《side:ヴィクター》
精霊が力を取り戻して、森の瘴気が完全に晴れた。陽の光が地を照らしたとき、討伐作戦は終わりを迎えて解散が言い渡される。
長い戦いだった。
数百の傭兵たち、下級貴族の私兵、商人や傭兵ギルド……多くの命と叫びと決断が交錯し、僕らはこの森を取り戻した。
そして今、瘴気の泉を中心に設営された臨時野営地は、解散前の喧騒と活気に包まれていた。
「おい、こっちは獣魔の上顎骨! 傷つけるなよ、魔石より高く売れる!」
「ヒール班は西区の負傷者を先に診てくれ! 重傷者が混じってる!」
喧騒の中、僕は焚き火を囲む傭兵たちの輪にいた。
戦いのあとの夜。
肉が焼かれ、獣魔の血抜きが終わった皮革が乾かされていく。焚き火の煙が空へと昇るなか、戦士たちの笑い声と罵声が交じり合っていた。
「坊ちゃん、まさか本当に正面から魔喰獣を斬るとはな……」
「お前みたいな貴族が現れるとは思わなかったぜ」
「また一緒にやろうぜ。次はもっとデカい奴狩るんだろ?」
どの言葉も、熱と誠意を含んでいた。
最初は僕のことを、ただの名ばかり指揮官と見ていた連中も、今では戦友として言葉をかけてくる。
そこには忖度も上下もなく、同じ地に血を流した者同士の敬意があった。
「感謝する。お前たちがいたから、ここまで来られた」
剣の柄に手を添えながら、僕は深く一礼した。感情が動いたわけじゃない。これは戦場を共にした者たちへの礼儀だ。
「上位貴族を誤解してたよ。あんたのためならまた命をかけてもいいぞ」
「私も!」
「ふん、傭兵なんだ。金さえ積まれれば協力してやるよ」
一つ、また一つと荷をまとめて背負い、別れを告げる傭兵が増えていく。誰かが歌を口ずさみ、誰かがそれに乗せて踊った。
生き延びた者たちは懐に分厚い金貨の袋を手にして、その輪から少し離れた場所で、僕はジェイの姿を見つけた。
ジェイは地図と報告書を束ね、物資管理の記録に目を通している。あいかわらず、戦が終わっても働き詰めの軍師だ。
こいつは目立たない場所でも有能な仕事を行ってくれている。
「……休んでもいい頃だ」
「おう。だが、後回しにしたら誰かが困る。だったら先にやっとくよ。こういうのも俺の仕事だ」
ジェイはそう言って、焚き火の明かりで文字を追い続ける。
「……今回の作戦で、ジェイの名前は王国に響くぞ。傭兵団を立ち上げるには十分な実績だな」
「ああ、だろうな。だから起こすよ、正式に。俺が団長になって、人を集めて、次の戦場を探す」
その瞳にはもう迷いがなかった。かつて森に迷い、精霊に出会った少年は、今や軍を束ねる統率者になっていた。
精霊の森を救ったこと、そして精霊の主になったことで自信がついたようだ。
「お前は?」
「学園に戻る。まだ卒業していないし、王都でやるべきこともある。アースレイン家の当主を目指す」
「……そうか。じゃあ、これでしばらくは別行動だな」
ジェイが視線を上げる。
「しばらく?」
「おう! またどこかで肩を並べるだろう。ヴィクター、俺はお前を気に入った。お前ならいつかデカいことをする。その時にいつでも俺を呼べよ。お前のためなら駆けつけてやるよ」
あの合理的で、僕を断罪するために計画を練ったジェイの未来とは全く違う顔がそこにはあった。
「戦友じゃなく、同志としてな。お前の剣と俺の頭があれば最強だ」
ジャイは楽しそうに笑った。
手を差し出すジェイ。その手を握る。
戦場では言葉よりも、交わした手の方が記憶に残る。
「ジェイ、お前に聞きたいことがある」
「なんだ?」
「もしも、僕を断罪するような未来があるとしたら、お前はどうする?」
「……なんだその質問? そうだな。その時はヴィクターが相当に悪人か、いや悪人でも俺は味方するから違うか? どうしようもないほどにそれが必要なことだったんじゃねぇか?」
ジェイの質問に、僕は自分でも驚いていた。
それは僕もジェイに抱いていた印象と同じだった。
「そうか、ジェイは変わらないな」
「当たり前だろ。そろそろいくぞ」
「ああ」
僕はリュシアとドイル、それにエリザベスが待つ野営地へ戻った。
「ヴィクター様! 報酬の分配と、戦果登録、すべて完了いたしました! アースレイン家の威信は、これで王都でも確実に……!」
「ご苦労だった、ドイル。副官として申し分ない働きだったな」
「こっ……光栄です!!」
顔を真っ赤にして敬礼する。リュシアは僕の肩に寄りかかるようにして笑う。
「アハっ、でもご主人様って不思議ね。あのジェイとこんなにも噛み合うなんて……心は動いたのかしら?」
「真実は不明のままだ」
僕は遠く、森の奥を見つめた。祠の光はまだかすかに灯っている。ジェイが選び、僕が託した森の未来。
その答えが正しかったかは、これからの世界が示すだろう。
だけど、それが真実に繋がることなのかは不明のままだ。
「学園に戻ったら、今度こそ卒業して、王都での計画を進める。俺たちには、まだやるべきことがある」
僕は馬に乗る。リュシアとエリザベスが横に並び、ドイルが手綱を握る。
そして、森の外で一度だけ振り返った。
過去と未来が交わったあの場所。
そして、再び交わることになるその運命に、僕は静かに誓いを立てる。
「……また会うことになるか? 僕とジェイは」
馬を進める。今は、それぞれの道を歩むときだ。目的が重なれば、また並び立つその日もあるだろう。