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第88話

《side:ジェイ》


 焚き火の灯が、ゆっくりと揺れていた。


 火を囲むように傭兵たちが集まり、皮を剥いた獣魔の素材を手際よく分類している。骨、爪、牙、魔石、瘴気の染みた黒い皮革。


 全てが買取対象であり、買取値を高くするために血抜きを事前に行なって解体をしておけば、値段を高くできる。


 価値の高い部位には商人の印が付けられ、明朝には金に替わる予定だ。


 商人たちも今回の大規模討伐作戦には金が動くことを理解している。


 森の外に臨時買取所を設置して、こちらが解体した物を買い取ってはすぐに各街へ輸送させる。


 金貨は傭兵ギルドの臨時受付に預けておけば、ギルドカードでいつでも引き出すことができる。


 戦果は上々。いや、それどころか予想以上の大成功だった。


 原因は一つ、ヴィクター・アースレイン。


 俺はどこかでアースレイン家という上位貴族の力を侮っていた。


 お坊ちゃんとしてヌクヌクとぬるま湯で育ったのだろうと……。


 だが、奴は飢えた獣のような存在だ。


 剣の腕はもちろん、俺の布陣や罠をほとんど説明なしに理解して、自分の動きを最適化する。


 戦場にいるからこそ生きる能力を持っている。あいつと俺は戦場の読みを共有しているかのようだった。


「……本当に、完璧に近い」


 戦術の駒じゃない。駒じゃないどころか、俺の一手を読んでさらに上を行く。


 指揮官と軍師という枠すら超えてる。互いに予測を擦り合わせずとも噛み合うこの感覚。こいつとなら、軍一つ動かせる。


 あいつが将軍や大将になって、軍を率いる。


 それを俺が軍師として戦術を組み立てれば、この王国すら取れるんじゃないか?


 何よりも、今の勢いが続けば、森の奥、瘴気の泉、そのさらに先にある。


 精霊の祠跡に、必ず辿り着ける。


 そう確信していた。


「……ジェイ」


 低く落ち着いた声が焚き火越しに届く。


 ヴィクターが俺と向き合うように座っていた。


 背筋は真っ直ぐとして、目は冷静で鋭く俺を見据えていた。だが、火に照らされた横顔には、どこか遠くを見るような影もある。


 何を考えているのか読めない。


 相手の感情を読み、思考を先取ることが得意な俺がヴィクターだけは判断できない。


「なんだよ、ヴィクター」

「どうして……そこまで精霊にこだわるんだ?」

「……精霊か?」


 一瞬、言葉に詰まった。


 だが、あえて目を逸らさずに答える。


「ハァ〜誰にも話したことはないことだぞ」

「ああ、聞かせてくれ」

「……十年前、この森で死にかけたことがあるんだ」


 傭兵団に飯炊きとして連れて来られて、森に置き去りにされた夜の話。


 あの時、霧の中に現れた存在。透明な身体、焦点の合わない輪郭。だが、目だけは人の目じゃなかった。


「助けてください」と言われた。

「力をあげるから」と囁かれた。


 ヴィクターと話す時の俺はいつもの自分とは違うように思えた。話をしていて楽しい。こいつの信頼は裏切りたくない。


 どこまでもこいつと上り詰めたい。そんな思いが強くなっていた。


「そん時、俺は、何もできねえくせに『俺に何ができる』って聞き返したんだ」


 ヴィクターは黙って火を見つめていた。


「そしたら、あいつは微笑んだように見えた。で、気づいたら力が流れ込んできたんだ。剣じゃない。魔法でもない。ただ、頭が冴えるようになった」

「頭が冴える? 代償は……なかったのか?」


 静かな声だった。感情は抑えていたが、探るような響きがあった。俺は首を振る。


「何もない。約束だけだ」

「約束?」


 力をくれたあの存在に対して「いつか助けてくれ」って言われた。それだけ。


「変だろ? それだけなのに、俺はずっと引っかかってんだ。十年も放置しているから今更ってのはある。だけど、気になってやっと俺は力を手に入れた」


 あの時、あれが何だったのか。何者だったのか。未だにわからない。


 だが、ただ一つ、言えることがある。


「生かされたなら、借りは返す。合理的じゃねえかもしれねえけど……ずっと、あれを見捨てたくなかった。もしも、それが代償なら、代償はあるのかもな」


 俺は火を見つめた。揺れる炎の向こうに、あの夜の森の景色が重なる気がした。


 ヴィクターは黙って頷いた。


「お前が……そう言うなら、それでいい」


 否定もしない。追及もしない。ただ、信じてくれていた。


 やっぱり、こいつは変わってる。


 どこまでも理知的で、どこまでも真っすぐな剣。


 信頼という非合理を、俺が選んでも構わないと思える男だった。


「明日、森の中心部を突破する。瘴気が濃い場所に出る。だがその先に、祠がある。精霊の痕跡が、絶対にある」

「なら行こう。お前が信じた場所に、僕も連れて行ってやる」


 ヴィクターの言葉に、俺は思わず笑った。


「自信満々だな……だけど、お前ならやりそうだよ、大将。俺の戦術についてこいよ」

「お前の戦術は戦いやすい。傭兵たちが僕の手足のように動く」

「はは、そうかよ」


 焚き火がパチンと弾けた。


 夜はまだ深く、森は静かだった。


 だが確かに、俺たちは歩き出していた。


 十年前に置き去りにした、あの声に応えるためにヴィクターとなら辿り着ける。


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