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第105話

《side:ヴィクター・アースレイン》


 アースレイン領内に、決戦の気配が満ちていた。


 執務室の窓辺に立ち、僕は曇った空を見上げる。雲間から覗く微かな陽光が、今の情勢を映すように頼りなかった。


 静かだった日々は終わる。


 兄、グレイスとの決戦が、いよいよ目前に迫っている。


「……いよいよ来るのか」


 かつての僕は、当主争いに参加もできない状態だった。


 アリシアに導かれ、強さを手に入れ、仲間たちと戦場を駆けて、力をつけた後にグレイスが王家と繋がっていたために、殺してアースレイン家の地位を得た。


 横から掠め取るようなやり方で得た地位だったが、屋敷も、使用人も、父上もアースレイン家の人間として強い者が当主になることを認めてくれた。


 あの時は、アリシアが政治面で僕を支え、レオが侯爵の地位で後押ししてくれた。今回と同じくジェイが作戦を考えて、全てを整えた上で僕はグレイスと戦っただけだ。


 だが、今回の僕はグレイスと対等な立場で、自分の意思でこの場に立っている。


 ある意味で未来で一度、僕は敗れていたのだ。


 当主争いにも参加できない。落ちこぼれ。


 だが、今は違う。あの過去を越えるために、ここまで手駒を揃えてきた。


 ジェイの策略は功を奏し、王都の兵站は混乱に陥った。聖女フレミアは民の信仰を動かし、王子オーランドは王家の内部情報をもたらしてくれた。


 そして僕には、命を賭して従ってくれる仲間たちがいる。


 未来とは違う。僕自身が動いた結果、得られた仲間たち。


「ご主人様」


 振り返ると、リュシアが控えめに姿を現していた。彼女の背には、情報収集の任務に出た気配がある。


 今回の世界で、僕に全ての謎を解き明かすヒントをくれる者。


 命を預けられるパートナー。


「アハっ! 調べてきたわよ。グレイス陣営には、灰の従僕っていう複数の影がうごているみたいね。最優先の標的はおそらく……オーランド」

「……やはりな」


 僕の知る未来に、オーランドは存在しない。


 どこかで命を奪われていたはずだ。


 それがグレイスによるものなのか、それとも他の事象があるのかわからない。


「一つ、聞く。オーランドに魔族の気配はあるのか?」

「いいえ、ないわね。今のところ、ご主人様の周りに魔力の気配はしない」

「なら、グレイスの周りはどうだ?」

「アハっ! ご主人様は鋭いのね。そうね。グレイス自身、それと王女様から不穏な気配がするわね」

「王女? マリスティーナ・デルデ・アルゼンティスか?」

「ええ、そうよ」


 意外な伏兵の存在に、僕は驚きながらも、王家の人間である彼女ならばあり得るのかと納得してしまう。


 人との関わりが希薄であるが故に知らなかったことはたくさんある。


 そして、グレイスが忌まわしき禁術を使っていたことなど何も知らなかった。


 当主の座を奪おうとする兄の姿に、どこか妙に納得してしまった。


 グレイスの最高と立つ地点は六段階、つまり今の僕と同じレベルの技術しか得られなかった。それは彼の努力が足らないからじゃない。


 才能の問題だ。


 才能とは何か? そんな言葉を聞いたことはあるが、才能とは限界を突破できる最後の後押しだと僕は思う。


 努力を重ねるのは誰しも行うことだ。だが、その一歩先に進む力。


 それを才能だと思う。


「アハっ! ご主人様は、最近、考えてばかりなのね」

「そうだな。人生でこんなにも考えるのは初めてかもしれない」

「そんな深淵を垣間見ようとする姿は素敵ね」


 リュシアが僕の膝の上に乗る。


 美しくも妖艶なメイドが、白い髪に赤い瞳で僕を見下ろしていた。


「邪魔だが?」

「ご褒美をもらっていないわ」

「また、血か?」

「アハっ! それもいいけれど今日は!」


 そう言ってリュシアが唇を重ねてくる。僕の初めてを欲しいと言っていたが、何がしたいのか理解できない。


「ふふ、ご主人様の全てを私がもらう。婚約者がいて、好かれる相手がいるのに、そんな子たちのことを知りながら、私がもらうの」


 その後は唾液が絡み合い、糸を引く。


「アハっ! こんな時でも、ご主人様の瞳は何も写していない最高よ!」


 リュシアは満足して離れていく。


「ジェイにはオーランドの護衛を強化するよう伝えろ。次に動くのは我々だ」

「はっ」


 リュシアが下がりかけたところで、私は続けた。


「民の目の前で、兄を討つ。誰もが見ている前で、決着をつける」


 静かに、だが確かな口調で言い切ると、リュシアは小さく頷いた。


「……それがご主人様のやり方なのね。アハっ! 楽しみにしているわ」


 そして彼女は去っていった。


 残された僕は、地図の上に視線を落とした。


 グレイスの陣営は、すでに王族、貴族派、そして禁術の兵力を掌握している。だが、そこには欠けているものがある。


 僕は最後の決め手が力であることを知っている。


 だからこそ、グレイスと決着をつける舞台を整える。


 アースレイン領内を包むこの冷たい空気が、嵐の前触れであるならば。


 僕がその雷となって、すべてを断ち切ろう。


「グレイス。あなたを超えることで、未来を変える。そして、その先にある王家の秘密を暴いてみせる」


 決戦は近い。


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