剣を交えた瞬間、世界の色が変わった。
僕とグレイスはもはや兄とは呼ばぬ化け物になって、剣がぶつかった瞬間、周囲の空間は歪み、石畳が爆ぜ、空が鳴った。
音が遅れて耳に届き、肌が裂けるような剣気の擦過が風を巻いた。
周囲の観衆が、息を呑む音すら聞こえない。
彼らの存在は背景に沈み、ただ、この男と僕だけの世界が、誓いの輪の中に広がっている。
「なるほど……貴様は誰だ?」
グレイスは剣を払い。漆黒に染まった両目が、奈落を覗き込んでいる。
「さあな。だが未来で殺した相手を、もう一度殺すことになるだけだ」
「ならば、試せ。私は貴様の知る者とは違う。全てを手に入れたこの私を殺せるか?」
灰の王
灰を宿したその肉体が、呻くように魔力を発する。翼のように広がった黒灰の帷が風を切り、刃先に絡みついた呪力は、ただ触れるだけで命を喰らうと直感できた。
だが、恐れはなかった。
「剣を握る理由を失った貴様に、勝機はない」
そして、再び激突。
第一撃:上段からの斬撃を僕は体捌きで躱す。剣圧が横の石柱を粉砕する。
第二撃:下段から這い上がる斬り上げを冥哭の刃で受け止め、剣が軋む。
第三撃:灰を伴った呪式が突如爆ぜ、僕の足元に陣が現れる。即座に跳躍し、回避。その空中で僕は一閃、鋭く兄の肩を斬った。
だが、どれも決定打に欠ける。
「足りんぞ、ヴィクター。貴様の剣では、私の灰に届かん!」
傷が即座に塞がる。灰の力が肉体を再構成し、骨を組み直す。そうだ、これが奴の決意だった。人の理を捨て、神でも魔でもない異形の王として立とうとした男の。
「なら、僕はその理ごと、断つだけだ」
足元に魔力を凝縮し、一気に距離を詰める。冥哭の力が剣に宿り、僕の剣が閃光となって空を裂いた。
兄の防御を穿ち、肩から胸まで深く斬り裂く。
血と灰が噴き出す。
「がっ……!」
よろめきながらも、グレイスはまた立ち上がる。もう、異形の体は左手が骨と灰だけで形成され、右目は魔石のように煌めいている。
それでも、なお彼は嗤った。
「愉しいな……ヴィクター。そうだ……これだ。この命を賭けてでも倒したいと思える相手……!」
「ほう。なら、最後まで付き合ってやる」
僕は低く息を吐く。冥哭が鳴く。
体の芯が焼けるような痛みに襲われる。だが、ここで退けば二度と辿り着けない。
そして、決戦は続く。
剣と剣、命と命、理と狂気が交差する。
兄と僕。かつて血を分けた者同士が、今や“人の未来”を賭けて斬り結ぶ。
その戦いに、決着は、まだ訪れていない。
肉が焼ける匂いが、喉の奥を焦がした。
冥哭が第七段階の力を僕に与えてくれる。
僕の体を内側から蝕んでいく。限界を越えて引き出された魔力は、すでに自壊の域にある。それでも、止まれなかった。
グレイスの姿は、もはや人ではない。
全身を黒灰に覆われ、背には六枚の異形の翼。体の各部から灰の触腕が伸び、まるで神像のように禍々しい威容を誇っていた。
王女を妻にし、王家の禁術と結託し、灰の従僕すら喰らい、魔そのものとなった兄。
人の理を越えた存在と化したグレイスに、冥哭の刃をもって、僕は引導を渡す。
剣と剣が再びぶつかる。
音はなかった。ただ空間が裂ける音がした。
グレイスの腕が伸び、斬撃が三方から同時に襲い来る。
僕は瞬時に一閃、灰を斬り払うと同時に、足元の魔術陣を読み取り、跳躍する。だが、空中で灰の束が僕を捉えた。
「消えろ、ヴィクター。お前は、もはや人の枠組みに縛られた古き魂だ」
災厄のような声が空を裂き、僕の身体を叩き落とす。
石畳が崩れ、地面に叩きつけられた痛みが全身を麻痺させる。
しかし、それでも僕は。
「黙れ。貴様のような力に呑まれた者に未来はない」
立ち上がる。両脚が震え、喉の奥で血が滲む。それでも、立ち上がる。
フレミアの祈りが、遠くで聞こえた気がした。ジェイが傭兵を動かしている。
どうやらグレイスの劣勢を見た王女が、軍を動かしたようだ。かろうじて広場を守っている。リュシアの冷たい笑みが、脳裏にちらつく。
皆が、この瞬間のために動いていた。
僕は、それに応えなければならない。
「この一太刀で、終わらせる」
右手に握る冥哭を、逆手に構える。
そして魔力を全解放した。
全身の筋肉が悲鳴を上げ、骨が軋む音がする。
限界のその先。冥哭・終段、アビス・ブリンガー。
グレイスが気づいた瞬間には、すでに僕は空を切り裂いていた。
疾風のように駆け、灰の翼を薙ぎ払い、異形の腕を斬り落とし……そして、胸元の心臓だった部分にある核へと届いた。
「これが、貴様の最期だ……兄さん」
灰を裂く音が響く。
冥哭の刃が、グレイスの心臓部に到達して粉砕する。
一瞬の静寂。そして、崩壊が始まる。
黒灰の翼が砕け、肉体が崩れ、異形の王はその場に崩れ落ちた。
あれだけの力を持ちながら、兄は言葉を発しなかった。
あるいは、敗北を受け入れていたのかもしれない。
彼の身体が静かに灰と化していく中でその瞳だけが、僕を見下ろした冷酷な兄のものではなく、どこか清廉な過去の、まだ歪んでいなかったグレイスのまま笑みを浮かべたような気がした。
僕は剣を収める。
「大将の勝ちだ!!!!」
ジェイの声が響く。
「ゔぃくたーさまーーーーーー!!!」
ドイルが泣きながら叫んだ
勝った。全てを終わらせた。
剣神の末裔であるアースレイン家の、血で綴られた継承争いは、ここに終焉を迎える。
だが、それでも胸の奥に残るのは、喜びでも勝利の達成感でもない。
空虚。けれど、それでいい。
僕に感情はない。兄が異形に落ちた瞬間を見た。
それは王家に何らかの関与があったからだ。
僕はそのまま、崩れ落ちる兄の灰の中を、一人歩き出した。