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第97話

 卒業式の翌朝。


 僕は早々に学園を離れる。


 アースレイン領へ帰還する。


 その前に、やらねばならないことが三つあった。


 一つは、エリスとフレミアに別れを告げる。

 二つ目は、マーベの研究所に赴き、彼女の今を確かめること。

 三つ目は、己の決意を改めて固めることだった。


 広場の噴水前。まだ朝露が残る時間に、エリスとフレミアは姿を見せた。


「……やっぱり、もう行くんですね」


 そう言ったのはエリスだった。


 整えられた制服の襟元を直しながら、微笑を浮かべる。


 昨日のドレスとは違う。最後の制服姿になるのだ。


「アースレイン家の次期当主だもの。あなたには守るべき家がある」


 フレミアもその隣で微笑みを浮かべていたが、その声音にはわずかな寂しさがあった。


「僕にはやらなくちゃならないことがあるだけだ」


 エリスがそっと手を差し出してきた。


「ヴィクター様、お願いがあります」

「お願い?」

「私を……ヴィクター様専属の魔法使いとして雇っていただけませんか? 最後まで学園の魔導学を主席で卒業できました! アースレイン家は強さを重じると聞きます! 私をどうか連れていってください。ヴィクター様の傍で、もっと力になりたいです」

「エリス……」


 彼女の瞳には迷いはなかった。


「ふふ、いいんじゃないかしら? ヴィクター。エリスの実力は私も認めるわ。私も当主争いが始まる頃にはアースレイン領を訪れるつもりよ。その争いが終われば、正式に結婚ね」


 フレミアは冷静に、しかし確かな意志を込めて言った。僕が歩む先を見据えた、強い仲間の言葉だった。


「……わかった、エリス。お前を認める。ついてくるがいい」

「ありがとうございます!」

「フレミア、僕はアースレイン家の当主になる」

「ええ、楽しみね」


 僕らなりの別れではなく、次に再会するときの話をしている。


 その足で、僕はマーベの研究所へ向かった。


 例によって、扉は勝手に開き、蒸気と薬品の匂いが混ざった空気が飛び込んでくる。


「やっぱり来たのね」


 マーベはメガネを額に上げ、無造作に試験管を片付けながらこちらを向いた。


「次元境界の理論、もう少しで確信が取れそう。完成は……そうね、まだかかるわ」

「その頃には、僕は当主になっているだろう」


 僕が言うと、マーベは少しだけ微笑んだ。


「お願い。研究の国家的支援を頂戴! あなたの願いをなんでも叶えてあげる」


 マーベらしいパトロンへの願いだ。


 僕はしばらく黙ってから、頷いた。


「いいだろう。貴様の研究を支援してやる。アースレイン家の当主になるのを待っていろ」

「約束ね。破ったら、心臓一個くらい取るから」

「心臓は一個しかない」

「増やせるよ」

「いらん」


 マーベの言葉には変人な願いがあった。あの女は、誰よりも純粋に狂っている。


 研究以外に興味がないからこそ、恐ろしく、そして信用できる。


 その研究が、世界の構造そのものに関わるものであることを、僕は知っている。


 荷をまとめ、最後の荷車が出発する頃。


 僕は、学園を見上げた。


 この場所が、僕の始まりであり、分岐点でもあった。


 失ったものもあった。だが、それ以上に得たものがあった。


 レオやエリス、マーベにジェイの未来は見えなくても過去に関わった異変には気づけた。


 これから始まるのは、ただの領地の争いではない。


 僕は、アースレイン領に向かって馬車を出発させた。


「ヴィクター様、アースレイン家を旅立ってから早いものですね」


 ドイルが御者をしながら、思い出を語っている。アースレイン領への道中、馬車の中で揺られながら、僕は窓の外に流れる景色を眺めていた。


 草原が続き、やがて山並みの陰が遠くに見えてくる。


 未来から戻って生き残るために、力を得て、真実を知るために動いてきた。


 だが、六人のそれぞれに抱えていたものを見た。だが、僕は自分の戦いが正しかったのか……。その真実をまだ知らない。


「グレイス……」


 本来は、略奪するはずだった。未来ではグレイスは王族と結託し、アースレイン家だけでなく、世界を切り捨ててきた冷酷な面を持つ。


 彼に勝たなければ、僕のすべての努力は意味をなさない。


 だが、それだけでは終わらない。


 僕はアースレイン家の当主を目指すだけじゃない。


 アースレイン家の力を使って、王国と対等に渡り合う。


 この国に起きている「歪み」を見つけるために


 そのためにはジェイの力も必要になる。


 リュシアの忠告も、マーベの研究も、そのすべてが、世界の基盤を問うていた。


 そして僕も、そこに立たなければならない。


「……到着です、ヴィクター様」


 従者の声で我に返る。


 窓の外に見えたのは、アースレインの屋敷。懐かしいようで、どこか冷たい石造りの壁。かつての僕が閉じ込められていた、あの場所。


 だがもう、僕はあの少年ではない。


 馬車を降りて、重厚な門をくぐる。庭に立つ使用人たちが一斉に頭を下げた。


 その中には、僕をかつて無視していた者もいる。


 だが、今は誰もが僕を「当主候補」として見る。


「……おかえりなさいませ、ヴィクター様」


 玄関先にいた老執事が、深々と頭を下げた。


 僕は頷き、屋敷の中へと足を踏み入れた。


 ここから始まる。


 僕の、そしてアースレイン家の、新たな戦いが。



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