む。彼はすでに戦闘準備を整えており、ドイルと共に前線部隊との調整を進めていた。
僕たちの隊はジェイが組んだ傭兵連合小隊は、三十名強。
その全員が正面突破を目的にしている。
獣魔の群れに向かっての進軍が予定されていた。
それとは別に、十を超える小隊が各地に散開。牽制、補給、輸送、防衛。名ばかりの指揮官たちがそれぞれの勝手な判断で布陣を決めている。
「……統制が取れていないな」
「ま、最初からバラバラな連中を束ねるなんて無理だろ。目的が利益になってる時点でな」
ジェイは薄く笑いながら、地図に線を引いている。
ドイルが補足するように口を開いた。
「情報によると、昨日の夕刻に森の外縁で斥候が魔力の異常を観測しました。おそらく魔喰獣の根城は、森の中央、瘴気の泉付近と見られています」
瘴気の泉、かつて精霊の祠があった場所。
そこは、数十年前に地脈の傷が開いたとされる聖域崩壊の痕跡。精霊の庇護が失われ、呪いの泉と化したその場所に、今回の核が巣くっているという。
「それでどうする? あんたが大将だ、ヴィクター」
ジェイが顔を上げる。
こちらを見ているのは一人ではなかった。剣を携えた傭兵たち。弓を引き絞る遊撃兵。呪符を束ねる呪術士。
戦場で名を上げるため。素材を得るため。功績を刻むため。
その全員が、僕の一言を待っていた。
ならば、役目はただ一つ。迷いなく、正面を見据えて言葉を放つ。
「目標は、森の中央瘴気の泉。そこを制圧し、魔喰獣を討つ。精霊とやらがいるのか知らないが、聖域の安定を取り戻してやろうじゃないか。命を惜しむ者は下がってくれ。だが僕は、前に出る。全力でこの戦いを終わらせるために」
静寂のあと……いくつかの武器が打ち鳴らされ、短い歓声が巻き起こった。
ジェイが頷く。
「戦う理由はそれぞれでも、命は本物だ。いい指揮だ、大将」
リュシアがくすりと笑う。
「アハっ、やっぱりご主人様って、そういう時だけ本当に将軍っぽいのよね」
「ヴィクター様さすがです!!!」
ドイルが感動したように声を出す。
「ワオーン!」
エリザベスが僕の言葉に応じて、傭兵たちが声を上げる。
「「「「「うおおおおおおおーーーー!!!」」」」」
風が吹く。
魔物の森の中から、獣魔の雄叫びが微かに聞こえた。
遠くない。奴らは、すでにこちらの接近を察している。
戦端は、間もなく開かれる。
「いくぞ!」
後方をジェイとドイルに任せ、僕の左右をリュシアとエリザベスが固め、後ろから傭兵たちが突き進む。
「リュシア」
「アハっ! 何かしら?」
「精霊は存在するのか?」
「もちろんよ。魔族がいるのに、精霊がいないなんてあり得ないでしょ」
やはりそうなのだろう。
僕は、ジェイに出会う前。この大規模討伐作戦には参加していなかった。
だが、ジェイは参加しており、もしもそこで精霊と邂逅していれば、何かしらの人生の分岐点を迎えていたのかもしれない。
未来で僕が出会った時のジェイは、すでに名の売れた傭兵隊の団長をしていた。
この作戦で何か起きるはずだ。
「ならば、確かめにいくとしよう」
「アハっ! 楽しみね」
僕はジェイという人物を見極めるために、この戦いの中に何があるのか……。