《side:ジェイ》
子供の頃、俺には両親なんて助けてくれる奴らはいなかった。
物心ついた頃から、生きることだけを考えて人の顔色を伺い、盗みを働き、生きてきた。
焚き火の揺れる光が、獣魔の血で濡れた地面を照らしていた。
戦の喧騒が遠ざかるなか、俺はふと、森の匂いを懐かしく思い出していた。
この森に、初めて来たのは十年前。
まだ、小汚い身なりで傭兵団の飯炊きとして追い回されていたガキだった頃の話だ。
生きるために、俺は傭兵団に紛れ込んだ。
いつまでも貧民街にいても生きていけるとは限らない。
なら、危険でも稼げて、強くなれる場所を選んだ。
そして、傭兵団が魔物討伐で訪れた森。
そこで物陰に潜んで飯をかすめ取るのが精一杯だった。剣も振れなきゃ、魔法も使えず、戦場の掃き溜めみたいな存在。
生きていくためにはなんでもした。
「おい、ジェイ。魔物の偵察をしてこい」
「はい」
命令されて、何人かの偵察隊に紛れて森に入った。
……そして、森の中で迷った。
隊列から外れて、偵察部隊の荷運びさせられてたら、戻れなくなった。
陽も落ちて、森の瘴気が濃くなり、いくつかの魔物の影が蠢いていた。
震えながら、岩陰にうずくまって、死を待つしかなかった。
そのときだ。声がした。
「……たすけて、ください……」
それは、ひどく静かな声だった。女の声にも聞こえたし、風の音のようにも思えた。でも、確かに耳の奥に響いた。
「……この森は、もう汚れていくばかり……でも、あなたは、まだ……」
暗闇の中、何かがいた。
いや、いたのかどうかもわからない。
人間のような形をしていたが、透き通っていて、見ようとすると焦点がずれる。
ただ、目だけはよく見えた。あれは、光のない瞳だった。
「たすけて……森を、わたしを……」
「……俺に何ができる?」
言葉は出ていた。怖かった。でも、それ以上に疑問だった。
生きるのに必死で、戦う力もなく、毎日蹴られていた俺に何ができるってんだ。
問いかけた俺に、その存在は微笑んだような気がした。
「……なら、あげる……あなたの持つ疑問のかわりに……わたしの力を」
「力?」
「うん。あなたに力をあげる。だからいつか私を助けて」
次の瞬間、何かが胸の奥に流れ込んできた。
熱くて、冷たくて、苦しくて……でも、満たされた。
気がついたら、翌朝だった。
周囲には魔物の死骸が転がっていて、俺は血まみれのまま、意識を取り戻した。
その日から、俺は変わった。
剣が使えたわけじゃない。
でも、頭が冴えるようになった。
一手先が見えるようになった。二手、三手先の展開が浮かぶようになった。
どうすれば人を動かせるか。どうすれば戦場で生き延びられるか。
その日を境に、俺は生きるための計算を始めた。
あれは、夢だったのか。幻だったのか。
……いや、そうじゃない。
今、この森で再び戦場に立ち、過去と同じ霧と瘴気を感じながら思う。
あれは、確かに存在していた。
そして、俺に力を与えた。
「……あのときから、ずっと俺は力にとらわれたままだ」
けれど今、俺は力だけじゃなく、兵を手に入れた。
そして、俺以上に武力を持つヴィクターを手に入れた。
あの声の存在を救うことができる。
ヴィクターは剣を振るい部隊を率いていく。
俺の配置した戦術に奴が応えるように動いているのを見える。
驚きの結果だ。
いくら、戦術を支えても、想像通りにできるやつなんていなかった。
ヴィクターはこちらの意図を理解して、動き続けていた。
こんなやつがいるのか? 俺が頭で考えて、あいつが動けば俺たちは最強だ。
「ヴィクター。ポイントAとポイントBに魔物が出現する。どうする?」
「考えがあるのだろう」
「おう、Aにはヴィクターとその犬っころで突っ込んでくれ。Bは数が多いから、他の傭兵で抑える。出来るか?」
「問題ないな」
問題ないはずがない。俺なら絶対に断る。
だが、背中に身震いを覚える。こいつなら絶対に成し遂げるだろう。
だからこそ、もう一つの可能性が頭をよぎる。
合理の外に、信頼や希望があってもいいんじゃないかって……そんな非効率を信じる奴が、隣にいてもいいんじゃないかって。
こいつとなら、どこまでも行けるような気がする。
「……さて、次の布石を打つか」
俺は再び地図を広げ、風に揺れる焚き火の灯の下、次なる一手を描き始めた。
「おい、ヴィクター様に負担をかけすぎじゃないか?」
ヴィクターが立ち去った後に、いつも小言をいうドイル。
「うるさいなぁ〜。あいつは出来るって言ったんだ問題ないだろ?」
「ヴィクター様を疲弊させて、危険に晒しているんじゃないだろうな?」
「はぁ? なんで俺がそんなことしなくちゃいけないんだ?」
「貴様の戦術が優れているのは理解できる。だが、あまりに攻めすぎではないのか?」
こいつはヴィクターを大切にしているから、俺に反抗している。
それはわかる。何よりもこいつの事務処理能力は高い。
「なぁ、お前は自分の主人を馬鹿にしているのか?」
「なっ!」
「お前の主人は、この程度も乗り越えられない人物なのか?」
「ぐっ?!」
「信じろよ。お前の主人は化け物だ」
俺だって驚いているんだ。戦術を理解して、そんな戦術を超えた力を発揮してくるヴィクターの強さに。