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第104話

《side:グレイス・アースレイン》


 夜の帳が落ち、王都の空に星が滲む頃。


 私は静かに、西塔の地下通路を進んでいた。


 冷気に満ちた石造りの廊下、その先には誰も立ち入らぬ「灰室」がある。


 私の秘密、兵力灰の従僕たちが眠る場所だ。


「グレイス様、お待ちしておりました」


 迎えるのは、ラミル。淡々と頭を垂れるその仕草にも、緊張の色が混じっていた。


「報告を」

「ヴィクターが第五王子と接触しました。傭兵のジェイ、聖女フレミアと人員を増やしております。さらにはオーランドを取り込んだようです。急速に勢力を広げています」

「……ふむ」


 私は沈思しながら壁に掛けられた地図へと視線を向けた。


 王都を中心に線を結び、貴族の領地、兵舎、民会所を抑える自陣の拠点。だがその一角に、火種のような赤い印が灯っている。


 それがヴィクターの動きだ。


「策略の影がある男ジェイか……そして、王子まで手中に収めたか」


 不快なほどに順調であり、私が考えた布石通りだ。


 焦りはない。


 なぜなら、私の元にも、すでに手駒が集まり始めているからだ。


「ラミル。例の灰の従僕は?」

「三体、制御可能です。うち一体は旧王家直属の暗殺命令にも応じた存在……脳の中枢を再調整済みです」

「使うぞ。まずはオーランドを始末しろ。そしてジェイの部隊を攪乱する。ヴィクターの情報戦を根から断つ」

「御意」


 灰色の布をまとった従僕が、まるで霧のように地下を滑っていった。


 それを見送り、私は静かに言葉を落とした。


「王政もこちらに傾きつつある。王宮内の貴族派のうち四割が私に忠誠を表明した。そろそろ新たな王を擁立するべき時だな」


 すでに、三王子は私の陣営に立っている。貴族軍閥も軍制改革の名の下に私の指揮下にある。


 ラミルが一礼して問う。


「それを、呼び戻しますか?」

「……ああ。あの男ならば、裏切らぬ限りは使える」


 私は顎に指を添えて思案する。


「黒の盾ユリウス。あれを呼べ。グレイガル辺境で魔物討伐をしているはずだ。戻ってこいと伝えろ。ヴィクターの剣に対抗できる、私の対の剣として」

「承知しました」


 ラミルが去った後、私は机の奥から一枚の古文書を取り出した。古王朝時代に記された、「王家の始祖」と「調律の儀」に関する禁文だ。


 かつて、王家は神との契約を結んだ。力を得る代償に、血を清め続けねばならなかった。


 その呪いが、今なお続いているとしたら。


「ヴィクター。お前はまだ何も知らない。あの第五王子が話した程度で、王家の本質に辿り着けると思うな」


 私は笑みを浮かべる。薄く、鋭く。


「王家すら掌に収めてこそ、アースレインの真の当主だ」


 夜は静かに更けていった。


 そして、嵐の前の沈黙の中、ヴィクターと私、二つの系譜が、ついに正面から交わろうとしていた。




 西塔の空に、夜の帳が落ちる頃。控えの者が静かに頭を下げた。


「……王女殿下がお見えです」


 言葉を聞いた瞬間、私は手元の文書を伏せる。予告もなく現れるのは、彼女にとっては常のことだ。


「通せ」


 扉が静かに開き、蝋燭の光が金糸のような髪を照らし出す。月光のように淡く輝くそれを、無造作に一つにまとめ、長衣の裾を引きながら、彼女は音もなく現れた。


「久しいわね、グレイス」

「先に言っておく。私の方から呼んだ覚えはないぞ、マリスティーナ」

「ふふ。言われなくても分かっているわ。けれど、今夜は私から来るべきだと思ったの」


 彼女は遠慮なく奥の椅子に腰を下ろす。まるで自分の城であるかのように。


「……何があった」

「あなたの弟、ヴィクターの動きが、あまりに速いわね」


 マリスティーナの言葉に、私は眉をわずかに動かした。


「王族の中でも、彼に肩入れする者が出てきた。精霊の森での活躍、民の評判、さらには第五王子とも接触したという噂もあるわ。……あの子が、動いているのよ」


 私は椅子にもたれ、指先で軽く机を叩いた。


「すでに接触の報告は受けている」

「ええ。だからこそ、私たちがどう動くか、今一度すり合わせておきたいの」


 マリスティーナの視線には、個人的な感情などない。


「貴女の立場から見て、王家はヴィクターを排除するか、取り込むか」

「取り込めるほど従順には見えないわ。……でも、排除するには少し光が強すぎる」

「ならば、遮るしかないな」

「ええ。だからこそ、あなたの力が必要になる。……グレイス、ヴィクターを正面から殺せるのよね?」


 マリスティーナは真っ直ぐに私を見る。感情を抑えた声音でも、確かな意志が伝わる。


「私は、あなたを王座の傍に立たせるつもりでいるわ。けれど、それには足りないものがある。正統性よ」

「ヴイクターを正面から打ち砕くか」

「ええ、あなたはヴィクターよりも強いのかしら?」


 彼女は、飾りではない。確かに王家における現実的な権力そのものだ。


 そして彼女の存在が、私の盾にも、槍にもなりうる。


「……分かった。貴女の言葉は重く受け取っておく」

「ふふ。あなたのそういうところ、嫌いじゃないわ」


 マリスティーナは椅子から立ち上がると、近づいてきて、机に手をついた。


「グレイス、私たちが組む以上、無様な負けは許されないわ」

「当然だ」

「勝って。必ず」


 その目に灯った炎を、私は見逃さなかった。


 王家の中で孤高を貫く姫と、アースレイン家の筆頭。


 その結びつきは、いずれ王家の根幹すら揺るがせる力になる。


 だからこそ、負けるわけにはいかない。


 ……弟よ。貴様に王の器は遠い。


 王女と共にある限り、私は国そのものをも手に入れる。


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