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第89話

《side:ヴィクター》


 焚き火の灯が消えかける頃、僕は眠ることなく地図を見つめていた。


 ジェイの語った過去が、頭から離れなかった。


 十年前、この森で精霊のような存在と出会い、力を授かったという話。合理主義者の彼から出るには、あまりにも夢物語に思えた。


 未来では、同じ話を聞いていない。この戦いに参加すらしていないのだ。ジェイも語る必要などなかったのかもしれない。


 だが、ジェイの言葉はどこか願いに近いように思えた。


 何かを信じている。


「……不思議なものだな」


 闇の中、誰にも届かないように呟く。


 ジェイは僕が知る限り、最も冷静で現実的な人間だった。


 夢や信念より、結果と構造を重視する男。そんな彼が姿も見えない声だけの存在を助けたいなどという非効率な言葉を口にした。


 その事実が、僕の胸を静かに揺らしていた。


「アハっ! ご主人様は、何が気になるの?」

「精霊の存在だろうな。精霊の祠に現れる、姿の見えない声。ジェイには精霊が関係している」

「そうね。私もそう思うわ。しかも、この森全体に影響を与えるような大精霊ね」

「そこまでか?」

「ええ。だけど、それがどんな存在なのかは不明ね。北の大地にいる危険な魔物以上かもしれないわね」


 僕はリュシアの言葉を聞きながら、焚き火を地図を見つめていた。


 そして翌朝、曇天の下。


 傭兵たちは準備を終え、魔物の森の中心、瘴気の泉を目指して動き出した。


 木々の葉は黒ずみ、空気は湿って重い。森そのものが僕たちを拒んでいるような、そんな圧力を感じた。


「ジェイ。進行ルートの確認を」

「ああ、瘴気の拡散地点は地脈のひび割れと一致してる。中央の祠跡地が核だろうな。ここから東へ直進、その後南東に折れていく形になる」


 彼は言いながら、地図に簡潔な印をつけていく。迷いは一切ない。


 魔物出現位置なども、すでに地図にチェックがつけられて、今回の大規模魔物討伐作戦の目的である魔物の討伐と、瘴気の発生元を見つけることはできていた。


「敵は?」

「次の波が来るはずだ。昨日の戦闘で知能のある個体が指揮を取っていた可能性がある。今度は俺たちのルートを察知して妨害してくる」


 獣魔だけでなく、上位魔物が動き出すか……。


「つまり、敵は俺たちの位置を把握している?」

「正確には瘴気を通じて感知している。だから、瘴気が濃くなるほど敵は強くなる。逆に言えば、こちらの位置もわかる。戦うなら素早く、迷わず進むことだ」

「了解した」


 ジェイが考え、僕が実行する。この流れは、昨日から変わらず完璧に機能していた。


 獣魔の気配が森の奥から迫ってくる。


 四足の影、飛行する黒翼、木をすり抜ける霧のような魔物。


 それぞれが、瘴気に汚染され、かつてあった理性や獣性とは別のものに変質している。


「……来る」


 僕は剣を抜いた。《冥哭》の黒い刀身が森の光を飲み込むように鈍く光った。


「僕に続け!!!」

「傭兵部隊、布陣を!」


 僕の開戦の合図にドイルの指示が響く。傭兵たちが手慣れた動きで陣を整える。リュシアが前線に立ち、弓を番えた。


「ジェイ!」

「正面を抑えてくれたらいい。森の北側に崖地がある。そこに追い込めば足場を制限できる。飛行種も上昇しきれず落とせる。弓部隊。魔法部隊を配置している」

「やってみせよう」


 僕は指示通り、前線に出た。剣を構え、魔物の群れと対峙する。


 獣魔の一体が吠えた。続いて飛びかかってくる。


 その牙を無効化し、切り払う。


 力が、変わってきている。


 僕の無効化は、もはや単なる無属性の消去ではない。霧のように流れる敵の瘴気すら、身体を通すことで薄まっていく。


 五段階に上りつけたことを感じる。


 魔物たちを倒して、その魔力を吸収した。取り出された魔石も何個も体に取り込み。器を広げることにも成功した。


 経験と魔素は十分に満たしていた。


「このまま押し通す!」


 剣を振り抜くたびに、敵の戦列が裂ける。背後でジェイの指示が飛び、傭兵たちの連携が途切れることなく続く。


 己の力を振るうのが楽しい。


 軍を率いる。個の集合ではない。ジェイの指示が飛んで戦術と統率を備えた、ひとつの意志として動いている。


「……これが、ヴィクター・アースレインとジェイの軍なのね」


 リュシアの声が背後で聞こえた。


 血と泥と煙の匂いが、風に流れる。


 やがて、魔物が一度引いた。


 瘴気の泉の外郭まで進軍を完了する。


 だが、気は抜けない。


 ジェイが言っていた。


 この泉の奥には、声がある。


 それが、リュシアがいうような魔族や精霊の類なら油断してはいけない。かつてジェイが出会った存在は善か悪か……。


「……お前の見たものに、僕も触れる機会があるのなら、お前の真実に近づけるのかもしれないな」

「行こうぜ、ヴィクター。俺はまだ、あの時の借りを返しちゃいねぇ」

「ヴィクター様が率いる軍に隙などありません!」

「アハっ! ご主人様の戦いって見ていてゾクゾクしていいわね」


 僕の言葉にジェイ、ドイル、リュシアが答える。 


 僕は傭兵団の先頭を走りながらやがてその先に、言葉では語れない何かがあると信じて、ジェイの真実を追い求める。


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